元々は、時間も空間のない無の状態、そちらが本来の真の姿なのかもしれませんね。仏教で言う「空」ですね。そうなると、この世界は幻想、夢なのかもしれません。仏教で言う「色」で、「般若心経の色即是空」です。そして、「空即是色」は、空がこの世のすべての実体を創っている、ということです。

とすると、私たちは夢の中にいるのかもしれません。映画のマトリックスのようです。ノンデュアリティでは、この世は幻想で、しかも、すべては全自動で起きていると言います。人生には完璧な台本があって、その通りに全部が自動で起きるべきことが起きているということです。

もし、この世が幻想ですべてが全自動で起きてるのであれば、つまり完璧な台本があるとしたら、無力感を覚えるかもしれませんが、実はとっても楽になると思っています。人生に台本があるとしたら、過去のすべては起こるべくして起きたのだから、現時点で過去に対しての後悔も薄れていきます。そして、未来もすべて決まっているのだから、心配、不安、怖れは小さくなり、未来を憂うことも薄れていきます。

繰り返しますが、過去の様々な出来事は起こるべくしておきたということになるので、良かった、悪かった、正しかった、正しくなかったという振り返りも意味が無くなります。起こるべくして起きたことだから、そこに責任を感じたり負い目を感じて生きる必要もなくなります。そして、未来も、起こることは起きるのだから、心配したり、不安になる必要が無くなります。

これって、本当に気持ちが楽になります。

今、目の前で起きることにだけ向き合っていけば良いのですから。そして、幻想の空間であれば、好きなことをしたらいいです。台本があるのだから、逆に、心に浮かんでくる思いや感情に従って好きに生きれば良いのではないでしょうか。やりたいことがあればやれば良いし。。そして、それも結果的には台本通りです。

だから、もし、失敗しても、それも決まっていることだから、そう思ってネガティヴに受け止めず、そこで何か気づくために起きていると解釈すれば良いのではないでしょうか。失敗しても、と書きましたが、俯瞰して見ると、何が成功で何が失敗なのか、何が幸せで不幸なのか、私たちが勝手に解釈しているだけだと思います。失敗ということは究極的には無いのではないでしょうか。

もし、今、不安になったり落ち込むことがあっても、「あ〜今、不安な感情がやって来た」と、少し俯瞰して自分を見てみるのはどうでしょうか。それが習慣になると、映画のスクリーンを観ているような感覚になってきます。そんな感覚に少しでもなれると、とっても楽になります。でも、不安や恐怖は無くなりません。不安や恐怖は人としての防衛本能で、自我の役割だから、無くなることはありません。ただ、それの捉え方、受け止め方は変えられます。そして、自我もそういう役割なので悪者ではありません。それも台本です。

そして、認識しておきたいのは、私たちは必ず個々に適したベストマッチな世界を生きてるということです。最初からそういう台本しかないくらいに認識したら良いと思います。そうすれば、起きることの良し悪し、善悪、幸不幸の判断も少し違ってくるのではないでしょうか。

というように、楽になれるように非二元を捉えています。