第二章 菅猪兎の生涯
第1節 菅猪兎について
猪兎は11代須賀信吉、常の長女として明治18年10月22日1885出生。昭和33年4月2日逝去されました。母常は23士寺尾権平を父、須賀恒次、妻縫を母として出生。
寺尾権平、須賀恒次は元治元年9月5日卆1864であり、常は2才、恒次弟和は16才の出来事でした。如梅は東京外大卒業外国語教師を務め、昭和4年1月21日1929逝去しました。
義父菅和は県下の各郡長を務めた士族出のインテリ派で、当時の安芸ではかなり上級層の人物であったと推察されます。私の知る祖母猪兎は本当に柔和で控えめな性格でした、葛島の自宅へ母に連れられよく手作りの餡子おはぎをご馳走になったことは懐かしい思い出です。
しかし晩年は中風で寝たきり状態となり床詰めに悩み苦しんでいた姿が不憫に思い出されます。父信吉、義父和のキリスト教信仰環境に恵まれ安芸教会、高知教会で熱心な信仰生活を送りました。第12代須賀寛助の妹、寛郎は弟でありその妻は町田仁仙太、丑の長女町田春喜を娶っています。13代須賀忠一は町田菊を娶り繋がります。
猪兎は11代須賀信吉、常の長女として1885(明治18)年10月22日出生。1958(昭和33)年4月2日逝去されました。
母常は23士寺尾権平を父、須賀恒次、妻縫を母として出生。寺尾権平、須賀恒次は1864(元治元)年9月5日卒であり、常は2才、恒次弟、和は16才の出来事でした。如梅は東京外大卒業外国語教師を務め、1929(昭和4)年1月21日逝去しました。義父菅和は県下の各郡長を務めた士族出のインテリ派で、当時の安芸ではかなり上級層の人物であったと推察されます。
須賀恒次、大二郎(和)は、四代須賀庄右衛門の長男、三男で、大二郎(和)は別家に養子となる、その後姓を菅和に始祖する。私の知る祖母猪兎は本当に柔和で控えめな性格でした、葛島の自宅へ母に連れられよく手作りの餡子おはぎをご馳走になったことは懐かしい思い出です。しかし晩年は中風で寝たきり状態となり床詰めに悩み苦しんでいた姿が不憫に思い出されます。父信吉、義父和のキリスト教信仰環境に恵まれ安芸教会、高知教会で熱心な信仰生活を送りました。第12代須賀寛助の妹、寛郎は弟でありその妻は町田仁仙太、丑の長女町田春喜を娶っています。13代須賀忠一は町田菊を娶り繋がります。
※注[須賀、菅家へキリスト教を導いたのは菅和、須賀信吉でした。両家にとって重大事件は須賀恒次、寺尾権平による野根山23士事件でした。重要人物二人が義兄弟の関係で世を去って、その後残された者が団結しキリスト教信仰によって再興できたことは、正に神の恩恵によるものと思えます。]
元治元年(1864) の出来事
- 元号の改元:2月20日に文久から元治へと改元されました。
- 池田屋事件:6月5日(旧暦)に新選組が京都の旅館池田屋を襲撃し、尊王攘夷派の志士を多数殺傷・捕縛しました。
- 禁門の変(蛤御門の変):7月19日(旧暦)に長州藩が京都御所周辺で幕府軍と衝突し、敗退しました。これにより長州藩は朝敵とされ、第一次長州征伐のきっかけとなりました。
- 第一次長州征伐:幕府が長州藩に対して出兵を布告し、長州藩は三家老に切腹を命じるなどして恭順の意を示しました。
- 天狗党の乱:3月26日に水戸藩士の田丸稲之右衛門や藤田小四郎らが筑波山で挙兵しました。
- 佐久間象山の刺殺:7月11日に開国論者であった佐久間象山が京都で刺殺されました。
- 新島襄の密航:6月14日に新島襄が海外渡航の禁を破り、函館から米国商船で密航に成功しました。
- 野根山二十三士(野根山事件) 9月5日
これらの出来事は、幕府の権威失墜と倒幕運動の加速に繋がり、明治維新へと向かう大きな転換点となりました。
野根山二十三士(野根山事件)
野根山二十三士(野根山事件)
[勤王の大獄]
文久3年(1863)全国的に勤王弾圧が強まり、土佐藩でも勤王弾圧を強め勤王志士たちを次々と投獄するようになった。
[二十三士の岩佐屯集]
元治元年(1864)7月、土佐東部の勤王志士23人は野根山岩佐に屯集し藩庁に「藩政を勤王に改め、獄中の土佐勤王党主武市半平太など勤王志士たちの釈放」の嘆願書を出した。しかし嘆願書は拒否され、逆に討伐隊が岩佐へ向かった。
[阿波宍喰へ越境]
二十三士は岩佐を出て、阿波国宍喰に越境し、海部郡奉行所に「我らは京都大阪へ行きたいので取り計らってほしい」と嘆願した。しかし阿波国も勤王弾圧の最中であり、望みかなわず、約1カ月間阿波国牟岐に預けられ、土佐へ送還となった。国境で阿波から土佐へ引き渡されたとたん、罪人駕籠に押し込められ、田野の牢獄に送還された。
[奈半利川原で処刑]
同年9月、二十三士は、野根山街道を通って田野の安芸郡奉行所の牢獄に収容され、同5日、取り調べもないまま奈半利川原で斬首された。これにより土佐の勤王運動は大きな痛手をうけた。いっぽう坂本龍馬や中岡慎太郎など、脱藩した勤王志士は薩摩や長州でめざましい活躍をした。
[史跡・真乗寺]
甲浦中町の真乗寺は土佐藩討伐隊本部となった。またこの寺は土佐南学中興の祖・谷時中の生誕地であり、記念碑も建立されている。


