前回、発売直後にレビューした Gorillaz の Plastic Beach 。

$煩悩の日々

「これは肩の力を抜いて楽しむ、レイドバックしたエレクトロニック。ちょっと期待はずれですかね、デーモンならもっと刺激的なものができたんじゃないか。
これは音楽だけで成立させようと思ってないのでは」、と書きました。

この時には予想外だったのが、その後、このアルバムの再生回数がどんどん伸びてること。

一番良く聴くのは、ジョギングの時。

さて、何を聴きながら走ろうかな~この前買ったあれを聴こうか。
でも走りながらだと細かいところまで聴けないし、音楽に集中できないから、新譜はやめとこう。

じゃあ天気もいいから爽やかなヤツ??
いや、ゆったりしすぎた音楽だと、ジョギングペース狂わされるし。


やっぱPlastic Beach にしよう。
ノリもいいし、細かいとこ気にしなくていいし。
よし、STYLO~


ということで、ジョギングの時に聴いたり、ちょっとした電車での移動中などに聴く機会が多かった。

ハッキリ言ってしまうと、ノリのいいBGMとしてぴったりだったということ。
よし、音楽をしっかり聴くぞ、という時には、選びませんでした。

たぶん、デーモンもこの音楽は、Plastic Beach という世界観を演出する仕掛けのひとつとして割り切って創ってるのではないかと、想像します。
もしくは、新しいビーチサイドミュージックとして。

主役は、Plastic Beach という世界観であり、映像であり、参加者を楽しませる色んな仕掛け。
音楽はそれを演出する。




そこには過度にキャッチーなメロディラインは不要だし、映像を邪魔するほどに強い存在感のあるアレンジも不要。



気持ちよく印象的に流れて行くこと。
デーモンはそれをこの音楽の機能として創ったし、僕らもこの音楽をそういうカタチで楽しんでる。

主体としての音楽。
機能としての音楽。

自分にとって悩ましい問題が、ここにも存在していました。