望む現実ではない世界線に居たとしても、あながち、それはダメだとは言えないと思います。言えないと思えるようになりました。

それがその時に必要だから、そこにいるのだと思うんです。逆に、人は常に居るべきところに居るようになっているのだと思うんです。だから、結論としては、すべて大丈夫なんだと思うようになりました。

これは、以前少し触れたネガティブの捉え方の問題なのですが。。。まず、大前提として、私たち人間は、わざわざネガティヴを体験できる地球を選んで生まれてきました。

ネガティヴを知ることで、ポジティブを理解したいと思わない限り、ここにいないだろうと思います。闇がなければ、本当の意味で光を理解できません。

どの世界線をどのタイミングで選んでどう進んで行くのか、これはたぶん、決定していることだと思います。生まれる前に設定してあると言うか。。。


だから、どう進んで生きて行くのかというより、目の前に現れるフィルムを見て聞いて何を感じて生きていくのか、ということが大事なんだと思ってます。


これは、今を生きる、ということなのでしょう。

だから、今の現実が望まないものでも、これも今は必要だから見せられているのかと思います。そこで何を感じるのか、どういう感情を抱くのか。。。


そして、その感情をしっかり受け止めてあげます。

受けとめて、そして、この目の前の現実を変えたいという気持ちが湧いてきたら、私はどう在りたいのかを明確に意識して、その世界線を選びます。

これを繰り返していくのが、この地球で生きる、ということなんだろうなあと思います。この繰り返しは完璧に決まっているのだと思います。だから、気持ちのどこかで、まあ、任せていれば良いのだと思ってます。

俯瞰して、その繰り返しをしている自分を眺めてみると、なんだかゲームのように見えて、笑っちゃいますし、自分にご苦労様だね、と言いたくなります、笑。

たぶん、魂と言うか、本来の私?は喜んでいるのではないでしょうか。またはハイヤーセルフ?と言っても良いかもしれませんが、必要なネガティヴとポジティブの経験を繰り返しているのを見て、喜んでいるのでしょうね。

ということで、ポジティブが良い、ネガティヴが悪いということではなく、両者はどちらも大事で必要なものです。そう、闇も光と同程度に大切なんだと思います。

ということで、どの世界線にいても、すべて大丈夫なんだと思います。魂のプラン通りにうまくいくんじゃないでしょうか。だから、生きてるだけで十分だと思えてきます。

私自身は、日々、今の世界線はどうかなあ?変えた方がいいかなあ?と思って生活してます、笑。少しめんどくさいように見えますが、ゲーム感覚です。この行為も設定されているのでしょう。

それから、小さなことでもいいので楽しくなること、嬉しくなることを見つけるようにしています。例えば、青空に浮かぶ雲の写真を撮るとか、星を眺めることとか、大好きな神社への参拝とか、美味しい黒生ビールを飲むこととか、笑。

少し長くなりました。ここまで稚拙な文章を読んでくださりありがとうございました。