自分の見え方を変えること。
本当には変わっていない自分を、変わったように見せること。
そして、変わり続けることを自分に課すこと。

デビッド・ボウイにとって、アルバムごとの変革、そして次のステージへのベクトル提示、が自らの存在表明であったとしたら、そのピークは Low において極められたと言っても過言ではないでしょう。

初期のころは、ジギーやアラディンセイン、ダイヤモンドドッグといった、自分にかぶせる架空キャラの設定変更することで変革していくという、いわば想像力が産み出したベクトルがメイン。

それが Young Americans や Station To Station においては、アメリカ文化やヨーロッパ人としての自分のアイデンティティなどの現実的なテーマに向かい合い始めたことで、次の変革のベクトルが生まれました。

想像上の、いわば無責任に放りだせるキャラ設定から、より自己に深く入り込んでいくキャラへの変革。

それが Low においては、ヨーロッパ人たる自分そのものへの回帰となり、いわばゼロリセットの状態に自らを置いてしまった。
結果として、生々しい自分と向き合わざるを得ず、これからのボウイの出発点は自己であり、そことの関連のないキャラ設定をする、そのこと自体を否定してしまった。

ボウイは 、Low を制作することにより、キャリアのピークと、そこからの新たな展開を始めることの困難さを、自ら創りだしてしまったといえるのかもしれません。

それゆえ、Heroes というアルバムは、ヨーロッパ3部作の2作目などとといってますが、ボウイにとって次なるベクトル探しのエネルギーが過去のどのアルバムよりも必要だったと思います。

$煩悩の日々

そういった前提をもってこのアルバムを改めて聴いてみると。

あちこちに、ボウイの迷いがみてとれます。

テーマとしての一貫性のなさ。
日本の文化の影響を歌ってみたり、アラビアをテーマにしたり。
B面はまるでLowの焼き直しのよう。
一見、音の感触はLowに近いものがありますが、あそこまで焦点があっていない。
曲の出来、不出来の振幅が大きい。

このアルバムでは、Heroes に次いで好きな、Joe The Lion
ギターがいい味出してます。


Moss Garden 。苔の庭。インストです。


アルバムラストの曲、The Secret Life Of Arabia 。この曲でアルバムが終わるのも、ちょっと不満。


明らかにボウイの迷い、明確なテーマ設定ができなかったことの不安定さが見てとれます。

Heroes というタイトル曲の良さと、音楽としてはある程度の完成度を見せていたことで、このアルバムのあいまいさがあいまいなまま放置されてしまった。

そういう意味では、次作の Lodger が「間借り人」というコンセプトでしかなかったのは、必然だったと言えるのではないでしょうか。
ボウイのスランプは、すでに Heroes から始まっていたのです。

その結果できたのが、トム少佐への決別をはじめとして、自らの創りだした過去のキャラを怪物として否定した、Scary Monsters 。

結局ボウイは、Low で回帰した自己から、半歩先に歩きだすことができなかった。
強烈な自己、そこに回帰してから、その自己の放つ巨大な重力に捉われて二度とそこから出ることのできない、まるでブラックホールに捉われてしまったかのようなボウイ。

そしてその後の迷走が始まります。