私はここに TAMON&KEN
世の中に存在するすべてのものには意味や使命が存在するという。
さきほどトイレに閉じ篭りウンコをしながら様々なことを考えていた。詩を志す者としては何にでも心を寄せてしまう傾向がある。
一体、今までの人生で僕は何メートルのウンコをして来ただろうか。
「一体!君はどれだけのウンコをしてきたかも知らないのか!」
と叱咤された気持ちになる。← 一体誰にじゃ~?
自分なりに見当をつけて暗算し、随分長いウンコの帯の長さを試算して「おお!」と納得していた。次にトイレットペーパーに手を伸ばす。
「まてよ。」
先週のことだ。随分前に定年した先輩にばったり会ったのだが、先輩曰く。
「最近は一日が早く過ぎるんだ。いやぁ、年を取ると光陰矢のごとしですわ。」と。
光陰矢のごとし
《読み方》
こういんやのごとし
《意味》
月日がたつのは、矢が飛ぶように早いということ
むむぅ。トイレットペーパーと重なってしまうではないか。新品のトイレットペーパーを50センチ引き出したとき、あるいは、もうロールが残り少ないものを50センチ引き出したとき。後者の場合、明らかに中心軸は何倍も回る。ペーパーの長さが流れる時間であり、中心軸が時の流れを感じる速さだとすると、、、トイレットペーパーは、実に人生を語っていた。
「おお!」
ウンコも捨てたものではない。いんや、流したものではない!
感動をしている自分の姿を、今度は第三者の目で想像してみる。
「ふふふ、変なヤツだ。」
そしてレバーをひねり、水を流す。まてよ、この水の流れはまるで、、、
なかなかトイレから開放されない自由詩人であった。
「風の中で」
言葉でも心でもなく
生きてゆきたいな
誰もいない道を吹き
流れゆく風に乗り
葉を散らし虫を転がせて
野に咲く花をなでながら
そんなふうにいたいと思う
恋をした丘のうえでは
何度も回って微笑んで
新たな風に溶け込んで
命になってゆくように
大きな自然になりたいな
いつまでも優しい世界に
そんなふうになりたいよ
言葉でも心でもなく
生きてゆきたいな
永遠を伝えゆく
たんぽぽの種に乗り
満天の星の輝きに
人知れず瞬(またた)きながら
そんなふうにいたいと思う
湖水に浮かぶ葉の上で
そっと揺られているように
星座の歌に導かれ
命になって行くように
大きな自然になりたいな
いつまでも優しい世界に
そんなふうになりたいよ
大きな自然になりたいな
いつまでも優しい世界に
そんなふうになりたいよ
令和2年9月3日
自由詩人・松尾多聞
私の心を取り出して