さて、レコード屋でのバイトと時を同じくして、貸しレコード屋というものが世間に出現した。
大学生が作った「黎紅堂」というのがその走り。
なんと大学の生協で安く買ったレコードを1泊250円で貸し出した。
これがあっという間に広がり、レコード屋の売り上げは2~3割も激減した。
なにしろ、ユーミンとかオフコースとか当時のレコード屋のドル箱的存在の新譜の売り上げが、軒並みダウン。
一番の音楽の聴き手である学生を中心に、貸しレコード屋で借りてカセットテープに録音する動きが加速。
その当時から今まで、音楽のレンタルというものを優しい眼差しで見ることができない。
ミュージシャンや供給サイドへの正当な報酬が還流しないことに、加担はできない。
子供のころから、欲しいものは他の物をガマンして買うものと相場は決まっていた。
音楽も当然同じ条件。
ところが、このレンタル屋の出現のせいで、音楽は他に欲しいものをガマンして買うものから、他の欲しいものは買いながら、借りて済ますものに成り下げられてしまった。
もちろんレンタル屋の存在で、聴けなかった音楽まで聴けるようになった人も大勢いるだろう。
月に1枚しか買えなかった人が、10枚借りて聴けるようになったのであれば、意義がある。
ところが、1枚買っていた人が、1~2枚借りるだけ。
これは音楽業界の衰退に直結する。
売れるレコードの利益でカバーしてきた売れないレコードの販売は、縮小せざるを得ない。
問題はそれだけではなかった。
貸しレコード屋やレンタルCDは、業界間の協議により、その貸出可能期間が設定された。
これにより当初ほどのダメージはくらっていないかのように、見える。
しかし、音楽レンタル業界が縮小したから問題は解決した、ということにはならない。
貸しレコード屋の出現で、音楽=2500円という価値認識が崩れてしまった。
音楽は2500円出さないと手に入らないが、それだけの価値があるもの、という認識が崩れ始めた。
心理的な、音楽デフレだ。
人の心の中で、音楽の値段が下がってしまった。
それも10%減とか、15%減とかのレベルではない。
そもそも、レコードやCDの価格はベースがデフレだ。
たとえば、音楽とともに欠かせない、本。
本の値段を見てみると、30年間で2倍にはなってる。
雑誌も、単行本も、文庫本も、マンガもだ。
CDはむしろ安くなっている。
特に輸入盤は、円高の影響や大量仕入れの影響で2/3~1/2に落ちている。
そこまで販売価格が落ちても、販売が悪化し続けるCD。
心理的なデフレは、本当に欲しいと思える音楽だけに価値を感じ、その対価を払って買う状況に移行するための、フィルターなのか。
音楽がその質を問われ、激しい選別にあっているのか。
それとも、心理的な音楽デフレは、音楽の価値を崩壊させようとしているのか。
今売れている音楽を見ると、後者のような気がしてならない。
音楽にくっついている、流行りや話題性やプロモーション戦略といった別の記号のために、対価を払われている気がしてならない。
音楽が主役のように見えるけど、その記号が消費されているだけ。
記号とともにあるものが、音楽である必然性すらないのかもしれない。
だから音楽も消費され易いように、形を変える。
できるだけ大量生産、大量消費されるように、作られていく。
どれも同じような音楽になっていく。
個性的で、存在感を強烈にアピールしてるような音楽こそ、音楽が持つ可能性を広げてくれる。
そんな音楽が生きていかれる環境を大切にしなきゃ。
と、ここまで書いて、またもや猛反省。
最近、年間ベストテンリストに頼ったり、再発やリマスターものばかり追いかけたり、保守的な買い方、聴き方が増えてるなあ。
やばい、やばい。
大学生が作った「黎紅堂」というのがその走り。
なんと大学の生協で安く買ったレコードを1泊250円で貸し出した。
これがあっという間に広がり、レコード屋の売り上げは2~3割も激減した。
なにしろ、ユーミンとかオフコースとか当時のレコード屋のドル箱的存在の新譜の売り上げが、軒並みダウン。
一番の音楽の聴き手である学生を中心に、貸しレコード屋で借りてカセットテープに録音する動きが加速。
その当時から今まで、音楽のレンタルというものを優しい眼差しで見ることができない。
ミュージシャンや供給サイドへの正当な報酬が還流しないことに、加担はできない。
子供のころから、欲しいものは他の物をガマンして買うものと相場は決まっていた。
音楽も当然同じ条件。
ところが、このレンタル屋の出現のせいで、音楽は他に欲しいものをガマンして買うものから、他の欲しいものは買いながら、借りて済ますものに成り下げられてしまった。
もちろんレンタル屋の存在で、聴けなかった音楽まで聴けるようになった人も大勢いるだろう。
月に1枚しか買えなかった人が、10枚借りて聴けるようになったのであれば、意義がある。
ところが、1枚買っていた人が、1~2枚借りるだけ。
これは音楽業界の衰退に直結する。
売れるレコードの利益でカバーしてきた売れないレコードの販売は、縮小せざるを得ない。
問題はそれだけではなかった。
貸しレコード屋やレンタルCDは、業界間の協議により、その貸出可能期間が設定された。
これにより当初ほどのダメージはくらっていないかのように、見える。
しかし、音楽レンタル業界が縮小したから問題は解決した、ということにはならない。
貸しレコード屋の出現で、音楽=2500円という価値認識が崩れてしまった。
音楽は2500円出さないと手に入らないが、それだけの価値があるもの、という認識が崩れ始めた。
心理的な、音楽デフレだ。
人の心の中で、音楽の値段が下がってしまった。
それも10%減とか、15%減とかのレベルではない。
そもそも、レコードやCDの価格はベースがデフレだ。
たとえば、音楽とともに欠かせない、本。
本の値段を見てみると、30年間で2倍にはなってる。
雑誌も、単行本も、文庫本も、マンガもだ。
CDはむしろ安くなっている。
特に輸入盤は、円高の影響や大量仕入れの影響で2/3~1/2に落ちている。
そこまで販売価格が落ちても、販売が悪化し続けるCD。
心理的なデフレは、本当に欲しいと思える音楽だけに価値を感じ、その対価を払って買う状況に移行するための、フィルターなのか。
音楽がその質を問われ、激しい選別にあっているのか。
それとも、心理的な音楽デフレは、音楽の価値を崩壊させようとしているのか。
今売れている音楽を見ると、後者のような気がしてならない。
音楽にくっついている、流行りや話題性やプロモーション戦略といった別の記号のために、対価を払われている気がしてならない。
音楽が主役のように見えるけど、その記号が消費されているだけ。
記号とともにあるものが、音楽である必然性すらないのかもしれない。
だから音楽も消費され易いように、形を変える。
できるだけ大量生産、大量消費されるように、作られていく。
どれも同じような音楽になっていく。
個性的で、存在感を強烈にアピールしてるような音楽こそ、音楽が持つ可能性を広げてくれる。
そんな音楽が生きていかれる環境を大切にしなきゃ。
と、ここまで書いて、またもや猛反省。
最近、年間ベストテンリストに頼ったり、再発やリマスターものばかり追いかけたり、保守的な買い方、聴き方が増えてるなあ。
やばい、やばい。