幼い頃から、「〜べき」「〜ねばならない」と、家庭や学校で言われ続けてきました。家庭では、親の顔色をうかがうように生きていました。ですから、親の価値観、倫理観での「〜べき」「〜ねばならない」を基準に生きてきました。

今でも思い出すのは。。
小学校でテストの点が悪いと、母親は無表情で。。。でも、そんなに勉強が楽しいと思えず、どこかで冷めていましたが。。母親の顔色をうかがい一喜一憂していました。テストで良い点数を取らなくてはならないと。良い点数をとるべきで、それが善だと。

そして、有名な大学に行かなければならない、大手企業に行くべきだと信じ込んでました。他人よりも良い場所へ行くことが目標になっていました。それが善だと。

今思うと、人と比較して自分を評価して生きていたんだと思います。母親もそう生きてきたのでしょうし、そう育てられたのでしょう。でも、私はその正しさを押し付けられて育てられ、洗脳されていました。

そして、いつの間にか、自分は人と違って特別なんだという意識を持つようになりました。

そんな特別感を持っていたから、他人より優れているはずだと盲信したからこそ、スピリチュアルの世界に魅せられたのだと思います。魅せられたと言うか、逃げたんだと思います。
精神性とか霊性で人とは違うはずだという傲慢さ、思い上がり。。今思うと、依存です。。。

そして、スピリチュアルの世界を知るにつれ、さらに自分は優れているという勘違いが加速しました。

ここ数年で、その洗脳から解放されました。けっこう時間がかかりました。でも、完全に解放されたのか。。時々、あっ、いけない、と思うこともあります。
それだけ育ってきたプロセスでの洗脳は強いものなのでしょう。

でも、今は母親を恨んだり、過去を悔やむのではく、そういう時期も必要だったのだろうと思っています。でも、今でも母親を好きになれません。と言うか、好きでも嫌いでもないプラマイゼロという感じです。親だから好きにならなくては、とは思いません。それで良いと思っています。

さて、今は、洗脳だったと気づき、でも、自分の人生に必要な過去だった、起こるべくして起きたのだろうと思える自分がいます。

この世は相対的な二元の世界で、光を認識するためには闇を知らないと知る必要があるように、必要なことだったと思います。

だから、あながち、過去は正しいか否かで判断出来ないと思います。

そして、過去は今の解釈によって変化します。それにも気がつきました。
起きた事象は変わらなくても、その捉え方で意味が変わります。そして、起こるべくして起きたのかと少しでも感じられたら。。なんだかおもしく楽しくなります。