人生が全自動であるならば、「今がベスト」です。そして過去も同じで、過去のすべては例外なく、自分にとってベストであって、それ以上でもそれ以下でもありません。この認識があると、過去に囚われることが少なくなります。私も以前は過去を振り返っては悔やんだり、落ち込んだりしていました。わざわざ過去の出来事を今に引っ張りだして、繰り返し後悔していました。
そして、未来に対する不安もありました。仕事、お金。。他人から心配性と言われるくらいでした。今も、心配、不安の感情は相変わらずやって来ます。一時的に心配、不安になります。でも、これは自分の中から沸いてくるのではなく、自然にやって来るものだと切り替えます。そして、今の状態、状況がベストだという認識に気持ちを戻します。おかげで、昔よりもだいぶ楽になりました。
人生というストーリーが全自動で起きているとしたら、その流れの中に、ただいればいいと思います。だから、生きてるだけで十分だということです。ほんとうに十分だと思います。
大事なのは、自分に起きることと思考や感情の動きに対して、必要以上に因果を求めなくても良いということです。例えば、過去の自分の行いが悪いから、今、こんなことが起きてしまったとか。ネガティブな思いを持っていたから、こんな現実が現れたのだとか。。。ひどい話になると、前世のカルマがあるから、とか。因果を探そうとするのは、やめるべきだと思います。死ぬまで、そんなことを考えて生きていくとしたら、疲れます。
人生のストーリーの台本に「因果」は無いと思いますが、その台本の中身について「意味」を見い出そうとしてしまいます。それは自然な流れだと思います。そして、「意味」とは、自分の人生のストーリーをどう解釈するのか、ということだと思います。そのストーリーでの「気づき」は何かということを見出すということです。
人生のストーリーを解釈して「意味」を見出して、そこに「気づき」がある時に、気づく喜びを味わえるのかと思います。全自動で動く人生のストーリーは俯瞰して見るという癖をつけると良いかと思います。それは、まるで、映画として人生ストーリーを観る感覚です。苦境に立つ場面は、映画としては面白く盛り上がる場面かもしれませんが、正直、あまり起きて欲しくはないですが(笑)。
私の人生ストーリーの映画、まさに人生劇場ですね。生まれてから今日まで、どんなストーリーでしたでしょうか。どんな人にも歴史があります。良い悪い、幸不幸という視点や尺度を持たないで振り返るのも、後悔、悲しみなどを軽く出来ると思うことがあります。そして、よくここまで生きてきたもんだと、感心できるかもしれません。いや、本当に、そうだと思います。ベストなタイミングで起こるべきことが起こるようになっている人生劇場を誰もが生きています。
そして、その人生劇場の映画は、まだまだ続きます。この先のフィルムの内容はすでに決まっています。決まっているから、さあ、どんな場面が出てくるのかと、少しワクワクしながら待っていればいいんです。安心して待てばいいんですよ。
だって、フィルムはちゃんと存在しているのだから、何だかんだ生きていけるようになってるし、フィルムの中の世界だから。。
そこは幻想の世界で、本当の私はそこにいないから安全です。それを「真我」という言い方をするようです。「真我」の捉え方も人によって違うようですが、そういう言い方もあるんだ、という程度に思っておけばいいと思います。次のブログで、「真我」と「自我」について書きたいと思います。