『センサーの影』は大島史洋氏の第十歌集で、2009年4月に出版されました。
大島さんは未来短歌会の大先輩で、歌誌「未来」の編集委員と選者を務めておられ、私の短歌の師でもあります。
1997年夏に甲府の湯村温泉で開催された「未来」夏の大会で、圧倒的に多い女性の参加者の間をこまめに回って挨拶しているスーツ姿の大島さんを初めて見かけました。
しかしその時は言葉を交わすことはなく、熊本の「稜(かど)」誌の松下紘一郎氏とのやり取りに集中していました。
私は「未来」誌では当初岡井隆氏の選を受けました。
1年後に私が九州へ単身赴任し、ただでさえ少なかった岡井先生からの直接指導を受ける機会がほとんどなくなり、千葉に帰郷した際に大島先生の歌会に出るようになりました。
1年後に私が九州へ単身赴任し、ただでさえ少なかった岡井先生からの直接指導を受ける機会がほとんどなくなり、千葉に帰郷した際に大島先生の歌会に出るようになりました。
その後許しを得て大島選歌欄に移り、もう10年ほどになります。
この歌集には大島さんの2002年から2004年の作品から450首が収められています。
そして特筆すべきはこの歌集が第14回若山牧水賞を受賞したことです。
そして特筆すべきはこの歌集が第14回若山牧水賞を受賞したことです。
また2009年のベスト歌集・歌書の一冊に、多くの歌人が流派を超えて推しており、弟子としてすごくうれしいです。
読みながら心を動かされた歌、好きな歌を抄出してまとめました。
一読して分かりやすいものが多いので特に詳しい解説はしていません。
一読して分かりやすいものが多いので特に詳しい解説はしていません。
( )内はルビで、一般の人に読みやすいように私が加えたものもあります。
実験のごとき時代を生きてきて人はどこまで勝手になれるか 実験の結果が徐々にあらわれて戦後日本を蔑(べっ)するばかり 己が国貶(おとし)めるだけ貶めて生きてゆくのも今の世の幸 思うらく骨の髄まで戦後なる時代を生きて今の不愉快 勉強の時間とは何ゆとり学習の指導要領をつぶさに読むに 抽象的文言これは国にあらず一事務官の目鼻なき顔 一国の教育すべてを導くとかかる不遜は明治よりのもの 教育の崩壊を嘆く声はしてその屈託(くったく)のなき声のこだまよ「実験」の題をつけられた冒頭の歌群に先ず圧倒されました。
髭面の若者われに言いたりきアナログ時代の発想です、と
屋上のベンチに在れば底深き臓腑のごとし街の響(とよ)みは
鉄骨は日に日に空に伸びゆけり家僕のごとく人らつかえて
高きより音を降らせておりてくる工事用エレベーターおもしろきかな
校庭に昼を群れいる生徒らと悲しきまでにわれ無縁なり
みずからの基盤を常に疑えば消え去るように老いてゆくのか
若き日の己はいともたわやすく費やして来ぬ時間というもの
文体のねばりとつやを願えども女男(めお)の交合の如くむつかし
嘘くさいとみずから思いしゃべりおり言葉と顔に力をこめて
いまひとつ深く交わることあらば耐え難からむ血筋というもの
いま俺は公園裏の石組みに座って、敗者復活戦はもうない
汗臭きハンカチ幾度も顔にあて知ることを得ず現実の意味
屋上のベンチに在れば底深き臓腑のごとし街の響(とよ)みは
鉄骨は日に日に空に伸びゆけり家僕のごとく人らつかえて
高きより音を降らせておりてくる工事用エレベーターおもしろきかな
校庭に昼を群れいる生徒らと悲しきまでにわれ無縁なり
みずからの基盤を常に疑えば消え去るように老いてゆくのか
若き日の己はいともたわやすく費やして来ぬ時間というもの
文体のねばりとつやを願えども女男(めお)の交合の如くむつかし
嘘くさいとみずから思いしゃべりおり言葉と顔に力をこめて
いまひとつ深く交わることあらば耐え難からむ血筋というもの
いま俺は公園裏の石組みに座って、敗者復活戦はもうない
汗臭きハンカチ幾度も顔にあて知ることを得ず現実の意味
外界の動きにいよいよ疎くなるおのれ大事を火種となして だめだなあまた空想に酔っている真昼の罠(わな)の時代じゃないのに ばらばらの心というはさもあらん枯葉が二人に散っているとき 蔓草に絡まれながら草むらの放置自転車しっかりと立つ 政治家がかくも普通のワルなるは悲しむ域を越えたるごとし 屋上の端と端とで時を過ごす彼はケータイわれはタバコを 水を売る水を買うとは今につづく西洋渡来の魔教のひとつ お互いのうわべを撫でる物言いに過ぎて来しなり寂しけれども 本当に上澄みばかりを読んできた何も知らないまま終るのか もっと素直に寄り添うようにうたうべし人に糾(ただ)さむことでなければ 子を得たる息子がいよいよせちがらくなってくるのを如何にかもせむ いつまでも寝ぬ子をあやしている息子ちゃんちゃらおかしい夜のひととき こんな所にカメラがと気づきしとき標的のように立っていたんだ センサーに明かり点れば言いようのなき虚(むな)しさに影は伸びおり抄出した最後の歌から歌集名がつけられ、あとがきには以下のように書かれています。
センサーに影はない。それが光に変換されたとき、初めて影が生じる。私はその体験を何度か歌にしてきた。現代の世の中には、センサーが張り巡らされている。人間の目には見えないだけで、あちこちに遮られたセンサーの影が落ちているのではないか、などと空想するときがある。恐ろしい雁字搦めである。そんなことも身に感じながら歌集名とした。
この歌以降にも秀歌がたくさんありましたが、文字数から割愛しました。