愛という海から
「自分」という水を汲んで生まれた命
今は海には見えないかもしれないけど
愛の成分になんら変わりはないんだよ
いいや本当の君は愛の海そのものなんだ
それに気付けば何時か愛の大海に帰るよ
※関連記事 愛に殉じた私の先生。 宮沢賢治先生
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多聞はいま何位でしょうか。
釈迦は2500年前くらいの人だと言われています。その教えはサンスクリット語でシルクロードに伝わり、中国の国々は「永遠の幸福」を求めて三蔵法師という国家有数の人材を何百人(あるいは何千人)も送り出しました。そしてそのほとんどはタクラマカン砂漠で散っていきました。生き残った者たちは何年もガンダーラに留まり、言語を勉強してサンスクリット語を漢文に変えなければなりませんでした。
しかし、サンスクリット語は素晴らしい叙事詩。翻訳するには難しく、変形もできない完成度があります。反対にそれが漢文にとてもなじんだのかもしれません。定型の漢文詩とサンスクリットの愛称は抜群だったと思います。(釈迦はそれを予言しています)
詩は完成度がすべてです。一文一句違えば意味が全然変わってしまうのが詩です。そして釈迦が説いた経はすべからく、すべてが「詩」でした。ですから聖書のように後に書き換えることのできない、素晴らしい完成度を誇っていたことを知ってください。凡人や僧侶が書き換えてしまうと、すぐに見透かされてしまうのです。また、それに相性の良い漢文もまた、真実を曲げない状態で伝わったことでしょう。
近代のインドも釈迦が生きたインドにも「ヒマラヤ山脈」は見えたことでしょう。サンスキリット語で「ヒマ(ヒーマ)」は「雪」を指します。そして貯蔵する蔵のことを「アラヤ」といいました。「ヒマアラヤ」それが今では「ヒマラヤ」となっています。数千年前のサンスクリット語を今でも世界の人々は使っていることになりますね。
それから二千年以上の間、人類は皆殺しの戦争ばかり。人類の歴史は戦争により創られてきました。二千年もです。あまりにも愚かしいことです。釈迦は慈悲を説き、キリストは隣人愛を説いてきたにもかかわらず、人は場所と利益と、そして征服の野望から逃れることはできませんでした。これは見える権力や幸福しか心にない人々の野望が、現実社会に投影された結果でした。
釈迦が涅槃して1000年がたちました。今から15000年前のことです。中国は天台宗の第三祖・天台大使(今では開祖といわれる)は、歴史にありえないほどの天才でした。いいえ、僕にはDNAが違って見えるほどの偉人です。彼は釈迦が説いた経は法華経に集約されていることを指摘して、それを体系化しました。釈迦が人生の医者であったなら、彼はその理論書を書き上げ生命の科学者だったのです。
天台(智顗・ちぎ)大使はまず、人間の心と生命の本質を説きました。もちろんこれは釈迦が彼の1000年前に言えなかったことですが、それは経を観ればちゃんとわかるものでした。当時には理解できない科学です。
人間には潜在意識が9識(種類)あるというのです。
まず、見ること、嗅ぐこと、聞くこと、味わうこと、触ること。これで5識です。それを人間はセンサーとして感じて第6識「意識」を持ちます。この「意識」とは仏教用語であり、天台が開発した言葉です。ここまでは言葉のとおり、人間は意識することができますが、その6識の上に「マナ識」という深層心理があります。今でいうならトラウマや癖、あるいは無意識の願いのことです。現代の心理学では様々な方法で、この「マナ識」の一部まではたどり着くことができているようですね。「マナ」とは積み上げられたというサンスクリットでしょうか。
ここまで、人間の深層心理を天台が掘り下げてきましたが、近代でもここまで掘り下げて学術的に立証した人がいました。彼と彼の弟子は西洋の人なので、当時に釈迦や天台の文献を(翻訳されたものを)見ることは考えられませんが、それを達成しています。その人たちはフロイトとユングです。現代心理学のを構築した二人は、なんと!「第7識」である「マナ識」にまで現代科学で到達しているのです。「夢判断」や「言動による判定」は本人が認識しない「自分」をあぶりだしています。これはまさに「マナ識」の立証でした。1500年前の天台はさぞかし喜んだことでしょう。
しかし、ここから先生と弟子であったフロイトとユングは大論争を起こしてしまいます。そして最後には喧嘩別れしてしまうのです。その理由はひとつ。ユングは「人間には、その人間と言う集団が共有する深層心理があり、それは個別のものではなく、大きな意識である。」と発表したからです。そう、有名な「集団的無意識」を発表してのです。人々の集団は、深層心理でつながっていて、その個々の経験は、その深層心理で共有される。というものでした。世界で初めて「シンクロニシティ」(共時性)という言葉を創ったのも彼でした。共時性とは「集団的無意識」が存在しないとありえないからです。
それでは法華経を極め、深層心理を そのだいぶん前に説明した天台はユングの「集団的無意識」のことをどのように説明しているでしょう。それは第8識としています。その深層心理の名前はヒマアラヤでも説明しましたが「アラヤ識」。いうなれば「蔵」という意識です。これは人間が深層でつながり「カルマ(行動)」が蓄積される「蔵」のことです。「天網快々租にして漏らさず」というように、思ったこと、話したこと、行ったこと。その事実と周りの反応が「原因結果」としてすべてしまわれており、それは個人の分も、人類の分も合わせて「カルマ」とされる場所です。これはユングの集団的無意識に類似していますが、それに因果律を加味した壮大な無意識です。
簡単にアラヤ識を説明すれば、みんなが感じると自分も感じる。みんなが不幸だと自分も不幸といえます。それはまさに普遍的な愛を行わなければ本当に幸福にたどり着けない方程式を包含していることを見抜かなければなりません。

このことを知っていた人々。聖人はたくさんいました。歴史にはたくさん。でも、時代と人々に殺されてしまいました。そんな人が一人でもいたらお金儲けができないからです。生き残ってやっと説明した人でさえ、その心や環境を奪われて、彼の思想はお金の種、宗教化されてしまいました。そして時代ごとに宗教は作られて、今では対立や戦争の原因にされてしまいました。字の読めない時代に説明した聖人の言葉、字が出来て説明した聖人の言葉、戦争が始まってたしなめた聖人の言葉、意図することは同じでしたが、愚かな人間は表現方法のみを宗教として、あまつさえ、自分たちの権力維持に見合うように500~700年後とに生まれてくる聖人の言葉を改ざんしてしまいました。いま、、そういまでも改ざんできなかったのは、利他こそがカルマを善きものとし、人類を救済してなお、宇宙までも進化させるという法華経だけです。
自由詩人 松尾多聞


