性懲りもなく、中島みゆきネタです。
好評なんだかどうなんだかよくわかりませんが、アクセスが伸びてるので、調子に乗って。
でも今回が最終回。

最初から宣言しておくと、今回は思い込みによる暴論です。
いつもそうじゃないかと言われれば否定できないけれどね。

中島みゆきと松任谷由実。

ともに当時はニューミュージックにカテゴライズされていたでしょうか。
出すLP出すLP、メガヒットしていた時代があります。
自分がレコード屋でバイトしてた時、入荷したLPを店頭に並べたら並べただけ、売れました。
中身の良し悪しは別にして、あの頃は音楽が人気あったなあ。

ところで。
同じように売れ、同じように女性を中心に人気が高かったシンガーソングライターのふたり。

あの頃、デートドライブのBGMとして欠かせないと女の子が思っていた、松任谷由実。
恋愛での女の子の心情を軽くくすぐって、そうそう!と言わせた音楽。
男もそれがわかってて、積極的に聴くヤツが多かったなあ。

話は脱線するけど、友達で松任谷由実好きの男がいました。
こいつが男だけで何人か集まってクルマでどこか行こうという時にでも、松任谷由実を聴きたがる。
そんなものは彼女といっしょに聴きなさいと、自分はすかさず松田聖子のカセットを取り出して、差し替えようとする。
周りから見たら、ほんとにどうでもいい低レベルの争いに見えたんだろうなあ。
自分にとってはなんとしてでも松任谷由実を聴きたくなかったんだけどね。

自分を取り巻く生活のアクセサリーとしての音楽。
恋愛を思い出深いものにするための演出のひとつ。
音楽は目的ではなく、手段。
松任谷由実の音楽はそんなポジションだったのだろうと思います。

一方、中島みゆき。
たぶんドライブで中島みゆきなぞかけると、一気に雰囲気悪くなるでしょう。
こいつ、何考えてデート中に中島みゆきなんぞかけるんだと、女の子は思うでしょう。
男もそんなリスクは冒さない。
前の男と別れた時のキズなんぞ思い出されてもイヤだしね。
彼女の音楽は基本、ひとりで向き合うためのものだと思います。

言葉と、メロディーと、歌に浸るための音楽。
ひとりで音楽と感情の一体感に浸るための、聴くことは手段でなく目的となる音楽。
それが中島みゆきのポジション。

明らかに音楽としての求められ方が違います。

時代とともにその機能が薄れていき、懐メロになった松任谷由実。
ある種の普遍性とともに、いつまでもその存在が揺るがない中島みゆき。

その盛衰の変遷は必然だったのだと思います。

そして、自分は昔、松任谷由実が大嫌いだった。
今もまったく好きじゃないけど。
そもそも声と素人レベルの歌が女性ボーカルとして聴くに堪えません。
楽曲にも魅力を感じないし。

だからちゃんと松任谷由実の音楽を聴いたことがありません。
方や、中島みゆきは語れるレベルまで聴いてます。
それで両方を同じ土俵で語ろうなんて相当な片手落ち。
だから、この記事は思い込みによる暴論なんです。

でも、松任谷由実の音楽は聴きたくなくても否応なく耳に入ってきましたからね。
それなりに、イメージはできてます。

そして1980年代初頭。
音楽をアクセサリーとして消費する時代の始まり。
貸しレコード屋で借りてカセットコピー。
ニューミュージック、フュージョン、AOR、産業ロック。
どれもただのムードミュージックだ。

優れたミュージシャンからいい音楽が創られそれが売れた時代から、大量に売るための音楽をシステムで生産し始めた時代。
音楽を必要とする人だけでなく、本来音楽を必要としない人たちまでもが、手を伸ばした伸ばさせられた時代。
作り手も受け手も、音楽を消費するモノに変え、貶めていった時代。
ある種の音楽バブルに飲み込まれていった時代。

自分は、この時代にもてはやされた軽さや明るさが、たまらなく嫌いだった。
ひとつのものにのめり込むと、暗いヤツと軽く言われるのが情けなかった。
流行っていない音楽なんて興味ない、という態度に憤った。
この時のトラウマが自分の音楽の好き嫌いを増幅してますね、明らかに。

松任谷由実は、その時代の寵児のひとり。
彼女もそこに巻き込まれた被害者なのかもしれないけれど、そこに迎合していったのは間違いない。

対極的にこの時代のノリを利用してBGMをリリースし、大量に買わせ聴かせたYMOには、大きな拍手を送りたいです。