パパ
戦争の最中に生まれて育った父。
生き残った父。
87歳。
誰かに
泣き言を言う人でなく、
誰かに
偉そうに言う人でなく、
誰かに
出来るだけ無理をさせないように、
そのまま
その人が無理なく生きれるように、
いつも
優しい気持ちの裏に、
自分に厳しくて、
我慢が当たり前で、
自分さえ我慢すれば
ええと思って、笑ってはった。
でも、本当に人に優しくて、
音楽と生きて、
音楽を愛して、
人から愛されて、
ウチはいつかパパのサックスとウチの唄で、ステージに立ちたかった。
押入れの中は譜面だらけ。
ネズミにかじられてるのも沢山。
幼い頃は不思議な気持ちでいっぱいやった。
小さい頃、唄褒めてもらえんくて、
必死で練習して、
でも褒めてもらえんくて、
英語の曲、必死で唄っても、
なんかあかんくて、
でも、いつも優しい顔で笑ってて、
近所の喫茶店のモーニングに時々連れてってくれては、コーヒーカップの横に付いてくるフレッシュの入れ物にコーヒーを入れて、
チーちゃいウチは横で飲んでた。
パパ、パパ、って、自転車の後ろのカゴに乗せてもろて近所でノートや鉛筆買ってもらえるたまの休日が本当に嬉しかった。
中学の時、バスケの先輩に袋叩きにされた時も、黙ってたら、顔見て、次の日学校乗り込んで行きはった。
その後余計にやられたけど。笑
高校入って先生と恋をして
駆け落ちして戻された時、
黙って迎え入れてくれた。
オカンはウチをボロクソにゆーたけど、
パパは怒らんかった。
その後息子達が生まれた。
それから色々あった20数年の間も、
母子家庭の私を助けて、パパは子供達の送り迎えを助けてくれたり、私が仕事の間も子供らにご飯を作ってくれたり、パパ曰く私が幼い頃、出来なかった事を助けてくれた。
クリスマスにはチキン、
お正月には孫にお年玉、
孫の誕生日にはお祝い、
必ずといっていいほど。
それまで私が子供の頃してもらえなかったことを、
自分の生活の中で切り詰めて切り詰めて、
私の子供や姉の子供に、一生懸命してくれた。
15年前、オカンにボロボロにされたパパが自由になった。
悲しすぎる泥沼やけど、
パパは何故だか幸せそうだった。
姉と私は必死やった。
でも、パパは、毎日本当に幸せそうだった。
だから、その時やっと自分の人生が始まったんやな、と思った。
それからは大好きな音楽をあちこち聴きに行って、生き生きしてた。
そしていつのまにか、
毎年、私の野外ライブに来てくれた。
本当に毎年、来てた。
少し恥ずかしいのもあったけど、でも、パパが喜んでくれたら、ウチは嬉しかった。
喋りうまなったな。とか、
良かったで、とか
しかゆーてくれへんけど、
毎年来てた。
そんな去年、初めて来なかった。
でも、なんとなくわかってた。
命は
尊い。
ほんで、パパがウチの中に残してくれた優しさが
今に繋がってるんやなと、思う。
ただそれだけ、
ただそれだけのこと。
書けてないも沢山あるけれど、
ただ、それだけやねんけど、
涙が止まらんのよな。
上手いこと書かれへんけど、
なんか、
今のウチがおるのは、
そーなんよな。
一緒にライブ、観に行こ。
まだまだ音の世界、生こ。
心が張り裂けそうやけど、
パパは泣き言言わんし、優しいから、
ウチもそんな人になりたいです。
神様。
息子らが
俺らの子供見るまで生きなあかんでー
とゆーて、手を握って、静かに笑ってる
パパをまだ連れて行かんといて下さい。
お願いします。