現在の道幅はこんなんです。
中央分離帯を挟んで片側4車線が上下、歩道を合わせて50メートルほどあります。




でも戦前は、
現在の北側歩道が五条通りだったそうです。



戦争中の軍の「建物強制疎開」のため旧五条通りの南側の建物などは全て撤去されたそうです。

私の若い頃には、家の裏側とか壁が五条通りに面している建物などが、まだ幾つかありました。

この墓地、その名残かな?



僅かばかりの補償金は支払われたらしいが、強制的に我が家を奪われたも同然です。

空襲の被害が他の都市より少なかった京都ですが、空襲と変わりないですね。

自然災害じゃないから、
今の福島の方と同じなのかな?