前のブログで、「真我は善、自我は悪」というものではないと話しましたが、私たちは、つい「善悪」で様々なことを判断しがちです。私もいっつも、そうです。

そのように善悪の判断をしないと楽なんですけどね。。なかなか難しいです。

繰り返しになってしまいますが、私たちは人生のストーリーという映画を観ており、そのストーリーは台本があるので、全自動で進んでいるとしたら。。。そうすると、学校、職場、家庭での様々な出来事、人間関係も、少し俯瞰して見られるようになります。

時々、過去を振り返ると、あの時あんなことをしなければよかったとか、あんなことを言わなければよかったとか。。そんなことはいくらでもあります。私も腐るほどあります。穴があったら入りたいことだらけです。そう、このように過去を摘まみだして、何度も、善悪の判断をしてしまいます。時々、ふと、過去の後悔などが心のなかに現れます。

でも、それでも、過去の後悔、ネガティブな全ては、あらかじめ決められたストーリーの一コマなのだとしたら、悪とは言い切れません。それらがなかったら、今ここにはいないことになるのではないでしょうか。というように、いつも気持ちを盛り上げています。非二元を楽に生きるためのツールにしているかも。。です。

過去を振り返って「善悪」で判断しないでおこうと思っています。まあ、思うようにしています。言葉を変えると「どう解釈するか」ということかもしれません。解釈によって過去は変わるのかもしれませんね。

これから先、色々なことが起きるでしょう。でも、そういう時には、「あ〜、今度はこういうことが起きるのか、こういう台本なのか」と、まずは受け止めてから、そして、スクリーンの中で起きたことだと観察する視点を少しで良いから持つようにしたいと思っています。

というわけで、何回か非二元を話してきました。非二元さえも一つのツールのように、楽に生きられるように使ったらいいと思ってます。人は、生きているだけで十分だと思うので、感情がグラグラゆれたら、非二元をツールとして楽になればいいと思います。だって、人間の一生なんて、あっという間ですよ。あと何年生きやれると思いますか?私もそんなに長くないだろうし、色々難しく考えないで、楽に生きましょう。楽しく生き切りましょうよ。


さてさて、ここまで書いていて、私の文章が体系だってなく分かりにくなあと。。自分の日本語力が無いのがお恥ずかしいです。ここで書いていることは、実は、自分自身に対してのメッセージにと思って書いています。不思議な言い方かもしれませんが、自分で書いたこのプログを読み返して、そうだったな、とか再認識しています。

次回からは実践している言霊について、話したいと思います。