自由詩人!松尾多聞のブログ


提婆達多(ダイバダッタ)は天才の誉れ高く釈迦の血縁でありながらも、その増上慢(自己への愚かな過信)により釈迦教団破壊を図り、阿闍世太子に悪逆を進め、釈迦に投石及び放象し暗殺を企てたことは事実である。

しかし釈迦は法華経提婆達多品第十二の中で,提婆達多は遠い過去世に釈迦の導師であり、天王如来となるという未来成仏を説いている。「人生万事塞翁が馬」と言う有名な伝書があるが、提婆達多の物語は生命が無限の時間の移ろいにあって因縁を繰り返しながら進化してゆくという、壮大な理念の実相である。

つまり釈迦は彼を「未来にこの救済思想を残すためには不可欠で大切な存在であり、提婆達多無くしては釈迦の真実は広まることが無い。」ことを知っていた。

三逆罪(阿羅漢を殺すこと、仏の体を傷つけて出血させること、教団を分裂させること)を犯した提婆達多。それでは彼は何のためにこの時代に生まれてきたのだろうか。キリストも釈迦も預言者であり身内の裏切りを前もって知るところだったにもかかわらず、その行動を許し自らを風上に置いてなお、困難に遭遇したのはどうしてだろうか。それは愛や慈悲を後世に伝えるためには、この「悪」の存在が不可欠であり、そもそも、その悪が人々の心にも巣食うものであったからに違いない。



悪の人々。賢者を裏切る人々。その人でさえ壮大な物語には必要不可欠であったことを思うとき「悪」とは何であろうかと私は思いを馳せてしまうのだ。


あなたは未だ聖人君子ではないとしたら「悪」を行ったこともあるだろう。


人を傷つけ、知らずしらず環境や人々を陥れていることもあるだろう。


また、自分の周りや身近にも自己保身をはかるために個人や組織を貶め、権力者にすり寄り報復を求め、悪しき噂を流す者も多いことだろう。


しかし、もしもその経験が深遠なる貴方の生命活動の永遠の昇華において必要不可欠な経験であるならば、そしてそのことを貴方が覚知できる知恵を備えているとしたら「悪」と断じることが正しいことだろうか。

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人類の歴史で初めて無血革命を達成した かの偉人「マハトマ・ガンジー」は至近距離で発射された弾丸により暗殺されたが、倒れる刹那に額に手をかざしたという。インドではその行為は「貴方を私は許します。」という意味だった。キリストも最期の晩餐の後、弟子が裏切ることを知っていたにもかかわらず許し留まり、釈迦も提婆達多が天王如来となって無数の衆生を救済する付託を与えた。



 人間は愛により生きている。


 だから、自分が生きる源泉である愛に人間は背くことは出来ない。なぜなら人間は愛により生きているから。もし人間が愛に逆らってしまえば愛により罰せられるだろう。それは愛により克服されるまで継続する自己の後悔に他ならない。


 しかし、愛に背くものは「悪」であろうか。慈悲に立ちはだかるものは「悪」であろうか。例えば道に迷った者は、それでおわりだろうか。いいや、道に迷うものはいつか必ず新たな道を見つける。あるいは、その者が強ければ誰も知らなかった道を創ることだろう。


 遠回り。それは迷いであり、煩悩であり、愚かであり、こだわりであり、全てが生命に内在する実相そのものである。そしてそれは必然の学習道程であればどうだろう。だからそれは「悪」ではなく四苦八苦である。その心の状態だ。そしてその心が集まったのが社会そのものであり、そこから出ようとしないことのみが地獄という。



 遠い太古に「悪」が存在しない世界があった。人々の心には正義も悪もなく、ゆるやかに、あるがままに暮らした時代があった。見たいものを見、歩きたい土地を歩き、思うように生きていた。ある日、そこへ「悪」が生まれる。しかし、彼らにとって「悪」と感じる心の状態とは現在の進化に繋がる「正義」だったのかもしれない。



 人間は随時に生きて、時々の知恵により生き延びてきたことだろう。もちろん「悪」なき時代には「正義」も存在などしなかった。そしていつか悪は形を成して物質化して人々を苦悩させるときがきた。


 戦火は永遠と思われるほど人類と共存して来た。しかし、「正義」が形になり物質化するまでは至っていないのだ。それは人間の愚かによるもの。人間は(現代人)は物事を二極化するように誘導教育されている。正邪が物事の基準になり、それが理論となると「切捨て」が必要になるのは道理である。「悪」と見なせば「削除」するのだ。それが戦争であり、それが下等な宗教である。現代の科学も中道の思想にはなく、二極論の延長上にあるために、未だ大自然さえ説明できないでいる。磁気の正体さえわからないのだ。


 「悪」とは貴方自身である。



 「正義」も貴方自身である。


 「世界」も貴方自身である。



 「全て」ひとつの物である。




貴方はその生命が集まった世界の一部を切り捨てることなど出来ない。



全てが貴方自身であり必要だから実在する状態だと知るべきなのだ。



 浄化という言葉がある。


 それは下等な小乗仏教から来た文句であることを皆さんは知っているだろうか。釈迦が無知の衆生に(幼稚園)、いきなり法華経(大学:永遠の生命)を説くことが出来ないために準備に数十年かけて説いたものが小乗仏教。自分さえ幸福になればいいという修行が未だに行われている。


 宗教の浄化、民族の浄化。思想の浄化。そのために人間は戦争をしてきた。そして今度は自分自身である「悪」を浄化するといって否定しようとするのか。大乗仏教では煩悩即菩提という。煩悩があるからこそ最高の愛への道を知るというのだ。自己の生命に提婆達多あればこそ「昇華」される命だと私は理解することが出来る。

 時はいま全ての現象や世界までも包含して、この生命に内在していることを知らなければならない準備が出来た。そう全ての思考が世界を具現化し、その塊が紛争を起こしてきた。その歴史は心が「外」にあるから浄化しなければならないという低俗なものである。原因はわが心にあり、天国も地獄も我が胸の中にあることを知る時代が来たのだ。




愛情とは必ず悪に勝るものであり、その両方の心が貴方の中にある。いいえ、貴方こそが愛の等体であることを知れば貴方の未来も、人々の未来も、この星の未来も貴方が思うように自在に具現化することは「悪」の歴史が証明してくれている。悪とは正義への羅針盤の生命であり、それを含む貴方の心こそが愛なのだ。だから人間は進化し、学習できるのだ。



2012年。人々が人々を自分と同じだと理解できる世界が訪れることを私は胸を押して願う。みんな。ありがとう。


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「 海 風 」


波間に溶けて流れている
冬に心を凍らせていた時
山はまだ遠く白いけれど
立ち尽くす僕には春の風

時はいつも報われるから


貴方しか愛せない僕でも
いつかきっと報われゆく
押し寄せるこの波に似て
見えない力にいだかれる

花はまだ咲かないけれど
この光の力を貯めながら

僕には眩しすぎるくらい
笑顔を魅せてくれるんだ

思い出に溶けて流れては
よみがえる愛しい微笑み
幸せはまだ遠く霞んでも
いつかまた愛を伝えよう






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「愛の森の中で」


生まれ来た意味を探そう
深く息を繰り返しながら

どんなに長い道だろうと
貴方は確かにそこにいる
想ったままの風景の中で
自分の心に包まれながら

生まれ来た場所をみよう
約束の世界と信じながら
どんなに険しい空間でも
貴方は自在に羽ばたける

朝日は昇り沈んでいくね
でも光の記憶を残しゆく
心に集まる愛のひかりを
いつか貴方は見つけ出す

生まれ来た意味を探そう
深く息を繰り返しながら
どんなに長い道だろうと
愛の森に包まれたところ




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「潮騒の詩(うた)」


まつ毛に跳ねる笑顔
地平にまで反射する
一人静かに仰いでも
春は貴方へ歩み寄る

かえりみる潮騒の砂
おどける波は足元の
路を拓いて誘っては
後の足跡消してゆく

愛の風はふところへ
希望の虹はその頬に
眩しく空を仰いだら
春は貴方へ歩み寄る

眠いゲンコツの若葉
緩め開いて欠伸して
雪を流して誘っては
後の恋を消してゆく

ずっと夢を忘れない
いつも愛を感じたい
波と空と虹と潮騒に
誓い泣いた人だから

まつ毛に跳ねる笑顔
地平にまで反射する
素敵な愛を信じたら
春は貴方へ歩み寄る



自由詩人・松尾多聞




どん!

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いま、愛を信じる全ての人々へ

人間の存在と未来を告げよう!

詩人の予言・愛の世界








A pure field is always in your mind.



人は、この身体を自分だと思っています。それが全てだと認識します。

そして少しでも物理的な装飾を求め、栄養をあたえて自分の時間と虚無で流動的な物質に固執しています。

人は、それを比べようとし、または、それが自分よ
りも劣っていると、主観的に思えば相手をさげすみます。

加えて、自分のものに、少しでも人が触ろうものなら怒り、騒ぎだし、自分が比較の対象にされ、劣っていると自分が自覚するなら、自分の命さえ投げ出す人もいます。

愛は自分の中の存在です。人はどんなにがんばっても愛を犯すことはできません。なぜなら人間は愛により生きているからです。

この自然も私たちも、その存在を胸に抱いて産まれます。

ささやかな人の知恵で愛に逆らってしまえば、愛によって必ず罰を受けます。

貴方は、お母様を殴りたいですか?もしも殴ってしまったら貴方は一生後悔しますね。それが貴方の中の愛による罰。

愛は存在です。感じることしか出来ない最高の力です。

では、愛はどうしたら感じることができるのでしょうか。

それは愛することです。偏りなく、普遍的に見返りなく愛するしか方法がありません。

それを信じて、それが出来るなら、貴方はいつか愛を知りそして愛になります。

私はその愛に一度触れたことがあります。
その刹那、たくさんの力をいただきました。

愛は貴方の中にある、この宇宙の最高の能力であり全てとつながっています。

胸にいつも手を当てて、「私は、ここに」

そう言ってください。愛は貴方の大切な場所にいつもあります。


命の虹彩の中で/松尾多聞


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貴方は貴方の中にある生命を切り捨てることなど出来ようがない。