昨年、施行20年を迎えたNPO法の創設者である加藤紘一は、近代以前に日本にパプリックがあった例として、水上勉の「はなれ瞽女おりん」をあげたことがある。

ちなみに、加藤が市民という言葉を使うと、中曽根康弘御大が、自民党のカルチャーでは市民ではなく国民であると、小姑っぽい嫌味を言ってきたそうである。

公共的なことは官、役所がやるものという常識に対し、昔の農村には自ずと助け合いがあって、パブリックなことをしていたと加藤紘一は考えた。

たとえば、目の見えない赤子が捨てられているのを、村人たちが見つけて、何くれと面倒を見る。これは、今日でいうところのNPO活動と同じだ、と。

水上勉の「かくれ瞽女おりん」は小編だが奥深い。地べたで虫のように生きる盲目の旅芸人たちへの鎮魂である。

1977年、篠原正浩監督により、岩下志麻主演で映画化された。

音楽は武満徹。この人の曲はいかにも暗い。犬神家の一族のように影が濃い。

盲目のおりんは6歳のとき、将来を案じる村人たちの談判の末に、瞽女の親方に預けられる。

そこで才能を開花させた。

昔、目が不自由なら、男は座頭市のあんま、女は瞽女という生きる道があった。

瞽女とは盲目の芸能者を言った。

娯楽のない農村を回って、民家に門付し、三味線や独特の歌、口上を披露して、食い扶持を得た。数人の仲間をつくり、各地を旅して回った。

北国の吹雪く原野を、小さい子を間に挟んで進む隊列が、彼女たちの人生を暗示していて、なんとも哀れを誘う。

足は素足に草履。


映画では、針の穴に糸を通す瞽女さんのシーンが描かれている。目の見えない師匠が、なおざりに掃除する瞽女を叱る場面もある。

成長して美貌が目立つおりんを、多くの男が我がものにしようとする。

そして、男との関係を師匠に知られて、その組から落とされ(除名)、一人で旅芸を続ける「はなれ瞽女」となる。

岩下志麻はこの時、30歳を過ぎていたが、健気であり、妖艶でもあり、観音様のようなおりんを演じ、素晴らしい。

水上が言った「野の聖」とはこのようなものか。

新潟なまりと歌に風情がある。


中盤から、おりんは、原田芳雄演じる脱走兵と奇妙な旅を続ける。

そこからが、この作品の主題である。

光を失って闇の道を歩む子供に国家は何も与えない。

その国家の命で徴兵されたが、シベリア出兵を拒んだ男。

二人が惹かれ合うのは、イデオロギー的でもある。

ともに、それぞれ属していた集団からはぐれて、最底辺で生きる人たちであった。

脱走兵の犯罪を追及する憲兵の厳しい取り調べに対し、おりんは、自分をはじめて理解してくれ男を守りぬく。

男との別れの後、向かったのは生まれ故郷。最後は土に還った。

映画は、おりんの旅とともに、北国の風雪を描いた。

山形生まれの加藤紘一を引き付けたのは、この風雪ではないかと思う。

この作品は第1回日本アカデミー賞にノミネートされた。作品賞は逃したものの、岩下志麻が主演女優賞を取った。

この年は、後世に評価の高い高倉健主演の「八甲田山」もノミネートされたが、やはり作品賞の受賞を逃した。

受賞したのは、同じく高倉健主演の「幸せの黄色いハンカチ」である。