覚えてる人もいるかな。一年前の記事。このエッセイ。雑誌に載ることになった。記念にアップしときますね。

 私たちの世界は大自然が絶妙なバランスで回転しています。それは完璧な世界であり、すべての営みに意味が包含されています。そこで生きている私たちも、存在自体にとても大きな意味があり、その経験はどんなものであったとしても宝物です。心から、いつでも、それを悟ることができる人を仏法では菩薩といいます。
そしてその使命は万人にあり、誰でもが救世主になれる可能性を持って生まれるのです。


私は聖書や経典を哲学書として読みます。宗教は私の中では半分崩壊しているからかもしれません。それでは今日は病気や障がいが起こる原因について考えてみることにします。これはあくまでも物語として読んでくださいね。


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苦悩と幸福。煩悩と菩提。悪と正義。対局する二つのものに翻弄され、どちらかに身を置かなければならない二極化の考え方が、この世界の対立を生んできたのかもしれないと思う。


貧困と富裕。宗教の対立。白人と黒人。それらは同じ人間としての立場であることこそが基本であることは間違いないにもかかわらず、それが対局化して差別を生み戦争を黙認してきたのかもしれない。この宇宙も生命も、じつは永遠であり、その美が私たちの居場所である。


いいや、それが真実であろうと無かろうと、そう信じる者はより大きな世界に居住できることは間違いないだろう。これを仏教では不二の法門という。この大乗仏教の法門こそ「全てのことには意味がある。」ことを説明していると詩人は思う


 釈迦の時代には中インドに素晴らしい徳を備えた維摩(ユイマ)長者がいた。釈迦の高弟である菩薩たちも一目置く人だったと云う。ある日その維摩居士が重い病に伏せってしまった。心配した釈迦は知恵第一の高弟、文殊菩薩を使わせて見舞いを行なった。


 文殊菩薩は維摩居士に問答して曰く「貴方の徳をもってして、どうして病に伏せられたのですか」と。


 維摩居士曰く、「この世の者たちが病むので私も病になるのです。もし、全ての者の病が癒えるのであれば、私も病むことはない。(中略)この世界の者たちが病めば菩薩もまた病むのです。すなわち衆生の病が癒えるとき、菩薩もまた癒えるのです」


 文殊菩薩また曰く「その病の起こる原因はなんでしょうか?」


 維摩居士答えて曰く「菩薩の病とは大慈悲によって起こるものなのです。」と。


※『維摩詰経』巻中「文殊師利問疾品第五」(松尾多聞訳)



経典とはお伽話として読んでも面白いものだと思う。しかし、我がこととして読むことが出来るならば、その人は素晴らしい哲学を身につける知恵をもつことができる。維摩居士は病にも理由があることを示してくれた。


「この時代に生きて出逢いや笑いを繰り返すことに心から感謝することを忘れていた。」大病をした友人が病床で何度も後悔を口にしていたことを思い出す。彼は後に元気になってくれたが、あの時のことを生涯忘れないために病気をしたんだと今でも信じている。その彼の不二の法門を私は心から尊敬できる。


もし、貴方の配偶者や子供、あるいは親が病に伏せったとしたら貴方は心穏やかで幸福に生きていられるだろうか。また、仲良くしてくださる友人や近隣の方々が同じ病に苦悩して、あなたは心配しないでいられようか。そして世界では多くの人々が戦争に苦しみ、数秒に1人が飢餓により死亡している。その現実に顔をそむけることができるだろうか。


世の中が乱れると救世主がより多く生まれてくる。



僕には間違いなく知っていることがあるのです。  


子供は親を選んで生まれてくるという。しかし、その両親を選ぶ前に神様から「使命の箱」をいただき、それをもって後に親を選ぶという。子供たちは神様が提示した「使命の箱」を自分で選び出す。その箱には「医療家」、「法律家」、「宗教家」、「技術者」、、、たくさんの使命の箱があるが、その箱を貰った子供達は、その箱の使命を果たし、その使命の効力で親までも幸福にできる場所を選んで生まれてくる。


何度も繰り返される生命の営みの中でも重要な時を迎えた魂たちのグループが、生まれるために箱を選んでいた。するとその中でも聡明であり、より光が強く明らかに進化した魂を持つ子供が話している。


「みんな!僕は皆より強いからこの箱を選ばせて。僕ならパパとママに大切なことを教えてあげられる。僕なら大丈夫。一生懸命やれるよ。」



 その子は「障がい」という箱を選び、その箱を手にして、その子を必要とする親や社会のもとに生まれてくることになった。自分や親の苦悩を社会や世界に少しでも知らしめて愛を思い出させるために。救世主となって生まれてくるのだ。


 不二の法門とは全てを貫く愛の原理であり、それを人々が知るためには長い道のりを必要とすることだろう。それは現在の経済優先の世界では知ることがままならない慈悲なのだ。いま日本では介護老人を省く、精神や肢体そして知的障がいのハンデキャップを持つ人々が700万人を超えて人口の6%になろうとしている。


「衆生病むとき菩薩もまた病む。」維摩居士の言葉が私の脳裏に何度も去来する。彼らの使命を思う時、私は涙し、そしてじっとしてはいられなくなるのだ。




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・涙は。。きっと押さえるものじゃない。流してから拭うもの。

2009.09・23 Youtube up 大人気動画詩です。


「つらなり」・松尾多聞
http://www.youtube.com/watch?v=hFlaIDQ1h7Q


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「つらなり」



そのまま僕の願いを聞いて



君の涙はおさえ切れなくて

きっと流してから拭うもの


僕の涙は流れはしないけど

もう心の中はうねりだして



子供のころはどう泣いたの


辛い思いを涙にかえながら


いつも自分で拭っていたの





ああ僕はその涙をさがして


大空に美しく虹を創りだす



悲しみの架け橋をつないで


喜びにまた君を泣かせよう






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