【逆説の日本史〔21〕】井沢元彦から・・・
日本の歴史の中で明治維新に至る激動の15年が一番驚きの歴史と綴っている。
吉田松陰が思想家、高杉晋作が行動家、二人はともに攘夷論者であるが大攘夷論者(外国の近代軍事を学び以て攘夷し国を守るといもの)で、隠れ開国論者だともいう。
但し、明治維新が成った大きな要因としては、江戸幕府の財政破綻が大きいという。
徳川家康は、本能寺の変に大きな刺激を受けた、光秀は反逆、秀吉は乗っ取りと、そのモラルに危惧を抱き、朱子学をベースとしてモラルを構築しようと考えた。
これにより士農工商という身分制度を確立し秩序を守ったようである。
これにより江戸幕府は265年もの長期政権を維持するのであるが、このことが富の配分を誤り不平等と不満を蓄積し、更に朱子学の王は天皇であるとの思想を熟成したとも言えそうである。
ただ明治維新の大きな分岐となるのは日米和親条約だという。
条約自体は、不平等条約との条項が多いそうだが、この条約のおかげで、イギリス、フランス、スペイン等と当時の欧州列強の植民地化を防げた側面もあり、江戸幕府にも勝海舟はじめとして、相当な知識人がいたことが伺える。
朱子学の云うところの君主は、覇者ではなく王であり、これに基づいて王政復古と銘打って、国家の運営を天皇に返還し、士農工商制度による財政破綻で徳川幕府は、民事再生する計画であったが、既に殖産通商で富国政策を取り入れていた薩摩藩、先進的教育を受け入れていた長州藩はノーを突きつけたのである。
いま実際に中東やアラブ諸国での時代の変革を見るにつけ、いかに当時の日本が優れた教養と判断力をもって居たのかと、今更ながら先人に敬意を払わずにはいられない。
NHK大河ドラマ「花燃ゆ」を見ながら・・・ふと・・・思い出した
面白くない話・・・ちょっと書いてみました?