Re. 私は一人の絵描きとして理想とする…あなたに問いたい。



私はモノづくりの人。


趣味の時間に好きな音楽を流して描きたい絵を描く。


モノづくりの人として忘れてはいけないことは、作ったモノが第三者を幸せにすこと。


だから、客観的な視野を持ち、常に第三者のことを考えなければならないと思ってる。


だから休日はどこへでも歩いてみる。絵描きなのに外に出るのが好きな私。


いろんな人と会ってみる。話してみる。ファッションに目を向け、身に着けてみる。違う考えを取り入れてみる。


新たな出会い。それが経験として、知識として身に付いていく。


デザイン、経済、トレンドには共通点がある。人々の心境や景気、環境よって変化する。


だから面白い。いろんな考えに触れることでデザインは私の中で変化を繰り返し、私の色としてイラストに描いていく。そこへ私の考えや考察を練りこんでいく。


『現実』という描かれたキャンバスに『自分の考え』という色を塗ってファッションイラストを描く。それが私の描き方。


基本的に『現実』が『自分の考え』を上回らないようにしている。『現実』に私が多く色を塗ると言うことは評価されないモノを作る危険性があるから。


しかし、日本の『現実』というキャンバスを眺めていて、私は疑問を感じている。


その『現実』というキャンバスに他の人が『自分の考え』を塗ろうとしたら?もし、その塗られた『現実』は他の『自分の考え』によって見えなくなってしまったら?


今、日本の『現実』は塗りつぶされようとしている。わずかな筆によって『自分の考え』の色を大量に。


2015年。戦争法ともいわれた安保法制がこの日本で可決された。


3・11の東日本大震災並びに福島第一原発事故後から少しづつ塗られていたんだろう。吉田調書の問題とか。


特定秘密保護法が可決されたときにこの国の立憲主義は崩された。そして、安保法制。憲法の定義は何であったのだろうか。


一度塗られたキャンバスの色は落とせない。加筆して色を塗り直さなければならない。


しかし、各々が好きな色を塗りたがり元の姿が見えない。


いろんな欲望や権力の『自分の考え』によって。


ねえ。これからあなたに質問するからよく聞いてね。



ある冒頭で流れた言葉…


「人は皆 目を閉じて生まれてくる そして 大半はそのまま生涯を終える 指導者にやみくもに従い存在意義を感じるためなら喜んでわが身を犠牲にする」


『自分の考え』という色は誰もが絶対に持っている。しかし、その色は果たして自分の『自立心』から作られた色ではなく、誰かの色をそのまま『自分の考え』として使っていないか、もしくは近似色にとして使われていないかと言うことだ。


私 が見てる感じで、今の経済は金融資本主義で資本家が投資をすることで、その労働が成り立ち生産と消費をおこなう。トリクルダウンと呼ばれる富裕層が富を得 ることにより、中層下層にも富が回る考えが普及していて、そういう定義だと思われてきた。クズネッツのデータから導き出された『クズネッツ曲線』も影響が 大きいだろう。


しかし、1+1=2なので、波があるのは言われていることで、ここ最近では中国バブルの崩壊とか。株による金融資本は安定していない。


ここで新しい考えが出てきた。トマ・ピケティの『21世紀の資本』である。


データにより従来の考え方による富の分配は否定された。私も『21世紀の資本』は勉強中なので喋れないけども。


しかし、どの経済思想、宗教思想、政治思想にも権力が存在し、思想が崩れることによってその権力は力を失う。だからその色を使い続ける。自分の権力を守るために『自分の考え』を変えない1%の大きな筆がある。


思想家や指導者がいて、強い思想や理論がある。ケイビスのマクロ経済学、マルクスの資本論、ルソーの社会契約論、ファシズム、キリスト教、イスラム教、仏教などなど…


その思想や指導に忠誠を誓って動く人、その思想や忠誠を利用して『自分の考え』に染めようとする人、恐怖によって強引に染めようとする人がいる。


さらに言えばその下にもピラミッドみたいに同じような思想家や指導者がいる。


しかし、それに力が及ばない残り99%の筆はどうだろか。


今、注意していることは『自分の考え』を載せたパレットは1%の色に近似しているだろう。そこに別の色を足してしまったり、足されていないかと言うこと。


私もどうなのかわからない。それこそ、今の教育というのは考えさせる能力を身に付けることに重点を置いているのではなく、1%の即戦力として存在意義があるように教育されているような気がしなくもないから。


個人の好奇心に即戦力としての存在意義が共鳴して若き天才が生まれることがある近年。一方で、個人の好奇心とは別の即戦力を植え付けられようとして失敗し、『自分の考え』が持てずに他の色が混ざりながら人生に流される凡人。


ねえ。私達は何のために筆を持ってるの?



ある日、3・11後の原発の安全性に疑問を持ち、地元北海道の原発を廃炉にする『自分の考え』を持った人たちと出会った。以降、そこでの活動に参加するようになった。これが私の市民運動の始まり。


平和安全保障関連法案(以降、安保法制)の問題が始まり、若者中心の戦争反対デモに参加してから仲間も増えた。


みんな違う『自分の考え』を持ちながら、お互いの色を混ぜ合わせ、『現実』に『民主主義』という作品を描こうとしてる。安保法制が可決された今も。


しかし、自分たちよりも大きい筆は私達が描いている作品に『自分の考え』を加筆する。


そして今、お互いの色を混ぜ合わせた『自分たちの考え』ができてきた。複数の筆で作られたその色は、その大きい筆の色に対することができるかもしれない。そんな期待がある。


当然、統一された色にならない絵の具の色。だが、そのパレットとキャンバスで互いを認め合う。


相手の大きな筆は小さな筆を自分の色に染め上げ、大きくなってきている。でも、このまま『自分たちの考え』が多くの人のいろと共有し、多くのパレットにのれば、対抗できるだろうと思ってる。


し かし、その『自分たちの考え』を載せたパレットに別な大きな筆が色を足し、せっかく出来上がった『自分たちの考え』が、近似色のいくつかの大きな古い筆の 色に染められようとし、『自分たちの考え』がそれぞれの『自分の考え』のところに分離されそうになってる。その危機感。


小さい筆の色同士は混ざり合っても、大きい筆同士は色を混ぜあい『自分たちの考え』になろうとしていない。


若い筆は大変である。色を混ぜあいながら、「日常を守れ!」とは言いつつも、手持ちの色が少なく、戻ることは困難であるから。筆が折られようとしたり傷つけられたりする。そして、何かしらの大きい筆の影響はあるのだから。


私も手持ちの『自分の考え』は少なくなってる。私はご本尊様を拝し、仏法に基づく色があり、剣道と書道から得た武士道の色、なによりイラストの客観的視点の強い色がある。


そこに今は市民活動家としての色、社会主義の色、走り屋としての色、経済発展を考える色、職人としての色が混ざっているけども。


ただ、混ざり合うことを嫌がる筆がいて、私の筆というのも嫌われる。全てじゃなく、一色だけとか、いろいろと。


従来の友達や知り合いと縁が切れただけならいい。職場や家族との関係に亀裂が入ってしまった。ストレスで頭も禿げた。でも、みんなと一緒に『自分たちの考え』を塗ろうとしてる。


私でこれなら、もっとすごいストレスや過酷な環境に置かれてる『自分の考え』は沢山いる。仲間に毎日のように嫌がらせを受ける人もいる。でも、全くの素人がここまで妥協して認め合い『自分たちの考え』を持とうとしてる。


しかし、もっと大きい筆を持った『自分の考え』は少ししか混ぜ合わせていない。


互いの『自分の考え』を認め合わないのだろうか。


なんで、どこかに排外的なモノをみんな抱えるのだろうか。


混ざらないと、反対いる大きな筆の『自分の考え』の思うつぼではないのだろうか。


ねえ。なんで彼らは『自分の考え』にたっぷりと染まりたいのだろう?



私としては何がどこまで政治に関わっていいのかわからない。


政治家、資本家、労働者、公務員、法律家、宗教者…


三権分立というのは守られても再び壊されようとする。今、日本はある一つの『自分の考え』に
よってまとめられようとしているのではないだろうか。


それこそファシズムである。


未だにヒトラーの『自分の考え』を尊敬する筆も多い。


神のお言葉だからと武器を持って戦え、血を流せという『自分の考え』に走ってしまったのもいる。


日本も先が不安。


『第二次世界大戦』を『大東和戦争』と呼び、戦争を美化し、戦犯を英雄として祀る。


どこかで政治と経済、宗教は切れない関係なのだろう。


しかし、平和とはなんであるか。


仏様、聖人イエス・キリスト、預言者ムハンマド…


どの説かれた教えも、信仰の違いはあっても、道徳としては一致してる点があると私は思う。


私は日蓮大聖人様の教えのもとでご住職様から色々と説法を頂戴してきた。


剣道でも学んだことがある。


『礼に始まり礼に終わる』『打って反省打たれて感謝』


競争しつつも、相手を認めて思いやることができないのだろうかな。と。


弱い相手を叩きのめす『自分の考え』を見直さないのだろうかと。


『相手を疑って『自分の考え』を保守して対立する』のではなく、『相手を信頼して、『自分の考え』を共有して競争する』と言うことはできないのだろうか。


ねえ。反対の『自分の考え』と混ざっていけないの?



作家の先輩たちはいろんなことを伝えてくれてる。


SF好きな私。小説、ゲーム、映画とか。


人間としての生き方。社会のとらえ方を教わったのはここからかも。


作品に描かれた未来へのメッセージと世界観。


しかし、描かれるのはどこか悲しみを感じ、どこか、人間性というのを考えさせられる。


利便と代償…


利を勝ち取るための奪い合い。


『生きる』ということに、悲しみと展望を描く。


自分は長く生きてないからわからないけども、何か見えてるのだろうか?


作品としては違うけども、どこか、どの作品も似た世界があったり。


ふと、アインシュタインの言葉が浮かぶ。


「I know not with what weapons World War III will be fought, but World War IV will be fought with sticks and stones.(第三次世界大戦はどう戦われるか、わたしにはわかりませんが。しかし、第四次世界大戦は棒と石を使って戦われることでしょう。)」


現実を見て、何かを頭で描いていたのだろうか。


『ハルマゲドン』と『最後の審判』


どちらもSFの作品によく出てくる。ヨハネの黙示録に出てくる言葉。


たまに現実世界で言う人もいる。「我々は最終戦争に勝利し、天へ行くのだ。」とかね。


よく描かれる『荒廃した世界』や『体が腐ったり変異した人や生きもの』というのは、この二つの後の話かとも思ってしまう。


見えているのだろうか?


そんな疑問もある。


先人たちは現実というキャンバスに『戦争』という色を塗ることを嫌い、その『戦争』の結末がキャンバスが破れることだとしている。


先人が見る終末論とは何か。


作家がなぜ、こんな終末論を描くのか。


ねえ。私達の世界は皮肉に染められた世界なの?



モノづくりの人として、客観的な考えと目を持つこと。まだ若いからいいけど、歳をとったら周りみたいに視野が狭くなるのかな。それが怖い。


すでに狭いかもしれない。なんたって、それに気が付かない人がほとんどだし、それを『効率化』ともいう。


1歩下がって物事を見る。すごく大事。でも、仕事ができないと怒られる。バランスが難しい。


だから『自分の考え』を誰かに染める。楽だから。でも、したくない。


自分の考えを持ってこそ絵描きだから。


自立心をもった妥協ではないだろうから。譲歩かな。


今、この国のある『自分の考え』は、『平和』という言葉を嫌っている。まるで、戦争が、今の経済が『平和』じゃないと言ってるかのように。


思想は変わる。


正直、マルクスの資本論も完成を見てみたかった。マルクスの手によるもので。それが革命で終わるものなのか、わからないような気がするから。


当然、クズネッツやトマ・ピケティの統計データは正しいだろうし、こういった考えもまた世間では変わっていくのだろう。


絵描きとして、思想、経済、信仰の変化を見なければならない。それがファッションに影響する。


ファッションは世の中を映す鏡。カラフルな日常が広がれば、それが平和なんじゃないかと思う。


それを『現実』というキャンバスに描きたい。そして、その日常を作品として描きたい。絵描きとして。



ここまで長かったけど、ちゃんと読んでくれたかな?


ねえ、あなたに問いたいの。


今、ある人に願いを託して、その色に染めながらも応援してる。


その人は私が見てきた中でそんな自分の色を押し付けようとしない。


私の色の居場所をくれてる。


ひとりひとりの色の居場所をくれてる。


やさしく、思いやりのある色。


今、この北海道で闘ってる。


私も応援してる。


この選挙だけが闘いじゃない。


一番は現実というキャンバスを破られないようにすること。


そして、一色の大きな筆によって塗りつぶされないようにすること。


でも、これがはじまり。


きっと、新たな浸食は始まる。


すでに若い筆はそう。


元々話し合うのを望んでた。


でも、染められて『自分の考え』を維持するのが厳しくなってる。


大きな筆は常に背後にいるもので。


すでに、そんな人たちを見てきた。


あれだけ仲良かった色も同じパレットに乗らなくなるのかな?


私も染められてしまうのかな?


ある政治家が「今の既成政党は化石となってる。」って言ってたけど、私たちもその化石となってしまうのだろうか?


生きてる社会。


生きてる色。


生きてるひとりひとりを同じパレットに色をのせたい。


思いやりのある社会を。


みんなでキャンバスに描ける社会でありたい。


私たちは犠牲者かもしれない。でも、次の世代に私たちみたいな思いはさせたくない。


私たち若い筆の宿題でもあると思う。


でも、この状況からはじめるのは難しいかもしれない。


そんな私たちを導いてくれませんか?


その人は多彩な色、多彩な考えを持ってるから。


私が見てきた中の1人。


『思いやりのある社会』


闘った相手にも心を開ける社会でありたい。


弱い人にもちゃんと手を差し伸べてくれる社会でありたい。


こんな作品を実現できる人じゃないかと思った。


期待して私は応援してる。


私はこの結果にかかわらず、その後も応援しようと思ってる。


私の色の使い方。



あなたはどう思ってるの?


あなたはその白い体にいろんな色を塗られていく。


あなたが嫌がることがあるかもしれない。


でも、なかなかそれが私たちには伝わらない。


私だって聞きたい。あなたに問いたいことがある。


「あなたはどんな作品なの?」




…あなたの返信を待ってるよ。



by, Tsurushigaki.

お久しぶりです。。。






急にですが、4月から札幌の専門学校に通います(※ホントに急)




…実は会社に居づらくなっていた2月初旬。親から専門学校に行ったらどうだ?と言われ、再進学を考えまして、2月の間に入学願書を書いたり、住む場所決めたりとヽ(;´ω`)ノ



工業系からデザイン系のモノづくりへ移行します!!



という、この更新していない1ヶ月の間も描いていないわけではないです。









2月6・7・11日、札幌雪まつりが行われた期間中に行われた『ウェルカム札幌アクション』。こちらのプラカデザインに…



横断幕。





こちらは自分がアドバイスというか文字組みを行っただけですが。





風船と配布チラシ以外を担当させていただきました。









簡単なポートフォリオ的なのを作り…







バレンタインのイラストと、そのアレンジ。






ユニキタのフライヤー。2月27日のデモです。あ、自分もユニキタのメンバーです。





サウンドカーの横断幕に…





クルマの正面に別の横断幕も作って貼ってます。





手に持つ横断幕としても使用。





…直接作ったわけではないですが、共産党職員の人に「こんなのがいいんじゃない?」とスケッチによるコンセプトを描いてアドバイスしたり。





新たにユニキタのグッズ作るのにデザイン考えたり…





明日の街宣!写真は別の方ですが(※提供ありがとうございます。)他のデザインはメンバーと話し合いながらですが、作成は自分です。



それと、まだ公表になっていないのでお見せできませんが、十勝まちづくり研究会による『十勝子ども白書2015』の表紙絵を担当させていただきました。



以上、入学準備と並行作業のため、余裕がありません(;'∀')



デザイン系の専門学校に行って、デザイナーになるべく札幌に行ってきます(-^□^-)



…すでにこれで収益取ってるなら、食べて行けそうですがw(※当然、(ほとんど)市民運動と趣味のため無償です)





















いろんな人に会った1年でした(最後の人は遠くからしか見てません)



5年前。まだ18の高専生で、再試ばっかりやって親に怒られ、剣道の先生にネチネチと怒られ、製図やレポートの課題で何回も再提出喰らっていたのが懐かしい。


その日も再試勉強で学校にいた。


突然起こった揺れ、地震の多い釧路だからいつもだろう。そう最初は感じたものの、その揺れの長さと感覚に気味が悪くなった。


近くにいた先生が叫んだ。宮城で地震だと。


続く余震。低い土地という津波の恐怖。バスが途中で止まって、昭和から文苑まで歩いて帰ってニュースを見た。


畑を飲み込む津波。


気仙沼の火の海。


仙台市若林区に従兄弟が住んでいたので、連絡したくてもつながらず、何百人の遺体が見つかった。というニュースを見たときは覚悟した。


でも、数日後に電話が来て無事が確認できた時はうれしかった。


ただ、それが始まり。


福島第一原発がメルトダウンし、建屋が崩壊。


学んだ技術や理論を疑った。


こんな危ないモノを私達は使ってたんだな。っと。


ただ、そのまま復興とはいかなかった。


経済。金。政治…


どっかで『フクシマ』をビジネスや権力の受け皿にしてるように見えた。


客観的に物事を見なきゃいけないのがモノづくりの人間。だけど、見たくないモノを見てしまった気がする。


学校の授業の一部、応用物理と専門科目の一部に原子力の時間が突然組み込まれた。


先生が「もっと重要なことがあるだろ。」とぼやいてた。


違和感があった。だって、原子力の利用を肯定して教育させられてる感じだったから。


電力会社や原子力関係の企業に就職した同期もいた。仕事に着いて原発に行くことになって「死にたくない。」という声もあった。


逃げてた。怖くて。


3年後。再びニュースを見るようになったのはアベ政権での特定秘密保護法のとき。


イラストばっかで使っていたネットを政治へ。私の安倍下ろしはそこから。


初めて行ったデモは2014年の札幌。反原発七夕パレードだったかな。


廃炉の会と出会ったのは秋ごろ。


会ってなかったら変わってなかっただろう。春から路上の仲間入り。


ふるえるデモから本格化。その後いつからか活動家。左翼と言われてもおかしくないなとは思いながら。


怒られまくってた学生時代の先生にも話を聞いてもらったりもした。こんな時になって怒ってくれてたことに感謝してます。


3・11のあとのこと。


戦争法。原発。核…


つながってたんだなっと。


私が言いたいこと。


お金じゃない。


政治家やビジネスに興味があるんじゃない。


『いのち』というものが軽視されてる現状に、『あたりまえ』ことを言ってるだけ。


親にも、ご住職にも、先生にも『いのちを大事にしなさい。』とあたりまえに言われてきたのに、それをなんで偉そうな人はできないの?


たったそんだけのことに、なんでモノづくりの人が政治に声上げなきゃならないんだろな。っと思いながら。


もう一度言うけども…


『いのち』を大事にすること。


資本主義だろうが共産主義だろうが、景気がどうこう、宗教や思想がとか、そんなもん関係ない。


大事にして『あたりまえ』なんです。


また、今年も動いてます。今目の前にあるのは北海道五区補選。


重要な一選。池田まきさんに何度かお話を聞く機会もありました。


4月。また新たなモノづくりの人になります。



3・11


これが今も路上に立つ理由なんだろうし、終わったといえないから立つ。


復興も見えてきた。嬉しいことです。


ただ、2度は繰り返さない。原発は人災とも思えるので。


亡くなった方のご冥福をお祈りし、復興が進むことに自分も関われたらと思います。


モノづくりの人として。Tsurushigakiでした。






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御無沙汰してます。SNSの更新すら滞ってるTsurushigakiです。



ツラいです。



仕事に…ですね。頑張ってやってても結果が残せず、精神的にツラくなってます。怒られまくりで休日に課題を出されるくらいなので。



ええ、仕事ができない自分が悪いですけどね。工業系向いてないんだろか。。。





さて、本題に入ります(※前置き暗いわw)





昨日1月30日、札幌のススキノで戦争法廃止、野党共闘を呼び掛ける街頭宣伝にユニキタのメンバーの一人として係わってましたにゃ



自分は美術担当として、街宣車のデコレーションとデザイン…





プラカデザインに…(…このパターンしか今回は作ってないのですが)





ユニキタのTwitterで流していたススキノ街宣までの画像(撮影は別な人。バナーと編集が自分)を毎日作ったりと。



わくわくものですね。前日のLINEのテンションみんな高かったアゲアゲ





当日。



朝から準備を手伝いまして、午後6時。500人ほどの人が集まりましたびっくり!!



自分は街宣車のセッティングしたら、一レフ持って写真パシャパシャ





東京からSEALDsのすわっち来てくれてスピーチ(※イケメン)





ユニキタからは、ほなみちゃんがスピーチ。



終盤に「つべこべ言わずに野党は共闘しろや!」と圧巻の一撃びっくり!! びっくり!!びっくり!!



全国的に見られている衆議院北海道5区補選。



最後にコールも巻き起こりましたメガホン





本当は今日も別な活動があったのですが、自分は帯広からなので懇親会が終わったら帰宅。



いや、札幌にいたかったですよ。みんなといるの楽しいし、好きなので萌え



今日はしっかり体を休めてます。やらなきゃいけないこと。頼まれたイラストがあるので`・ω・



…さて、明日どんな気持ちで会社に行けばいいか悩むTsurushigakiでした(※仕事のメンタルは回復してない)




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Re.民主主義へ。私は一人の絵描きとして尊敬とする…あなたに問いたい。



私はモノづくりの人。普段は工場で職人として現場で働いてるし、趣味の時間では、好きな音楽を流して描きたい絵を描く。


モノづくりの人として忘れてはいけないことは、作ったモノが第三者を幸せにすこと。


だから、客観的な視野を持ち、常に第三者のことを考えなければならないと思ってる。


だから休日はどこへでも歩いてみる。絵描きなのに外に出るのが好きな私。


いろんな人と会ってみる。話してみる。ファッションに目を向け、身に着けてみる。違う考えを取り入れてみる。


新たな出会い。それが経験として、知識として身に付いていく。


デザインと経済には共通点がある。人々の心境や景気、環境よって変化する。


だから面白い。いろんな考えに触れることでデザインは私の中で変化を繰り返し、私の色としてイラストに描いていく。そこへ私の考えや考察を練りこんでいく。


『現実』という描かれたキャンバスに『自分の考え』という色を塗ってファッションイラストを描く。それが私の描き方。


基本的に『現実』が『自分の考え』を上回らないようにしている。『現実』に私が多く色を塗ると言うことは評価されないモノを作る危険性があるから。


しかし、日本の『現実』というキャンバスを眺めていて、私は疑問を感じている。


その『現実』というキャンバスに他の人が『自分の考え』を塗ろうとしたら?もし、その塗られた『現実』は他の『自分の考え』によって見えなくなってしまったら?


今、日本の『現実』は塗りつぶされようとしている。わずかな筆によって『自分の考え』の色を大量に。


2015年。戦争法ともいわれた安保法制がこの日本で可決された。


3・11の東日本大震災並びに福島第一原発事故後から少しづつ塗られていたんだろう。吉田調書の問題とか。


特定秘密保護法が可決されたときにこの国の立憲主義は崩された。そして、安保法制。憲法の定義は何であったのだろうか。


一度塗られたキャンバスの色は落とせない。加筆して色を塗り直さなければならない。


しかし、各々が好きな色を塗りたがり元の姿が見えない。


いろんな欲望や権力の『自分の考え』によって。


ねえ。あなたはどんな作品なの?







…今、どう野党共闘をうったえ、どう、みんなに独裁政治の足音が近づいていることを伝えようか、どうしたら伝わるのか、


私が絵描きで絵が描ける、作品作りができて、色々と歩いて巡ってみて、今の現状ををどう伝えるか。


今、文章としても挑戦中。その最初の部分(未完成)を載せてみました。


『戦争したくなくてふるえる。』デモに参加してから約半年、お金がないのに10回以上は200km先の札幌まで足を運んだ。


変われたんだとは思う。でも、どうしていいかわからないし、考えが合わなかったり。

定年に近いオジサンたちにはお金のことだったり利権のことだったりで、思いやったり妥協したりしないのかと思っちゃうし。


なら、国会前に集まった自分と同じ世代は?勉強とか恋愛とかやることあるのに、その中でも時間を作って互いの考えの違いを乗り越えてる。

当然危険。ナチスに学ぼうとか言ってる政府だし、誹謗中傷で傷つけられたり、不当に捕らえられたりしてもおかしくない。


根っからの人が共産主義者は嫌いだ。とか、あいつらは元社会党だ。とか、考えが違うんだから共闘したくない。ってこの場に及んでまだ言うかって話だし、平成生まれからしたら、そんなもの知るか。って話。


じゃあ、自分はどうなの?って話だけど、マルクス型の共産主義・社会主義に賛成してないのに、共産党とも活動してるし、日蓮正宗だからと言えど、どの他の宗教者とも仲良く活動してる。


当然個人としての考えは変える気はない。無視したいとこは無視。配慮することもあるけど。


この発言で、知らない人からしたら亀裂が生じたと思う。でも私からしたらそのぐらい妥協は必要だったってこと。

この半年で、知人、家族、職場…好きな周りの人間関係に亀裂が生じた。彼女がいまだいなくてよかったと思うくらい。


さらに言えば、警察と公安に顔と名前を憶えられてたし、札幌の警察に親戚が3人もいるらしい(最近知った)ことを考えれば、自分の日常なんて取り返しがつかない状態だろうし、危険。


当然、こんなことをネットで流すにはリスクがあることだし、以前危ないからと注意を受けたこともある。


でも、今の政治家や昔ながらの考えの人たちがなんか妥協してないように見えて、何に意地張ってんだかと思うし、私としては、変なプライドは捨ててオリーブの木構想のもとに共闘したらと思う。


共産党がどうのこうのとか、考えがどうのこうのとかモジモジしてるから、じゃあ、私みたいなのいるけどどーなの?ってことで言ってみました。


私が見る限り、もっと思いやって配慮し、団結してほしい。


私たち若者はこの先、生きていけるかが不安。


それこそ、30歳まで生きれるかわかんない。


あなた方が大変ながらも生きてこられた人生を、私達も歩みたい。


そして、次の世代、生まれてくる子ども達にこんなリスクを負わせない社会、悲しい思いをさせない社会であってほしい。


野党は共闘を。そして、ファシズムと戦争経済の阻止を。


多種多様性を認め合える世の中を。




だいぶ挨拶が遅れました汗あけましておめでとうございます。Tsurushigakiですにゃ






今年1枚目のイラストぺこ急いで描いたので、どっか自分ぽくない感じになっちゃってますが・・・・


でも、3年前から比べて、だいぶ変わったなっと。このタイプのイラストに移ったのも年賀状からでしたし、昔はもっと雑でしたから汗2



今年はもう動いてみてます。札幌では1月4日にデモがあり、自分も参加。




9日は参議院議員の山本太郎さんの話を聴きに行ったり萌え



ファンサービスすごくって、2ショット撮らせていただきました。ウレシイはーと


ここから、勝負だと思ってます。


北海道衆院補選5区。ここの勝負が控えてます。


市民活動家としてどう動くか。


当然、UNITE&FIGHT HOKKAIDO (通称:ユニキタ)、泊原発の廃炉をめざす会、市民グループの一員としても動きますが、私自身としてもどう動くか。


趣味のイラストも、1つ上に進めたと思います。これから名を上げれるか。


去年とは一つ上のステージで、レブまできっちりエンジンを回し、当然リスクはありながらも攻めていけるか。


当然、他人とかぶりたくないので、どこかは違うやり方で行きたいアウトローでいきたいですが(笑)


先はわからないけども、出会いと出来事を楽しんでいけたらいいなと思ってます。


今年もよろしくお願いします。





以上、今年も前置きが長い記事からスタートするTsurushigakiでしたw


…なんとか今年はあと一回は更新したいと考えるTsueushigakiデス汗



あれです。疲れてるのそうですが、TwitterとFacebook、noteと掛け持ちしてるからでしょうか。



さて、このところは忙しや汗2



でもうれしやにこ





今現在、札幌の大通公園西2丁目で開かれている『ミュンヘンクリスマス市 in Sapporo』(http://www.sapporo-christmas.com/)。その中で工房アルティスタのクリスマスポストカード展に応募し、1次審査をクリアして自分の作品(※ピンクのイラスト)も販売されてますにゃ



今年のカラーリングは悩みましたね・・・・なんせ、安保法制だのイスラム国だの、暗いニュースばかりで色がモノクロやワントーンが多め…汗



ファッションやトレンドカラーって表に出ますからね。社会情勢や経済状態が。



それでも明るくしたいので、ピンクのワントーン。マゼンタよりは明るめではーと



んで、もう一つ…





12月23日に行われる『最低賃金上げろデモ札幌』(https://twitter.com/_BTMup1500)のアイコンも描かせていただきました。ユニキタと続いて2つ目音符



ユニキタの時とは違って、こちらはクライアント(※知り合い、友人)と相談しながら。



で、次の土曜と日曜はプラカードのデザインと、年賀状、公募用でドタバタします汗



デモとか社会活動は踏み込んだ形になってますが、イラストやデザインも踏み込みますおおーっ!!



…このところ、夜中に何もないのに目が覚めることがあるTsurushigakiでした(※精神状態不安定?)




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