昨日のお寺のお坊さんの話し。


檀家でない人の供養は本来はしていなかったお寺。

お寺の「過去帳」は、明治以前は「戸籍」と同じような意味を持つほど、お寺と檀家の繋がりは濃いものがあった。

お布施などの「お金」で繋がっているわけではなく、長い付き合いの中で、お寺に対する貢献度合いなどから戒名が決まり、それに準じて「お布施」決まる世界。


ボンと高額を寄進するよりも、寺と檀家の「縁」の強さが大事なのである。


渋沢栄一の「慈善バザー」の話しを思い出した。

鹿鳴館で行われた、バザーの主催者であった渋沢は、終了時間になると、会場の出口に机を出し、そこに座って寄付を集めたとのこと。

資産家の参加者の多くは、「会社から後でお金を送ります。」と答えても、「あなたの財布からお願いします」と答える渋沢。

金額が問題ではなくて、出所に意味がある。

慈善の気持ちを醸成することに真の意味があると考えたからである。


「縁」は、お金では買えない。


ちなみに檀家でない人の永代供養は50~70万円。

生きているうちに「縁」ができるといい。