彼女は写真を撮られるのが苦手だった。
僕が理由を聞くと
「どんな顔をしていいか分からないから・・・。」と真剣に困ったような顔をした。
レンズを向けられると居心地の悪い犬のような顔をした。
そして、写真に写る彼女は
いつも、半分泣いているような
笑ってるような
何かを必死でこらえているような
とても、一言では言い表せない表情をフィルムに焼き付けた。
僕達はそんな彼女の写真を見て笑った。
そして、彼女も頬を脹らませつつ一緒になって笑った。
痛々しいくらいに気を使う女の子だった。
はにかむ笑顔は、まるで壊れ物のように繊細だった。
みんな、彼女の事が大好きだった。
僕は22歳で彼女は20歳になったばかりだった。
僕達はみんなジャズマンの付き人だった。
それぞれのお師匠さんがセッションする度に僕らも顔を合わせるようになり気の合う人間だけが集まるようになった。
彼女は一番年下で、背も低く子供っぽかったせいかみんなの妹のような存在だった。
彼女の名前は「コト子」と言った。
コト子は有名な女性ボーカリストの生徒の一人だった。
仲間のうちでは一番年齢の近い気安さもあったのだと思う。
それに、お互いの「生き辛い」性分がどこかで心安らぐものがあったんだと思う。
僕とコト子は気が合った。
お互いに貧乏でボーヤやアルバイトや単位なんかに追われて、なかなか暇もなかったけれど時間が合えば、一緒にライブハウスや、レコード店を歩き回った。
そして、よく二人でスタジオに入って練習をした。
僕の拙いピアノの伴奏で、彼女は小さい体をいっぱいに使って歌った。
声量があるわけでもなく、特別声が良いのでもないけれど、彼女の歌には何かがあった。
瞬間で消えてしまいそうな儚いものではあるけれど歌声の奥底に心を震わせるような特別なものがあった。
小さな、とても小さな灯りのようなもの。
それは、誰のものでもない、そして誰が望んでも手に入れることの出来ない
彼女の才能そのものだった。
しかし、同時にコト子には致命傷ともいえる欠点があった。
観客の前で歌えないのだ。
コト子の場合は内気を遙かに通り越していた。
本当に安心できる人間でないと言葉もうまく交わせなかった。
「声が音になって喉から出てこないの・・・」と彼女はいつも僕に話した。
それは、僕にとってよく分かる感覚だった。
彼女は深い森の中にいるのだ。かつての僕がそうだったように・・。
彼女のお師匠さんはそんな彼女のことを可愛がり、なんとか彼女を森の中から連れ出そうとした。
彼女も必死に答えようとしていたけれど森の夜は深く、道を照らし出すには彼女の灯りは幾分弱く頼りなかった。
桜の枝が薄桃色に色付き始めた頃
彼女のボーカルクラスの発表会がライブハウスで行われた。
前日の電話で彼女を励ましつつ不安な気持ちでライブハウスへと向かった。
僕の心とは裏腹に、風は暖かで穏やかな夕暮れだった。
ボーヤ仲間もスケジュールをやりくりして彼女の為に集まった。
彼女が登場したのは3番目で曲は「ボーン・トゥー・ビー・ブルー」
僕らは祈る気持ちで最初の歌声を待った。
しかし、僕らの祈る気持ちも空しく、彼女の出来は散々だった。
発表会も終り、打ち上げも兼ねて僕らは彼女を連れて居酒屋に向かった。
みんな彼女をいたわり、優しい冗談で笑わせようと必死だった。
みんな彼女の事が好きだったから。
彼女は、俯き加減になりながらも笑顔を絶やさなかった。
それぞれの事情の為、一人去り、二人去り、最後に一番年長のカイさんが
「あとはよろしくな!」と店を出て、僕とコト子が残された。
二人きりになると、コト子は黙り込んでしまった。
僕は何とかコト子を元気付けようとしたが
気の利いたセリフのひとつも思い浮かばずにタバコを吹かしているだけだった。
そして、僕が「そろそろ・・・」と席を立とうとした瞬間、
「あたしは・・・」
と下を向いたまま話し始めた。
慣れない酒を飲んだせいもあってか舌も回らぬように・・・。
「あたしは何も変わらない。昔から弱いまんまだ!あたしは弱い、弱い、弱いよぅ。変えたくて、強くなりたくて東京に出て来たのに。」
「何で・・・何で・・・。」
涙と鼻水でグシャグシャな顔になりながら
「何で・・・何で・・・。」と繰り返した。
そんなコト子に僕は「そろそろ・・帰ろう・・・。」と言うのが精一杯だった。
終電もなくなり、タクシー代なんてもちろんなくて、おまけにコト子はまともに立てないような状態だった。
コト子の部屋まではおよそ1駅分。
僕はコト子をおんぶしながら歩き始めた。
春の風が柔らかく頬を撫でた。
桜の葉が優しく囁く。
いつの間にか彼女は静かな寝息を立てている、それはまるで彼女の為の子守唄のようだった。
彼女の切なさや悲しさを春の風が優しく包み込んでゆく。
小さな彼女の意外な重みを感じながら僕は何だか幸せな気分で歩いた。
春の柔らかな風が優しく背中を押していく。
それから、しばらくは僕も忙しくなりコト子とは会えずにいた。
彼女から電話がかかってきたのは
ゴールデンウィークを控え街の空気が華やいでいる時だった。
「あのね、田舎に帰ることにしたの。」
と、コト子は言った。
「ジャズはやめちゃうのか・・・。」
と僕。
「うん、人前で歌えなくても歌うことは出来るから!」
とコト子の元気そうな声に安心しながら見送りにいくことを約束した。
誰もいない新幹線の待合室でで僕達はコーヒーを飲んでいた。
「本当にお世話になりました」
といつもの照れたような笑顔で話す彼女は
「そうだ!お礼しなきゃ!」
と、コーヒーを持ったまま歌い始めた。
曲はボーン・トゥー・ビー・ブルーだった。
彼女は瞳を閉じて、祈るようにバラードを歌った。
僕も瞳を閉じて、その声に身を委ねた。
それは僕が聴いたジャズの中で最も美しい演奏だった。
歌い終わると彼女はいつものように照れたような笑顔を僕に向けた。
僕もはにかみながら彼女の頭をクシャクシャっと撫でた。
新幹線がプラットホームに滑り込み彼女が窓際の席に座る。
僕らは照れくさそうに笑いながら出発のベルを待つ。
新幹線が動き出した時に、彼女の唇がゆっくり大きく動いた。
「あ・り・が・と・う」
そして、振り千切れんばかりに手を振り
彼女を乗せた新幹線はプラットホームから見えなくなった。
一人残された僕の頭の中には
彼女の歌声がいつまでも響いていた。
i`d like to laugh.but nothing strikes me funny now my worlds a faded pastel
僕が理由を聞くと
「どんな顔をしていいか分からないから・・・。」と真剣に困ったような顔をした。
レンズを向けられると居心地の悪い犬のような顔をした。
そして、写真に写る彼女は
いつも、半分泣いているような
笑ってるような
何かを必死でこらえているような
とても、一言では言い表せない表情をフィルムに焼き付けた。
僕達はそんな彼女の写真を見て笑った。
そして、彼女も頬を脹らませつつ一緒になって笑った。
痛々しいくらいに気を使う女の子だった。
はにかむ笑顔は、まるで壊れ物のように繊細だった。
みんな、彼女の事が大好きだった。
僕は22歳で彼女は20歳になったばかりだった。
僕達はみんなジャズマンの付き人だった。
それぞれのお師匠さんがセッションする度に僕らも顔を合わせるようになり気の合う人間だけが集まるようになった。
彼女は一番年下で、背も低く子供っぽかったせいかみんなの妹のような存在だった。
彼女の名前は「コト子」と言った。
コト子は有名な女性ボーカリストの生徒の一人だった。
仲間のうちでは一番年齢の近い気安さもあったのだと思う。
それに、お互いの「生き辛い」性分がどこかで心安らぐものがあったんだと思う。
僕とコト子は気が合った。
お互いに貧乏でボーヤやアルバイトや単位なんかに追われて、なかなか暇もなかったけれど時間が合えば、一緒にライブハウスや、レコード店を歩き回った。
そして、よく二人でスタジオに入って練習をした。
僕の拙いピアノの伴奏で、彼女は小さい体をいっぱいに使って歌った。
声量があるわけでもなく、特別声が良いのでもないけれど、彼女の歌には何かがあった。
瞬間で消えてしまいそうな儚いものではあるけれど歌声の奥底に心を震わせるような特別なものがあった。
小さな、とても小さな灯りのようなもの。
それは、誰のものでもない、そして誰が望んでも手に入れることの出来ない
彼女の才能そのものだった。
しかし、同時にコト子には致命傷ともいえる欠点があった。
観客の前で歌えないのだ。
コト子の場合は内気を遙かに通り越していた。
本当に安心できる人間でないと言葉もうまく交わせなかった。
「声が音になって喉から出てこないの・・・」と彼女はいつも僕に話した。
それは、僕にとってよく分かる感覚だった。
彼女は深い森の中にいるのだ。かつての僕がそうだったように・・。
彼女のお師匠さんはそんな彼女のことを可愛がり、なんとか彼女を森の中から連れ出そうとした。
彼女も必死に答えようとしていたけれど森の夜は深く、道を照らし出すには彼女の灯りは幾分弱く頼りなかった。
桜の枝が薄桃色に色付き始めた頃
彼女のボーカルクラスの発表会がライブハウスで行われた。
前日の電話で彼女を励ましつつ不安な気持ちでライブハウスへと向かった。
僕の心とは裏腹に、風は暖かで穏やかな夕暮れだった。
ボーヤ仲間もスケジュールをやりくりして彼女の為に集まった。
彼女が登場したのは3番目で曲は「ボーン・トゥー・ビー・ブルー」
僕らは祈る気持ちで最初の歌声を待った。
しかし、僕らの祈る気持ちも空しく、彼女の出来は散々だった。
発表会も終り、打ち上げも兼ねて僕らは彼女を連れて居酒屋に向かった。
みんな彼女をいたわり、優しい冗談で笑わせようと必死だった。
みんな彼女の事が好きだったから。
彼女は、俯き加減になりながらも笑顔を絶やさなかった。
それぞれの事情の為、一人去り、二人去り、最後に一番年長のカイさんが
「あとはよろしくな!」と店を出て、僕とコト子が残された。
二人きりになると、コト子は黙り込んでしまった。
僕は何とかコト子を元気付けようとしたが
気の利いたセリフのひとつも思い浮かばずにタバコを吹かしているだけだった。
そして、僕が「そろそろ・・・」と席を立とうとした瞬間、
「あたしは・・・」
と下を向いたまま話し始めた。
慣れない酒を飲んだせいもあってか舌も回らぬように・・・。
「あたしは何も変わらない。昔から弱いまんまだ!あたしは弱い、弱い、弱いよぅ。変えたくて、強くなりたくて東京に出て来たのに。」
「何で・・・何で・・・。」
涙と鼻水でグシャグシャな顔になりながら
「何で・・・何で・・・。」と繰り返した。
そんなコト子に僕は「そろそろ・・帰ろう・・・。」と言うのが精一杯だった。
終電もなくなり、タクシー代なんてもちろんなくて、おまけにコト子はまともに立てないような状態だった。
コト子の部屋まではおよそ1駅分。
僕はコト子をおんぶしながら歩き始めた。
春の風が柔らかく頬を撫でた。
桜の葉が優しく囁く。
いつの間にか彼女は静かな寝息を立てている、それはまるで彼女の為の子守唄のようだった。
彼女の切なさや悲しさを春の風が優しく包み込んでゆく。
小さな彼女の意外な重みを感じながら僕は何だか幸せな気分で歩いた。
春の柔らかな風が優しく背中を押していく。
それから、しばらくは僕も忙しくなりコト子とは会えずにいた。
彼女から電話がかかってきたのは
ゴールデンウィークを控え街の空気が華やいでいる時だった。
「あのね、田舎に帰ることにしたの。」
と、コト子は言った。
「ジャズはやめちゃうのか・・・。」
と僕。
「うん、人前で歌えなくても歌うことは出来るから!」
とコト子の元気そうな声に安心しながら見送りにいくことを約束した。
誰もいない新幹線の待合室でで僕達はコーヒーを飲んでいた。
「本当にお世話になりました」
といつもの照れたような笑顔で話す彼女は
「そうだ!お礼しなきゃ!」
と、コーヒーを持ったまま歌い始めた。
曲はボーン・トゥー・ビー・ブルーだった。
彼女は瞳を閉じて、祈るようにバラードを歌った。
僕も瞳を閉じて、その声に身を委ねた。
それは僕が聴いたジャズの中で最も美しい演奏だった。
歌い終わると彼女はいつものように照れたような笑顔を僕に向けた。
僕もはにかみながら彼女の頭をクシャクシャっと撫でた。
新幹線がプラットホームに滑り込み彼女が窓際の席に座る。
僕らは照れくさそうに笑いながら出発のベルを待つ。
新幹線が動き出した時に、彼女の唇がゆっくり大きく動いた。
「あ・り・が・と・う」
そして、振り千切れんばかりに手を振り
彼女を乗せた新幹線はプラットホームから見えなくなった。
一人残された僕の頭の中には
彼女の歌声がいつまでも響いていた。
i`d like to laugh.but nothing strikes me funny now my worlds a faded pastel