祖母は岩のようだった。
しゃべればまさに名古屋弁でいろいろしゃべっていたのだが、
私の中の祖母は居間のすみの茶箪笥の前、
薄緑色のラジオをかけて、炬燵の前で座椅子に座り居眠りをしている。
色黒で、着ているものもくすんだ茶色っぽいもの。
何もかもが黒ずんだ茶色の印象で
それが私の中で「岩」になっていったのだろう。
晩年祖母はすい臓がんになり入院した。
意識はあるのかないのか。
入院した病院は「完全看護」と言うことで、家族が病室に長くいることをいやがった。
看護士さんとは別に身のまわりの世話をする人がいて
口出しされるのが嫌なのか、「あまり病院に来るな」と言われたらしい。
それでも母と母の妹はまめに病院に通い、嫌がられていたようだ。
祖母がいよいよ危篤になった時、病院は母と母の妹両方に電話をしたものの
どちらも話し中で電話がつながらない。
母と母の妹が二人でずっと長電話でしゃべっていたのだからつながるはずはないのだ。
やっと電話がつながったころ祖母は息を引き取っていた。
母たちが、その世話をしていた人に臨終の様子をたずねたところ
「それはもう苦しんで、魚がはねまわるようだった」
そう言ったそうだ。
こんなに悪意に満ちた言葉を私は聞いたことがない。
こんなに的確に相手を打ち倒す言葉を私は聞いたことがない。
臨終の祖母を想像するときだけ、祖母は青い魚に変身する。