
遂に、新しき詩歌の時は来りぬ。
そはうつくしき曙のごとくなりき。
「 初 恋 」
まだあげ初《そ》めし前髪《まえがみ》の
林檎《りんご》のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛《はなぐし》の
花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたえしは
薄紅《うすくれなゐ》の秋の実に
人こひ初めしはじめなり
わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情け《なさけ》に酌《く》みしかな
林檎畠の樹《こ》の下《した》に
おのづからなる細道は
誰《た》が踏みそめしかたみとぞ
問ひたまふこそこいしけれ
【まだあげ初めし前髪の】
まだ上げ始めたばかりの前髪。以前、女性が大人の仲間入りをするころになると、前髪を上げて結いました。花櫛も初々しいその年代は15.6歳の乙女であると推察します。多聞
島崎 藤村(しまざき とうそん)1872年3月25日(明治 5年2月17日- 1943年8月22日)は、日本の詩人、小説家。本名、春樹(はるき)。信州木曾の馬籠 (現在の岐阜県中津川市)生れ。
『文學界』に参加し、浪漫派詩人として『若菜集』などを刊行。さらに小説に転じ、『破戒』『春 』などで代表的自然主義主義作家となった。
ほかの作品に、日本自然主義文学の到達点とされる『家』、姪との近親姦を告白した『新生』、父をモデルとした歴史小説『夜明け前』など。
Wikipedeaより
岐阜県中津川市馬籠4256-1
0264-59-2047
この詩を知らない人は少ないでしょう。島崎藤村がどれだけすばらしいかといえば、その作品なのですが、なんといっても詩をメジャーにしたこと。その手法は連や節や章を詩に取り入れたところにあるんです。
詩を書いている皆さんは文節を区切ったり、連を作ったりしますが、これは藤村の時代には画期的なことだったんのです。すごい勇気が必要なことでした。
この「初恋」には、「あげ初めし」「人こひ初めし」「踏みそめし」と「そめし」が三度も使われていますが、人が人を思い自分の世界から脱却して飛翔し、社会性を身につける「思春期」の感情と憧れが、そのまま近代詩の扉を開いたものです。
そしてこの作品は七五調でできています。それは短歌や俳句などの定型句以外で新しい表現方法を模索した彼の挑戦でもありました。
これ以降、私たちが創作している詩の自由が確立されたといっても過言ではありません。かれは文革の人であり挑戦者でもありました。僕は、その苦悩や忍耐を思うと泣けてくるのです。なんて苦悩したことでしょう。なんて優しく才能があったことでしょう。なんて努力だったのでしょうと。
彼がいて、彼が時代を切り開いて、僕たちは詩をかいている。かれが開いた未来の扉の向こうで。ありがとう。藤村先生。僕もこの自然を愛し、自然の心のままに生きていこうとおもいます。
「捜し求めるものは心の奥底にひっそりと佇む。見つけた者は涙するだろう。ただ喜びに、静かに。」
詩を書き初めしとき僕が綴った宣言です。
近代詩、自由詩の重い扉を拓いた偉人へ。
現代詩人の七五調詩作を感謝を込めて、
先生にささげます。
「午後の散歩道」
いつか来た道なのに
何故か景色が新しい
君と二人歩んでいた
午後の急な坂を独り
階段をかぞえながら
落葉を踏んで忘れた
弾む息を見つめあい
一緒に笑っていたね
もう戻らない光を編み
またなぞってみる階段
木々達が私に優しくて
もう数えられないんだ
いつか来た道なのに
いまは季節が美しい
君と二人歩んでいた
午後の落葉の散歩道
岐阜県馬籠の陣屋にいて
自由詩人・松尾多聞
「 夕 涼 み 」
別れるのが辛いなら
出逢いさえ悲しいよ
月の縁側ぼんやりと
濡れた髪を梳かせた
生きたことを照らしては
生きることもかんがえる
別れがせまりからんでも
今宵の月はいとゆかし
つげの櫛はしなやかに
梳かしながした夕涼み
書斎「抱雪庵」にて
自由詩人・松尾多聞
「 舞 夢 」
返す波の香たかくとどけど
我身を濡らす想いはいずこ
沖を染めゆく客船の灯よ
険しき貧苦の夜を照らせよ
歯がゆき言葉に破れし夢
波のいとまにいま約しけん
しるし無き世に我はまた
命つくせし恋のあかしに
北海道積丹岬にて
自由詩人・松尾多聞
文芸社主催「人生いろいろ大賞」短編部門で
私のブログ記事「凍笛が鳴る道」が優秀賞を受賞!
受賞記念作品私のブログ記事「凍笛が鳴る道」 動画で
つらかった時も
嬉しい時も同じだ
君の人生だよ
だったらいつも
力の限り
微笑んでいてください
僕と宍戸さんの渾身の作品です
あの空のように





