第138回_井植歳男_日本経営史最大の謎は女が原因であった | 【松下幸之助、創業者、名経営者、政治家に学ぶ】          

第138回_井植歳男_日本経営史最大の謎は女が原因であった

2009年(平成21年)12月にパナソニックの子会社となった三洋電機の創業者、井植歳男(いうえとしお)が松下幸之助の義理弟であったことは知られているが、井植は松下電器(現パナソニック)を創設した時の創業メンバーでもあった。創業以来、井植は松下の片腕となって松下電器の発展に貢献していった。しかし終戦後の1946年(昭和21年)松下電器の専務の立場にあった井植は突如退社し翌年に三洋電機を創業することになる。


何故突然、井植は松下電器を辞めたのか日本経営史の大きな謎の一つであった。松下と急に不仲になったともGHQの公職追放指定に伴うものともいわれるがはっきりしたことは分からなかった。


ところが一冊の書物がその謎を簡単に解いてくれた。雑誌「経済界」の創業者、佐藤正忠(さとうせいちゅう)の著書「蘇る秘訣」(経済界)に井植の三洋電機創業の動機が記されていた。


佐藤正忠は井植歳男に息子のように可愛がられていた。ある時、井植が「三洋電機が成功したのは、女性が原動力なんだよ」と言ったことがあったという。むろん。女性が原動力といってもこの場合、女性社員の力という意味ではない。松下電器で専務として松下幸之助を補佐していた井植であったが、秘書として井植を助けていた女性に惚れてしまったのだ。井植には妻子はいたが彼女も物にしたかった。専務といっても当時の松下電器の給料では、二軒の家を維持することはできない。そこで「えいっ」と独立を決意したという。「ホンマ言うとな、女がいなかったら、三洋電機はできなかったよ・・・」と佐藤に語ったという。ところが、もう一人彼女が出来てしまい彼女にも家を与えることになる。それでは終わらず井植には5人の彼女を出来てしまい皆に家を与えることになる。井植の凄いところは、彼女をつくるには女房を、経済的にもセックスの面でも不自由させてはいかん。だから大変だよ」といい。一旦付合った彼女は決して途中で切ったり捨てたりせずに最後まで面倒をみたところだ。女性に対するのと同様、男に対しても誠実であった。井植は女を幸せにするため必死に働き、その結果が三洋電機を東証一部上場にまで育て上げたのである。佐藤が直接、井植から聞いた話であり、公にはあまりしずらい内容であることから、経営史の謎とされてきた井植の松下電器からの独立は、女が原因であったことは恐らく真実であろう。


それはさておき昔は女性に対して実に面倒みが良く度量の大きい経営者や政治家が多くいたものだ。自由民主党結党による保守合同を成し遂げた最大の功労者である大物政治家、三木武吉(みきぶきち)のこんな話もある。


義理人情の政治家三木武吉は演説名人で知られていた。戦後間もなくの総選挙でのこと。立会演説会をしている三木に向かってある婦人団体の代表者が質問をしてきた「三木先生、ただ今のお話をお伺いしてますと、まことに結構なお話のように承わりますが、先生には5人の妾(めかけ)さんがいらっしゃると聞いております。この先生の行動と今のお話には矛盾があるのではないでしょうか」なんとも痛い質問である。ところが三木はこう切り返えした「ただ今の質問には数字的に誤りがあります。このような公の場で間違ったことを言ってもらっては困ります。私に妾が5人おると申されましたが、5人ではなく7人であります。しかも皆幸せに暮らしております。今日では彼女達も老来廃馬、もはや役には立ちません。と言うても、彼女達を捨て去るという不人情はこの三木にはできません。従っていまもなお面倒をみておるのであります!」これには聴衆も拍手喝采であり返って人気が上昇した。


政治家が女性スキャンダルで失脚するようになるのは宇野宗佑(うのそうすけ)元首相の女性スキャンダル事件の頃からではないかと思うが、手切金をケチったり、女性に恨みや妬みを買うようでは大器の器とはいえないのであろう。   

文責 田宮 卓

参考文献

佐藤正忠 「蘇る秘訣」 経済界

小林吉弥 「総理になれなかった男たち」経済界