写真は2015年に久米島保養施設「球美の里」にて。

私、向井さん、宮西いづみさん

 

 

「宮西いづみさん。」

 

はじめに読むせいしょ

 

えほん聖書新約シリーズの絵と文などを手がけるなど、

 

教会で神に仕えるかたわら、

 

平和活動に生きた

 

三重のマザーテレサといわれていた方で、

 

広河隆一非核・平和写真展を支援する会 を立ち上げる他、

 

父の様々な活動の支援や協力にも長年に渡り、

 

献身的に身を捧げていた。

 

体調が良くないと言いながらも、

 

昨年末も沖縄の辺野古と高江に来ていた宮西さん。

 

私の方が軟弱で、体調が良くなくて会えず電話でお話しした。

 

 

写真の久米島で会ったのが最後となった。

 

翁長さんに続き

 

8月10日朝に亡くなられる。

 

彼女が立ち上げた写真展の HPには、

 

 フォトジャーナリスト広河隆一氏の取材による写真等の

 資料を維持管理し、非核・平和の未来社会の創造を願う

 全ての人々に対して、その資料等を提供すると共に、

 撮影現場の状況を伝えることにより、その理想実現に

 寄与する」という目的(定款3条)のために、広河隆一氏の

 取材写真を展示用のパネルに加工し、写真展開催を

 希望される方に貸し出しすることを主活動にしています。

 

 

宮西さんのお嬢さんのコメントの中で、

 

「写真展で、母がこの活動を人生の後半のライフワークにしていた思いにひとりじっくり触れてきました。」

 

貸出だけでなく積極的に今年も主催をして、

 

最後の最後まで、全国写真展開催の仕事に尽くしてくれていたそうだ。

 

 

私が10代の頃からのお付き合いで、父の講演会や写真展へは遠方なのに、

 

いつもいらしてくれて、目があうと、

 

こちらに和らぎをもたらしてくれる癒しを放つ、

 

暖かさのある人だったので、緊張が解けてあうと嬉しくなる人だった。

 

 

父が写真を信頼して人に任せていることも稀なことで、

 

だいたい人の想いというものは熱いのだが、想いだけで終わったり、

 

さっさと投げ出したり、途中から利益中心に変わってしまう人が多い中、

 

彼女の真摯な人柄と、

 

厳しい現実にも突き進み続ける強さは、

 

眩しいほどに真実だと伝わる人だったからこそ、

 

父は信頼を寄せて預け、支えを受けたのだと思うし、

 

宮西さんもまた、

 

地球、人々への深い愛から、命を守ることを拡げていくために、

 

写真展をされていた。

 

 

 

一緒に写っている写真の場所は、

 

3月11日に勃発した東日本大震災後、

 

直ちに現地に向かう途中、

 

福島第一原子力発電所の爆発に直面。

 

父が取材を重ね真相を追求する傍ら、

 

ウクライナなどで二十年以上保養所を支えてきた経験と実績から、

 

被曝した子どもたちのために沖縄に保養施設「球美の里」を開設。

 

久米島は、太田元知事の出身島の彼の紹介で、

 

写真中央の向井さんと父と共に久米島に訪れて、

 

土地を探し、ここを保養地とした。

https://www.kuminosato.com/keii

 

 

この日の太田元知事も、80を超えて体調が思わしくなく欠席した中、

 

この頃すでに宮西さんも体調があまり思わしくないといっていたが、

 

動いてしまわずにはいられないのだろう。

 

 

毎年8月になると、

 

広島や長崎へ訪れたこと、戦後50周年の広島のことを想い出すが、

 

チェルノブイリ被災をした子どもたちの民族音楽団「チェルボナカリーナ」

 

と三重県へもツアーで訪れ、

 

宮西さんの教会にみんなで泊まらせてもらったことがある。

 

もう数え切れない平和活動の中で、宮西さんと個人的な言葉は少ないが、

 

多くの地球に起こる問題や、世界中のこどもたちの置かれた困難から、

 

解決に向けたアクションと考える時間を共有していた。

 

チェルボナカリーナ

 

 

先日フェイスブックで紹介した当時のカリーナのリーダーのナターシャ

 

カリーナを現地で見つけて日本に父が連れてきたご縁で、

 

「彼女と日本全国ツアーをまわったのは、まだナターシャが少女だった頃。

 

事故以来、生活や家族の健康が変わってしまい、

 

経済的にも音楽活動ができなくなったときに、

 

日本への音楽留学とそのサポートの代わりに、

 

音楽と日本の言葉で、

 

原発のことを伝えられるようすることを約束する。

 

しばらく同じマンションに住んでいたこともあり、

 

祖母が時々ご飯を用意することもあった。

 

彼女は自分の言葉で、しかも流暢な日本語も使い、

 

チェルノブイリの声を今も伝えていて、

 

それが彼女の魂の仕事になっている」

 

先日この記事を書いたが、

 

宮西さんとも、日本に来たナターシャやこどもたちをみんなで応援したね!

 

宮西さんを偲ぶコメントの中に、津高校時代にロマンロラン友の会

 

のご友人からの投稿があった。

 

私も10代の頃はロマンロランの大ファンだったので、

 

いがいな共通点があるのだと知る。

 

彼女の源に秘めている強靱さに

 

ロマンロランの「ジャンクリストフ」が生きていることがわかる。

 

 

 

父への長年の深いサポートにも心から感謝します。

 

父の写真とナターシャ

 

 

 

これは、愛する仲間への呼びかけです。 

vol. 77 「宮西いづみさんへ」

 

 

 

 

 

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