BGM
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スピリチュアルソウル
夕べ君が観た夢のこと
憶えていてほしいんだ
とっても大切なんだよ
幼いころの虹に描いた
あの夢とおんなじだよ
ねぇこの世界のことを
僕らは何もわからない
知ったような顔をして
知らないことを認める
そんな大人でいたいね
自然はここに息づいて
僕らは追いつかないね
大きすぎて小さすぎる
そんな世界にいるんだ
ねぇ君が観た夢だけど
驚くようなことだって
自然と僕らを繋いでる
恐ろしく美しい次元を
少しだけ魅せてくれる
夢の番人は確かにいて
まだ観ぬ現実をくばる
それが君の映像になる
信じるのならばきっと
感じる力は愛をひらく
ねぇ人間の知恵なんて
自分がいる意味さえも
まだわからないからね
神様は夢で教えるんだ
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人は目に見えないものを
決して信じようとはしないのです。
まして信じることが出来ないものを
垣間見ることなど不可能であることを知りなさい。
一番大切なものは貴方の胸にあり
それは目に見えず感じることしかできないものです。
タミュエル 昴星雲を故郷とする宇宙人 1000歳を超えて生きる人々(写生・多聞)
僕が10歳のとき
空を覆う宇宙船を見た
大編隊で一瞬にして
丸くなったり三角になったり
不思議なフォーメーションを
何度も魅せてくれた
その後、数日して宇宙船が
目の前に現れた
僕は怖くって逃げ出した
でも翌日に彼女は僕の頭の中に
話しかけて美しい姿で現象した
それから長い時間の中で
いつも僕に働きかけてくれたんだ
愛天使・タミェルの言葉
人は見えないものを信じようとはしない、悲しい特性を持っています。だのに目に見えないものを崇拝して離れることはできません。信じていないものを見ることなどできるはずがないのに信じていると勘違いしています。これは間違った貴方の恐怖によるものです。
人は神様を信じているといいながら戦争では人をためらいなく殺し、生活ではいつも人を恨みながら自分の責任を回避しようとやっきになっています。いいですか、人は「信じる」ということの本当の意味さえも知ってはいません。
人は自分のみを愛し愛といいます。自分の子供へ捧げる愛さえも遠回りに自分自身への結果を求めることもあります。せっかく無償の愛を行ったときでさえ、自分のみを省みて自慢し、人へ伝えたがります。その愛の姿を貶めているのです。
愛は目には見えません。愛は貴方の中にある「貴方」ではなく「存在」であり、また「本当の貴方」です。
貴方たち人は、どこまでの人を家族とすることでしょうか。愛することができるでしょうか。
私たちから見ると地球や宇宙の生命の全てはかけがえの無い神であり友人であり家族です。
しかし、あなた方は家族を、飢餓という人間の尊厳を一番に貶める方法で一日に数万人も失っても悲しまず、そのままに許しているめったにいない人間です。
大量の富と武器と方法を持っているにもかかわらず、あなたたちは分け合うことを知らず、まして殺しあう珍しい人間です。そんな人間がこの宇宙で繁栄することは絶対にないのに、それを知りながらやめることができない人々だと、いまだ自覚してはいないのです。
恐怖ではなく、本当は見えないものほど大切です。そこに真実があるからです。
覚えておいてください。愛の反対語は恐怖です。愛を恐れ、自己利益に走る悪魔的人間は人を司るために恐怖を、たくさんの映画やメディアを使ってばらまきます。愛とはそんな幼稚なものに負けないものですが、貴方は恐れをなして悪魔に身を捧げてしまうのです。いいですか、悪魔とは生きている一部の人間であり、人種を差別する人たちで、戦争を生業として人々の幸福を許せない経済体系を創ってしまった国と団体と人と、それを支持する全ての者たちです。もちろん日本もそうであり、不景気や株価があの国で暴落して、回復するために人間や動物にインフルエンザを撒き散らしていることを知っているにもかかわらず黙認しています。
愛を行ってください。隔たりなく普遍的に。
自分の中の愛を信じてください。本当に「信じる」という意味を知ってください。
そうした人には知恵がわき、悪いものと愛の根本がはっきりと見えるものです。
人は物質にこだわります。魂のカルマを善きものとすることを忘れて。物質とは本当は無いものであり幻想でしかないのです。
貴方は「私はちがう」といいます。
しかし、貴方は着飾り、食べて、なお欲求し文句をいいながら年間に何千万人の死を知らずのうのうと生きてカルマを重ねんながら滅びていくことでしょう。
愛は貴方の中の存在であるにもかかわらず、それを無視して生きているのが人間です。愛に逆らってどうして幸福になれることでしょう。なぜなら愛こそが宇宙の原動力であり、人間は愛により生かされているのです。貴方達のしていることは太陽がまぶしいといいながら太陽を射落とそうとたくらむことと同じです。
嗚呼、愚かなる人々よ。愛の波動の名の元に、全てを愛することのできる人々は生まれてきました。
貴方の中にも愛はあります。殺さず諍わず愛し合い分かり合い、いざこざがあれば相手を抱きしめてひざまずき愛することを伝える愛の存在があります。
胸に手をあてて「私はここに」そういってください。
貴方の愛の戦い。知り勇め行う。その気持ちだけをいまもってください。私たちは貴方達の大きな心が塊となり、偉大な生命である地球という惑星の運命をかえることを命を賭して応援しているのです。

音楽とどうぞ↓
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「私はここに」
手を包んで灯した
キャンドルの光は
私の思い出さえも
映してくれるかな
愛をひとつにした
あの人の気持ちも
時間を越えながら
教えてくれるかな
瞳がまぶしい夜に
雪あかりに願った
愛を私に与えてと
手を伸ばし広がる
星屑のまたたきは
何も心配しないで
灯す明りに笑って
貴方は優しいから
その身が辛くても
心に灯火を抱いて
信じていて下さい
吐く息は真っ白に
私はいつもここに
胸の灯火を感じた
自由詩人・松尾多聞
多聞作
A pure field is always in your mind.
人は、この身体を自分だと思っています。それが全てだと認識します。
そして少しでも物理的な装飾を求め、栄養をあたえて自分の時間と虚無で流動的な物質に固執しています。
人は、それを比べようとし、または、それが自分よ
りも劣っていると、主観的に思えば相手をさげすみます。
加えて、自分のものに、少しでも人が触ろうものなら怒り、騒ぎだし、自分が比較の対象にされ、劣っていると自分が自覚するなら、自分の命さえ投げ出す人もいます。
愛は自分の中の存在です。人はどんなにがんばっても愛を犯すことはできません。なぜなら人間は愛により生きているからです。
この自然も私たちも、その存在を胸に抱いて産まれます。
愛は存在です。感じることしか出来ない最高の力です。
では、愛はどうしたら感じることができるのでしょうか。
それは愛することです。偏りなく、普遍的に見返りなく愛するしか方法がありません。
それを信じて、それが出来るなら、貴方はいつか愛を知りそして愛になります。
私はその愛に一度触れたことがあります。
その刹那、たくさんの力をいただきました。
愛は貴方の中にある、この宇宙の最高の能力であり全てとつながっています。
胸にいつも手を当てて、「私は、ここに」
そう言ってください。愛は貴方の大切な場所にいつもあります。
tamon
生命の二元論がある。
人は生まれつき善である。
人は生まれつき悪である。
人の心を旅して究明する場合には、かならず底辺の仮説から出発するものらしい。釈迦も法華経を説くために42年間をその礎として仮の教えを説いた。またキリストも愛の存在を知らしめる以前にはその慈悲力で民衆の病を治癒していた。人々は長い列を成したという。
人は生まれついたのは創造の愛により。
人はいま、そこまでたどり着こうとしている。悪は善となり、善は愛へ向かう。なぜなら、たとえば、生まれながらの病人が自分の病と闘っているうちには健康は分からないが、健康を知るといや増して活動的になることだろう。
悪とは、心が善に向かうために創られた対比の存在であり、人が自分で生み出した心の結晶である。だからこそ、その大きさが大きなほど苦しみもがき「自分は悪でもある」と悩む。
しかし、あくまでもそれは、その人に与えられた「昇華」のための道程であり、生命の成長過程には不可欠なもの。その心の結晶を見つけた人は、その雄大な愛の構想を知らないために「人は悪である。」と唱えた。
そこで出てくる言葉がある。
「浄化」だ。
私はこの言葉にはなじめないし、言い方を考えると少し悩んでしまう。浄化されるものはトイレや汚水ではないだろうか。先に言ったように「汚れている。」意味にも。
人はセットされてワンパックで生まれてきた。そう、その心をうまく利用すれば精神の最高峰へいける材料をいただいて生まれてくる。それはモチロン、釈迦もキリストも言っている。必要なものしか持ち合わせてはいないのだ。
その一部分を注視して「汚れているので浄化!」といってしまってはいけない。移り気で聞き分けのない子供たちを貴方は排除できるだろうか。それは成長の過程であり必要な経験なのだ。
人は悪口も言うし、誤解もする。一瞬で心も変わるし、喜怒哀楽に生きる。しかし、煩悩即菩提であり色即是空とあるように全てが必要で無駄な心はないのだ。
だから「昇華」なんだ。
嫌いな自分を浄化。嫌いな人を浄化。それは排出にも似た言葉に聞こえてくるのは私だけだろうか。貴方はあなたでいて、自分の一部を切り捨てていいのだろうか。この世の中には偶然はない。という。それならば貴方がワンセットで生まれてきたことに何の無駄があるだろう。なんの浄化が必要だろう。
私はそう思うよ。
愛という海から
「自分」という水を汲んで生まれた命
今は海には見えないかもしれないけど
愛の成分になんら変わりはないんだよ
いいや本当の君は愛の海そのものなんだ
それに気付けば何時か愛の大海に帰るよ
僕は一度だけ愛を垣間見たことがあります。
それは謙虚な感謝であり、歓喜そのものでした。
それを知ると浄化という偽りがいかに幼稚なのか
はっきりと理解できるのです。愛はそのままで歓喜です。
そう貴方は愛そのものであり歓喜の結晶なのですから。
浄化といいエゴイズムを増徴する人々は間違いありません
愛という存在を今まで一度も垣間見たことがない人です。
私にはそれが理解できて偽物の愛を売る人が可哀そうです。
本当の愛について 論文 多聞
仏法の世界観は多層にわたって世界が重なる平行宇宙。「須弥山」として現される。この綴り重なった無限の宇宙にあって愛と平和を守護するのが四天王。その北方に住し、たくさんの羅刹を伴い「愛」を見守る神(諸天善神)のことを毘沙門天といい、その別名が「多聞天」である。
釈迦が成人したとき城壁の4つの門より生老病死という人々の苦しみを目の当たりにして「この苦しみ」を絶やす方法を見つけるために出家されたという。これを四門遊出というそいうだ。彼は人々の苦しみには「原因」があり、それを見つけ原因を取り除くことで四苦八苦という人々の苦しみを治癒する生命の医者だった。
彼の究極の教えは、この宇宙で最高の力が人間には備わっていて(仏界)それは、この世界(宇宙)と繋がっているというものだ。この2500年も前に悟られた宇宙の法則は、後に竜樹、天台、日蓮、ユング、シェルドレイクにより、約700年ごとに、それぞれの国で説明を加えられながら現在の平和思想へと脈々と流れ続けている。僕が尊敬してやまない宮沢賢治先生もその思想に命を捧げた人だった。
これはあくまでも一部の水脈かもしれない。何故かというと、その崇高な哲学を他の偉人や預言者も同じく伝えてきたことは間違いないだろう。それは必要なことであった。2500年前の人間と1500年前の人間は考え方も生活も思想的な教養も全く違うからだ。その時代に適応し、その時代を導く偉人は時代の必要により生まれてきて、同じく宇宙の最高哲学を説いていた。しかし、ここで大きな人間の過ちが始まったことも確かだ。
たった一人の偉人が悟ったこと。それとは時代や表現方法が違っているが同じ内容の崇高な哲学は、いつか、それを説いた偉人の後継者達が孤立した宗教としてしまい、内容は歪められなお、対立の原因としてしまったのだ。体験しなければ見つけようの無い人間最高峰の智慧は、時と国と内容と人々の感性や習慣に於いて説明しなければならなかったゆえに、そこに連なった人々のエゴイズムにより戦争や差別の原因構造が構築されてしまったのだ。
仏界。あるいは神。あるいは「愛」と呼ばれる私達に内在する力。それは光であり波動であり、この宇宙を創り上げた創造であり、生命の「原因」である。しかし、それは愚かな人間にとってはきわめて繊細であり、目に見えないものである。
だから人間は求める。
だから人間は比べる。
だから人間は苦しむ。
最高の歓喜と幸福が私達の中にあるにも関わらず、その姿を偶像化して「外」に求めるのだ。これでは永劫に幸福にたどり着くことはない。この「外」に求める生き方や修行のことを仏法では「外道」(げどう)という。原因を外に求める哀れな人々との意味だ。 愛は水でも石でも火でも大地でもない。そう、愛は物質ではないし、貴方の思考や理性にもない。何故なら物質も貴方も、貴方の思考や精神も愛によって創造されたものだらかだ。
愛を見つけ、この手にすると歓喜しか生まれてこない。謙虚と感謝の上に湧き出る歓喜!「生まれてきて良かった。」「生きていて良かった。」「ありがとう!ありがとう!」言葉では決して表せるような簡単なものではないが、そう説明するのが一番近いかもしれない。愛ある人々は必ず謙虚であり、感謝に生きていることを忘れてはならないのだ。
では、この宇宙最高の英知、「愛」を手に入れるにはどうしたらいいだろうか。
偏り無く普遍的に、心から命をかけて愛することである。そう、想い、伝え、行うこと。この三つの方法で愛を行うしか方法が無い。これだけしか愛にめぐり合える方法がないのだ。しかし、それを行うには髪の毛を振り乱してしまうような困難が押し寄せる。そして最大の勇気がが必要だ。僕は愛を信じた。ひどい目にもあった。でも信じ続けた。愛の前では阿呆になって、信じることを止めなかった。するとどうだろう、私を包んで翻弄していた「絶対に解決など出来ない」と思い込んでいた苦悩が、振り返ると全てが消え去っていた。
最高の英知。それを知るには信じることだ。愛は、平和は、生命は、目に見えないもの。人は目に見えないものを信じることが出来ない。まして信じることを出来ないものを垣間見ることが出来ようか。愛し信じるといいながら神を崇拝する人々は何千年の間、殺戮と差別と略奪を止めたことがなかった。いったい、どこの神が殺戮と差別と略奪を許すことだろうか。結局人間は何も信じてはいないのだ。だからこそ、見えないものを信じる勇気と決断は何よりも難しく困難であることは明白だ。私達が行わなければならない最高の愛の入り口は「本当に心から信じる勇気」に他ならないことは明白なんだ。
最高の英知を知るには
勇気を以って愛を信じること。
そして愛を行うしか方法がない。
この英知は説明でわかるようなものではないのだ。それなのに、説明してわからせてあげるという偽預言者が大挙して現れる。末世の象徴でもある。
僕はもう一度いう。
愛は愛を行うしか知る方法がない、しかもそれは貴方が感じるしか方法がない。愛は貴方の中にあって、それに触れることが出来るのは貴方だけであり、誰も手伝うことなど出来ない。愛を手にし、感じ、それを世界に広めることは貴方にしかできない。そして愛は与えると増え、世界を包み込み、いつか宇宙と一体になるもの。
この物質世界は、あるいは貴方の体は宇宙の愛が結晶化したもの。余分なものなど一つもなく、愛が世界を包含している。汚れたものなどなく、エゴイズムを昇華することが愛であるのです。
色即是空。煩悩即菩提。変毒為薬。因果具時。
愛により創造された世界。人間の儚い智慧で考えることが出来ない完成された世界。人知が未だ及ばない無駄なき世界。経験も物質も生命も全てが一体となった愛の世界。昇華されるべき美しき進化の道程。
浄化するべきものなど存在しない。愛により昇華される生命が私達にはある。無駄なものや汚れなどないのだ。それを「浄化」といいながら人々を惑わせる者。その者達の幼き正体を見極めてほしい。精神の浄化とは自らのエゴイズムをカモフラージュするための詭弁でしかないことを。愛を行わずに「浄化」という人々のことを。
「私はここに」
いつも胸に手を当てて感じてください。いつも愛に貴方のことを聞いてください。
「私はここに」と。
私の本日のコラムを尊敬する人生の師。愛する「タミュエル」に捧げる。感謝。
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
感動の感想メールをいただきました。
ありがとうございます。これからも僕は詠い
続けます。詩を!もっと詩を極めたいです。
最新版 松尾多聞作品詩集↑
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
どん!
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