大変、大変 !!!!

 

大きな変化を与えられる恵まれ。

 

小変なら、良いことも悪いこともちょっぴり。

 

大変という、大きな体験ができる。

 

 

落ちこむーって、落ちこめるという感情を持っている恵まれ。

 

 

社会に適応しにくい、個性の恵まれ。

 

何に対して、体質や、性質を適応させないといけないのか、

 

そんなあやふやな、型に自分を押し込んで、

 

縛ってきた概念、生きづらさから、

 

それを突破して行く機会をもらえた恵まれ。

 

 

終わったと思っても、しつこく、しつこくまた繰り返してしまう考え癖。

 

飽きっぽいのに、そこだけはおそるべき持続力がある恵まれ。

 

それは恵みとは言わないか!

 

 

自分のメロドラマにはまれる、

 

のめり込める情熱を持っている恵まれ。

 

相反した経験や感情はセット。

 

 

めいいっぱい、ありったけの感情を感じれるなんて、

 

経験できるなんて、人間やってて生きている醍醐味。

 

感じ切るくらい感じないと、また押し寄せてくるよ!笑

 

 

自分がなかなか許可できない、認めれないことを、

 

頭がぐるぐるし出したら、

 

片っ端から、全部okを出そう。

 

全部上がる前の弾み。

 

チャンスがいっぱい。

 

人生超恵まれている。

 

ポジテイブシンキングを言ってるのではない。

 

無理にポジテイブ思考にすることは、不自然で、

 

不自然さは、ネガテイブ。

 

そうではなくて、ネガテイブ思考を、

 

逆手にとった逆療法を

 

 

「どん底シンキング」という

 

 

どん底診療所のタミエです。コスプレしようかな♪

 

 

 

登ったら、落ちるだけだけど、落ちたら、登るだけだから、

 

 

どん底シンキング。パワフルだよ。

 

 

良いことの前触れでしかないし、良いことの弾みになる。

 

 

それは経験上知ってるんだけど、

 

今回こそは、マックス大変だから、

 

もう明るい未来をイメージするのもできないくらい、

 

自分の限界がくる。

 

毎回大変の大きさが、過去最大となっている。

 

どん底で書くと、もうすごい根暗ですごい。

 

読んだ人が確実に、暗くなるから、出せないけど。

 

そのときは、R指定みたいな、 D指定つけようかしら。 

 

 DONZOKO

 

お、なんか黒澤明みたいだ。

どーん!

映画は見てないけど、原作は10代の時に読んだ。

 

あんまり覚えてないけど、底辺だから、あとは死ぬか、這い上がるか

 

しかないって話。

 

大変が大きくなるということは、

 

受け止めれるキャパが増えたってことかな。

 

持ち直すのに、上がるのに時間がかかるのも、早めるのも

 

全て自分でデザインしているんだよね。

 

生まれてきたということは、死に向かって進んでいる。

 

あーもう死にたい、死ぬかもっ、

 

わー死にそう、

 

もうだめ~。

 

やばい、

 

好きすぎて死にそう。。。

 

なんていうのもあった。

 

そんな時に、

 

死ぬ気になればなんでもできるという

 

言葉を思い出す。

 

全部、まだ生きているからこそ感じれる。

 

「死にそう〜。」

 

 

昨日の私は死んでて、生まれ変わったばかりだから、

 

本当は毎日リセットされてる。細胞は毎日死ぬし。

 

思考の方が、ちょっと古くて保守的だから、

 

ついていけてないだけだ。

 

そっか、昨日も死んだんだから、

 

というか、死に続けているから、大丈夫。

 

君も私も死に続けてるし、生き続けてるから!

 

わざわざ今、死ぬ必要はない。

 

だってもう死んだんだし、

 

死ぬ気じゃなくて、死んだ。

 

死んだから、あとは這い上がるだけだ。

 

お前はもう死んでいる。(この流れでは、これ絶対言いたくなるよね。)

言われてから気づいてるよね、この場面。

 

実際は、死ぬちょっと手前の、どん底状態。

 

死んだのに、死んでいると言われるまで気づかないなんて。。。

 

ものすごい哲学的。

 

言われてから自覚して、

 

それを真実と受け入れて、死んじゃったのか。アーメン。

 

北斗の拳はこのシーンしか知らない。

 

 

話逸れちゃったけど、

 

この死に続けている、という気づきは、

 

染み込ませるのに、

 

今まで何百回、何千回も思い出しては、

 

自分に言い聞かせたよ。

 

それを誰かのせいにしてたら、苦しすぎるよ。

 

これからだって、何が起こるかわからない。

 

自分のたくさんある、在り方のバリエーションが、どう表現してくるか、

 

未来は未知に溢れてるし、楽しまないと。

 

もちろん楽しめなくても、無理に楽しむんじゃなくて、

 

楽しめない余裕のなさも自分にok!出す。

 

 

私の恐怖の中で、

 

呼吸の発作が起きることが一番の自分の恐れだった。

 

なんで体調が悪いのだろう、あれがいけなかったかからか、

 

これがいけなかったのか、

 

そんなことを思いあぐねて原因を探していた。

 

もちろんそれも大事だけど、

 

体調悪い時に、そこにフォーカスしても、何もならない。

 

原因をたくさん見つけても、こんなときはどんどん落ち込む。

 

 DON DON DONZOKO 

 

すみません↑ちょっと言いたかっただけです。

 

丼の裏をひっくり返して、ご飯を乗っけたら

 

どん底丼

 

すみません、ちょっとやってみたかっただけです。

 

 

不調のきっかけには、食生活や、天体の影響や、

 

不安やストレス、そして記憶などがあるけど、

 

 

「愛の欠乏感という傲慢」さも根っこにあるのが、

 

病気と関係してるなと思った。

 

これだけじゃないし、みんなに当てはまるものじゃないよ。

 

愛を経験しにきている人生だから、

 

欠乏感も充足感も全て、愛の学びの中では重要、

 

欠乏感覚を味わったら、愛に満たされるとはどういうことかを知れる。

 

愛に満たされることしか知らなかったら、

 

「満たされている」とはどういうことかを知らない。

 

 

一度無くなるってことは、再発見だから、2度楽しめる。

 

 

おかげ様の病気は学びだし、恵みだった。

 

食養を学んだ人間は、

 

健康は勲章みたいな感じなところがある。

 

健康自慢みたいな。その反対は病気自慢ね。

 

病院にかかったり、入院とかって、ちょっと恥ずかしさもあったりして、

 

=自分が恥ずかしい。管理が行き届いていない、できていない自分、

 

自分を認めれてない、自分も生まれたりして、、、

 

でも決して健康は目的じゃない。

 

目的を果たすために必要なことでも在るし、カラダを大切にすること。

 

病気も入院も、「経験豊富な私」という過去に塗り替えてしまった。

 

 

 

今、これで完璧だって思ったら、

 

そこから、すでに今在る健康を、

 

なんて恵まれていることかとすっごい痛感した。

 

 

微細なバランスが崩れ出すと、体調に来るんだけど、

 

 

やんばるの帰り道、少し重たい空気のこの頃、

 

予兆があった時、少しずつ少しずつ、

 

発作側へと引っ張られて行くのを感じた時に、気づいたのね、このことに。

 

今晩あたり発作が出ちゃうかもなって、

 

動機と、頭がモワッと白い煙に包まれ出すとき、

 

心がパニック方向に引っ張られていて、

 

以前なら、発作を起こすのは恐怖でしかなかったから、

 

発作に対して、

 

抵抗して、

 

拒絶して、

 

そこから逃れることに集中してしまった。

 

その集中によって、かえって嫌なことにフォーカスしてしまう。

 

だいたい発作が起きなかったり、穏やかな時は、

 

発作の恐怖を、うまく忘れたり、

 

かえりみなさすぎもセットだけど、自分に集中していない

 

気を紛らわすことに成功した時でもある。

 

発作を起こした時の、辛さや恐怖が

 

記憶として頭の中で一巡する。

 

最近薬使っちゃったしな、(これすごくめげる)

 

悪化していくパターンという過去の記憶の刷り込み。

 

こんな田舎で、何かあったら、

 

娘はどうしようか、段取りを考える。

 

家に帰って、ご飯食べさせて、

 

いざとなった時の、

 

段取りとシュミレーションをしていた。

 

 

自分は愛されるのに値しないが、(超傲慢思考)

 

弱さで繋がると、正々堂々と愛される理由がもらえるし、

 

甘えられる。心の甘え。

 

とはいえ、本当に苦しいから、

 

こんな現れ方は望んでいないし、

 

本心ではないんだけど、心の声が表現されると、こんな風になるのかな。

 

体調は調整だから、それ自体は何も悪くはないし、

 

調整する力を持っているのは、

 

優れた機能だからこそ、

 

症状は起っている。

 

優れた肉体の持ち主ということだ。

 

 

全てが、愛の変化球なんだ。

 

って降りてきたら、いつのまにか、自然に方向転換していたの。

 

 

今までの思考癖に、飽きちゃってたのだろうか。

 

発作だけは絶対に受け入れられなかったのに、、、

 

発作を起こさないことを良い意味で

 

「諦めている私」

 

いつもと全く違う反応だった!

 

いつもなら、発作を起こしたくない!!!!!

 

痛いし辛いし怖いから、頑張ってしまうのだけど、

 

 

「発作を起こさない」

 

ことに対して、執着していなかった。

 

新しい心境になっていた。

 

発作起こしてもいいや、

 

そこにok出したら、なんだか泣けてきた。

 

そして、冒頭から書いた、

 

 

「恵み」という宝探しを呪文のように、心でしているうちに、

 

財宝だらけになっていて、

 

気がついたら、涙とともに発作の兆候は流れ去っていた。

 

 

娘は隣で、ママが泣いてると言って、

 

泣かせてしまったけれど、

 

 

「泣くと毒も一緒に出ちゃうから、泣くのはいいことだよ。元気になったよ

 

病気になると、悪いところ、みんなに許してもらえると思っているのかな、

 

心の甘えがママにはいっぱいあってね、自分を苦しめちゃうんだ。

 

でもそれって自分を大切にしてないってことなんだ、

 

最初から悪いところなんてないのにね。

 

いつもみんないてくれるのにね、

 

星も見ていてくれるし、

 

お店もあるし、

 

こうやってママの話聞いてくれたから、

 

元気になってきたよ。」

 

 

そしたら、

 

 

「いつもわがまま言ってごめんね、

 

ちゃんとママの話を聞いてあげれてなくてごめんね。」

 

ってかえしてくれて、ありがとう攻め。

 

2人で一緒に泣いていた。

 

 

 

一回病気を卒業したけど、完全克服ではまだないし、

 

なくならないかもしれない。

 

忘れた頃に、溜め込んでいるから

 

自分が出した自分へのテストかなと思った。

 

 

 

美しい畑のあぜ道を横目に、走り抜ける。

 

発作は恐怖なんだけど、

 

同時に、たくさん気のづきと、

 

知ることができる、

 

向き合うことのできる

 

時間だったなとか、

 

 

冒頭に書いた、大変は大きい変化を体験できる贈り物だし、

 

辛さだけしかない、ということはありえない。

 

辛さがあるから、喜びがあるし、

 

喜びだけというのもありえない

 

自分によく効いた宝探しのおまじない。

 

 

 

呼吸って、「今」していること。

 

呼吸してるということは、「今」生きていること。

 

 

 

喘息の薬に吸入器があるが、

 

心の吸入器の中に、

 

生きている今、

 

身近にある恵まれたことをいっぱい思い出して、

 

吸ってみる。

 

呼吸が深くなっていた。

 

 

 

 

10年以上使っている、日々のアファメーションがあるんだけど、

 

「宇宙から無限に降り注ぐ豊かさに感謝します。」

 

あれこれ唱えるのは面倒だからこれ一つに要約してる。

 

私にとっての、豊かさって、

 

体験することができるのが、豊かさなのかもな~。

 

 

 

 

 

バシャールの喘息について、メタフィジック通信さんの転写

 

これね、以前読んだ時、窒息死あるなーと思った。↓

 

根深い恐怖まで、いっぱい自分を愛してあげよう。

 

 

 

医療の発達により、アレルギー反応を細部にわたって比較的簡単に検査出来るようになってきました。人によっては卵や牛乳にアレルギー反応があり、又は日光アレルギーだったりと様々です。そのアレルギー反応の中でも重度のアレルギー反応が気管支のアレルギー、喘息です。

 

慢性の喘息を持つ人達は大体前世で”窒息死”を遂げた人達だと、バシャールは言っています。詰まり現在の生の前に何らかの原因で窒息死させられたか、事故で呼吸困難で亡くなった人達が現世まで持ち込んでいるのです(総ての人に確答するわけではありません)。

 

又、猫アレルギーは4次元移行への抵抗を意味すると、バシャールは言っています。簡単に言うと、猫は”4次元”の象徴です。3次元と4次元が混ざり合う事に貴方の身体が抵抗しているのです。そして猫のオーラが貴方のオーラを煩わし、必要以上に貴方の精神を刺激してしまっているのです。

 

この猫アレルギーを序所に無くすには、4次元移行について理解する事も重要な鍵ですが、貴方が”素の自分”でいる時に猫のオーラと貴方のオーラがブレンド出来るように、詰まり、猫のオーラに(4次元のエネルギー)慣れる事も重要な要素です。

 

総てのアレルギーには起因があります。どういった状況で発作が起きるのか又はその時の心境等を詳しく内観してみると新しい発見が必ず見つかるでしょう。

 

 

これは、愛する仲間への呼びかけです。 

vol.47   「どん底シンキング」

Tami’s vegan cafe  北谷町美浜 69-15 2F