踏んでくれた方には、僕から貴方だけの詩を贈りますね。
ランキングに参加してます。
どん!応援してくださいね。
ありがとう。涙私には忘れられない人が4人います。私の愛する男達。心から尊敬し慕っています。

その一人がアメリカの人権運動で民衆を率いた「キング牧師」。
彼は夢半ばで凶弾に倒れてしまいましたが、彼の演説は忘れることが出来ません。
I have a Dream!(私には夢がある!)
彼が演説する際、必ず最初に語った言葉です。その夢というリアリティーに人は集まり社会をも変革してしまったのです。

もう一人は「マハトマ ガンジー」。無抵抗、無血でインドを独立に導いた聖人です。
彼は多くを語らぬ行動の人でした。抗議の断食。そしてインド伝統の美しさを説き歩きました。その生活に生きる行動のリアリティーに心が集まり、インドを独立まで導きました。
そして、何よりも好きなお二人がいます。
高橋竹山 先生と棟方志功 先生です。
もちろんお二人に直接会ったわけではありません。お二人の芸術がきっかけになったのでもありません。しかし、大好きになってしまったのです。

志功先生は世界に屈指の絵画家であり版画家。独自の技法を確立して世界を驚かせた日本が誇る孤高の芸術家です。北国は青森の人。
棟方志功先生に初めて出会ったのは、私が小学生の頃。
テレビで先生の特集を放映していました。そして最後に先生が登場してインタビューを受けたのですが、青森訛りの不思議なおじいさんでした。
先生は津軽リンゴを持参して、関係者に渡し、後で出してくれるように指示していたのでしょう。しかし、関係者は気を使い、綺麗に皮を剥き、切り分けて先生におだししたのです。
先生は生粋の津軽弁で叱りつけ!芸術の番組にもかかわらずリンゴの話しを語りだしました。

このリンゴを津軽の人々がどんなに苦労し、愛情を込めて作っているか。
しかし、収入の低い人々が出稼ぎを余儀なくされること。
待っている家族のこと。
津軽のリンゴがどんなに美味しいか。
そこに関係者が、まるのままのリンゴを先生に手渡しました。先生は「リンゴは皮と実の間に一番の栄養がある!」と言って、テレビ番組にもかかわらずモシャモシャと丸かじりを始めた。
そして、リンゴの栄養的効用を話すのだった。
そのとき、私は理由は分かりませんが、このおじいちゃんのことが大好きになりました。

貧乏だった私の家。しかし、祖母は 私を年に数回、歌舞伎やクラシックの演奏会に連れ出してくれました。
高橋竹山先生に初めて出会ったのも、私が小学生の頃でした。
盲目の先生は北島三郎さんの名曲「風雪流れ旅」のモデルになった苦労の人。
三味線だけを頼りに北国を流して歩いた青春。そして、日本の三味線を世界に広げ、知らしめた偉人です。やはり青森の人。
小学生の私は三味線なんか聴いたこともありませんでした。そして演奏がはじまり一曲が終わったとき、何度も「間」を取る先生の技法についていけなかった当時の聴衆は拍手のタイミングを計りかねていました。
一曲の演奏が終わった先生はいいました。
「おまえたち、終わったァ」やはり生粋の津軽弁でした。
私達はどっと笑いながら急いで拍手していたことを思い出します。
そのとき、私は理由は分かりませんが、このおじいちゃんのことが大好きになりました。
「人を好きになることに理由はいらない。」
私はそのとおりだと想います。しかし、
「人を好きになるのに理由なんかない!」
これは違うと想うのです。私はそれから長い時間をかけて、お二人の芸術を見、聴いてきました。そしてもっと大好きになります。
あの少年が感動した時間についても考えていました。
そして、今なら分かるのです。
今、想うと、志功先生がテレビに出るなんてありえないこと。先生はリンゴのこと津軽のことを話したくてテレビに出たのでしょう。リンゴ食べれ!そして、地元が少しでも豊かに。
竹山先生も、拍手を戸惑っている庶民の気まずさを刹那に読み取り、笑いに変えながら私達に芸術を教えてくれました。
私は、今だから分かります。小学生の私は、お二人の心から出た思いやりに惚れてしまったのです。
しかし、思いやりと気遣いは違います。
気遣いを察知て人が人に惚れるでしょうか?違います。
本当の思いやりとは、その人の心の発露であり本質です。
表面的な付き合いや仕事上のサービスとは別のもの。
心には温度があるのです。
この心の温度は、悲しいかな、嬉しいかな人に伝わります。それは冷たくとも暖かくとも伝わるのです。
暖かい本質をもった人には暖かな人が「磁石が鉄を吸う」ように集まります。しかし、温度の低い人たちにも同じ温度の人が群がります。
表面上の繕いではなく、本質から暖かな心とはなんでしょうか?
それは先生達二人に共通する「相手やふるさとに対する思いやり」
この思いやりは、相手に対する大いなる想像です。そして、愛とは相手をどこまでも想像して出来上がる心。
何も知らなかった少年は、理由など分からなかったけれど、肌で感じた「愛」を「大好き」と答えました。

その後、志功先生の作品に親しんでいた私。
先生の丸く包んでくれるような優しい、母性のような心の発露に触れ、とても懐かしく感動を繰り返さずにいられなかった。
そして、竹山先生の三味線を聴くにつけ、そのたび人生を感じ、押し寄せるような荒波のなか、勇気をいただける父性に感動を新たにしました。
あの日の出会いは、愛情に溢れたお二人の心の温度が少年の心を暖めたものだったのでしょう。
私の日記「魔法のリアリティー」 でも書かせていただきました。これは強い正のリアリティーによるもの。科学的見地で証明されている「形態場」の働きだと想うのです。
「人は好きになる理由をいままで知らず、しかも探してはいなかった」
「人が人を好きになるのは、貴方が探そうとしなかった理由によるよ」
私はそう想うのです。好きになることは深遠な理由が存在しています。
心には温度があります。それは直接でも、間接的にでも必ずメディアを通じて伝わるものです。言葉でもいい、映像でもいい、それが芸術ならばなおさらです。私達の国にはこんな素晴らしい人が生きていました。

私は、今は亡き先生二人のことをこのブログで
思い出し、懐かしく、大好きで、竹山先生の
CDを聴きながら、志功先生のリンゴを食べて
います。
何故でしょうか、涙が止まらないのです。もう、
洪水になってしまいます。
今度は、この涙の理由を考えていようと想う私
です。
人生は泡沫(うたかた)
しかし、暖かな温度をもった心と、その輪郭は
永遠のものとなることでしょう。
先生!私は貴方達のような人間になりたいです。
遠い、遠いことだけれども、そうなりたいです。
今日はここまで。私の創作の原点となった作品で
お別れします。
いつも大自然が僕を見守ってくれている。
小洒落たイタリアンレストランにいかなくても、僕はほんの少しのフキとウドと木の実があれば、何よりもおいしく食べて安心できる。
僕がいつもみすぼらしい姿でいたとしても、僕を包んでくれる山々のカムイが織り成す錦で、いつも自分を信じてあげることができる。
壮大なシネマを観ないでいても、あの石狩浜の夕日に目を細めているだけで、僕は人生を感じていつも感謝でいっぱいになるんだ。
偉大なオーケストラの演奏よりも、この風に心をあずけて森と命の声に自分を預けるだけで、僕はこの世界に溶け込んでいける。
もし僕が寒さに震えていても、そこに暖炉がなかったとしても、いつも胸に燃える愛を感じて速やかにあたたまることができるんだ。
たとえ愛する人にめぐり逢えずに心が乾いていたとしても、目を閉じて僕は見下ろす虹の橋を渡り、いつでも愛を語りにいくことができる。
もしもこの命が途絶えることがあったとしても、永遠が迎えてくれて、僕はよりよくなれることを知り、恐怖など抱きはしないだろう。
僕がこんなことを言っても意味がないこと。でも、少しだけ感じてくれる人がいるといいな。
僕はそんなことのために生きているのかもしれないな。
僕は海に漂う木の葉の上で揺れて
僕は黎明に輝く地平線に羽ばたき
透き通る風の遺産をなめながら
永遠にこの世界の中に存在する
静寂に耳を傾けて色無き色を観る
僕がこんなことを言っても意味がないこと。でも、いつか誰もができるようになること。
だから僕はこのことを知らない人に教えてあげる。そう思って詩人になったんだね。
はじめて。僕は空を飛んでいた。そして本当に上空から焚き火をする自分を確認した。あまりの感動と、切ない慕情に包まれた僕は、生まれて初めて詩を書いていた。
今日は詩人。松尾多聞がはじめて描いた詩を読んでください。いつもありがとう。みんな!
僕の初めて描いた「詩」です。↓
I present to you of a first love who continue loving even now.
音楽BGM
←クリック
「あのとき僕は君と海が見たかった」
揺らめく焚き火の炎に
もどかしく打ち寄せる白波を見ていた
サウンドオブサイレンス
僕は大自然のささやきの中
もう一度 幻想を追いかけている
西に浮かぶ満月に追いやられて
真空に輝くカシオペア
はっきりと舞い上がる僕がいる
見つめる刹那と見つめ返す刹那
確かに時は自由にさ迷っていた
今もう一度
もう一度君がいたら
僕は話続けることが出来る
もう一度君がいたら
大切なことを教えられるのに
もう一度君がいたら
僕は謝る事が出来るのに
今 もう一度
僕は君と海が見たかった
-------------------------
ふるさと石狩の海に一人佇んで
2000年6月6日 松尾多聞
-------------------------



