仏法の世界観は多層にわたって世界が重なる平行宇宙。「須弥山」として現される。この綴り重なった無限の宇宙にあって愛と平和を守護するのが四天王。その北方に住し、たくさんの羅刹を伴い「愛」を見守る神(諸天善神)のことを毘沙門天といい、その別名が「多聞天」である。
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釈迦が成人したとき城壁の4つの門より生老病死という人々の苦しみを目の当たりにして「この苦しみ」を絶やす方法を見つけるために出家されたという。これを四門遊出というそいうだ。彼は人々の苦しみには「原因」があり、それを見つけ原因を取り除くことで四苦八苦という人々の苦しみを治癒する生命の医者だった。
彼の究極の教えは、この宇宙で最高の力が人間には備わっていて(仏界)それは、この世界(宇宙)と繋がっているというものだ。この2500年も前 に悟られた宇宙の法則は、後に竜樹、天台、伝教、日蓮、ユング、シェルドレイクにより、約700年ごとに、それぞれの国で説明を加えられながら現在の平和思想へ と脈々と流れ続けている。僕が尊敬してやまない宮沢賢治先生もその思想に命を捧げた人だった。
これはあくまでも一部の水脈かもしれない。何故かというと、その崇高な哲学を他の偉人や預言者も同じく伝えてきたことは間違いないだろう。それは 必要なことであった。2500年前の人間と1500年前の人間は考え方も生活も思想的な教養も全く違うからだ。その時代に適応し、その時代を導く偉人は時 代の必要により生まれてきて、同じく宇宙の最高哲学を説いていた。しかし、ここで大きな人間の過ちが始まったことも確かだ。
たった一人の偉人が悟ったこと。それとは時代や表現方法が違っているが同じ内容の崇高な哲学は、いつか、それを説いた偉人の後継者達が孤立した宗 教としてしまい、内容は歪められなお、対立の原因としてしまったのだ。体験しなければ見つけようの無い人間最高峰の智慧は、時と国と内容と人々の感性や習 慣に於いて説明しなければならなかったゆえに、そこに連なった人々のエゴイズムにより戦争や差別の原因構造が構築されてしまったのだ。
仏界。あるいは神。あるいは「愛」と呼ばれる私達に内在する力。それは光であり波動であり、この宇宙を創り上げた創造であり、生命の「原因」である。しかし、それは愚かな人間にとってはきわめて繊細であり、目に見えないものである。
だから人間は求める。
だから人間は比べる。
だから人間は苦しむ。
最高の歓喜と幸福が私達の中にあるにも関わらず、その姿を偶像化して「外」に求めるのだ。これでは永劫に幸福にたどり着くことはない。この「外」に求める生き方や修行のことを仏法では「外道」(げどう)という。原因を外に求める哀れな人々との意味だ。 愛は水でも石でも火でも大地でもない。そう、愛は物質ではないし、貴方の思考や理性にもない。何故なら物質も貴方も、貴方の思考や精神も愛によって創造されたものだらかだ。
愛を見つけ、この手にすると歓喜しか生まれてこない。謙虚と感謝の上に湧き出る歓喜!「生まれてきて良かった。」「生きていて良かった。」「あり がとう!ありがとう!」言葉では決して表せるような簡単なものではないが、そう説明するのが一番近いかもしれない。愛ある人々は必ず謙虚であり、感謝に生 きていることを忘れてはならないのだ。
では、この宇宙最高の英知、「愛」を手に入れるにはどうしたらいいだろうか。
偏り無く普遍的に、心から命をかけて愛することである。そう、想い、伝え、行うこと。この三つの方法で愛を行うしか方法が無い。これだけしか愛に めぐり合える方法がないのだ。しかし、それを行うには髪の毛を振り乱してしまうような困難が押し寄せる。そして最大の勇気がが必要だ。僕は愛を信じた。ひ どい目にもあった。でも信じ続けた。愛の前では阿呆になって、信じることを止めなかった。するとどうだろう、私を包んで翻弄していた「絶対に解決など出来 ない」と思い込んでいた苦悩が、振り返ると全てが消え去っていた。
最高の英知。それを知るには信じることだ。愛は、平和は、生命は、目に見えないもの。人は目に見えないものを信じることが出来ない。まして信じる ことを出来ないものを垣間見ることが出来ようか。愛し信じるといいながら神を崇拝する人々は何千年の間、殺戮と差別と略奪を止めたことがなかった。いった い、どこの神が殺戮と差別と略奪を許すことだろうか。結局人間は何も信じてはいないのだ。だからこそ、見えないものを信じる勇気と決断は何よりも難しく困 難であることは明白だ。私達が行わなければならない最高の愛の入り口は「本当に心から信じる勇気」に他ならないことは明白なんだ。
最高の英知を知るには
勇気を以って愛を信じること。
そして愛を行うしか方法がない。
この英知は説明でわかるようなものではないのだ。それなのに、説明してわからせてあげるという偽預言者が大挙して現れる。末世の象徴でもある。
僕はもう一度いう。
愛は愛を行うしか知る方法がない、しかもそれは貴方が感じるしか方法がない。愛は貴方の中にあって、それに触れることが出来るのは貴方だけであり、 誰も手伝うことなど出来ない。愛を手にし、感じ、それを世界に広めることは貴方にしかできない。そして愛は与えると増え、世界を包み込み、いつか宇宙と一 体になるもの。
この物質世界は、あるいは貴方の体は宇宙の愛が結晶化したもの。余分なものなど一つもなく、愛が世界を包含している。汚れたものなどなく、エゴイズムを昇華することが愛であるのです。
色即是空。煩悩即菩提。変毒為薬。因果具時。
愛により創造された世界。人間の儚い智慧で考えることが出来ない完成された世界。人知が未だ及ばない無駄なき世界。経験も物質も生命も全てが一体となった愛の世界。昇華されるべき美しき進化の道程。
浄化するべきものなど存在しない。愛により昇華される生命が私達にはある。無駄なものや汚れなどないのだ。それを「浄化」といいながら人々を惑わせ る者。その者達の幼き正体を見極めてほしい。精神の浄化とは自らのエゴイズムをカモフラージュするための詭弁でしかないことを。愛を行わずに「浄化」とい う人々のことを。
「私はここに」
いつも胸に手を当てて感じてください。いつも愛に貴方のことを聞いてください。
「私はここに」と。
私の本日のコラムを尊敬する人生の師。愛する「タミュエル」に捧げる。感謝。
A pure field is always in your mind.
人は、この身体を自分だと思っています。それが全てだと認識します。
そして少しでも物理的な装飾を求め、栄養をあたえて自分の時間と虚無で流動的な物質に固執しています。
人は、それを比べようとし、または、それが自分よ
りも劣っていると、主観的に思えば相手をさげすみます。
加えて、自分のものに、少しでも人が触ろうものなら怒り、騒ぎだし、自分が比較の対象にされ、劣っていると自分が自覚するなら、自分の命さえ投げ出す人もいます。
愛は自分の中の存在です。人はどんなにがんばっても愛を犯すことはできません。なぜなら人間は愛により生きているからです。
この自然も私たちも、その存在を胸に抱いて産まれます。
ささやかな人の知恵で愛に逆らってしまえば、愛によって必ず罰を受けます。
貴方は、お母様を殴りたいですか?もしも殴ってしまったら貴方は一生後悔しますね。それが貴方の中の愛による罰。
愛は存在です。感じることしか出来ない最高の力です。
では、愛はどうしたら感じることができるのでしょうか。
それは愛することです。偏りなく、普遍的に見返りなく愛するしか方法がありません。
それを信じて、それが出来るなら、貴方はいつか愛を知りそして愛になります。
私はその愛に一度触れたことがあります。
その刹那、たくさんの力をいただきました。
愛は貴方の中にある、この宇宙の最高の能力であり全てとつながっています。
胸にいつも手を当てて、「私は、ここに」
そう言ってください。愛は貴方の大切な場所にいつもあります。
命の虹彩の中で/松尾多聞
音楽とどうぞ↓
http://homepage2.nifty.com/sapporo7king/283.mp3
「私はここに」
手を包んで灯した
キャンドルの光は
私の思い出さえも
映してくれるかな
愛をひとつにした
あの人の気持ちも
時間を越えながら
教えてくれるかな
瞳がまぶしい夜に
雪あかりに願った
愛を私に与えてと
手を伸ばし広がる
星屑のまたたきは
何も心配しないで
灯す明りに笑って
貴方は優しいから
その身が辛くても
心に灯火を抱いて
信じていて下さい
吐く息は真っ白に
私はいつもここに
胸の灯火を感じた
自由詩人・松尾多聞
http://homepage2.nifty.com/sapporo7king/287.mp3
「 旋 律 」
君が歩んだ思い出と
僕が観る夢を重ねた
戸惑い泣く君の姿が
僕を勇気づけている
どんな辛い過去さえ
それは勇気にかわる
愛は歓喜の中にいて
生きる意味を教える
いつか失意に溺れた
あなたのその心さえ
夢を観ていたんだよ
それを想い出すんだ
いつも僕の胸の奥に
耳を傾けてごらんよ
愛の言の葉をあげる
君の未来が聞えるよ
自由詩人・松尾多聞
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