以前に堺屋太一氏の【鬼と人と】を読んで、信長の言葉足らずでの誤解、光秀の利口過ぎての誤解、と双方の立場になって書いた小説があった。
確かに歴史的な物語には、後の為政者が故意に作り出した人物像があり、その実態は誰も知らないのかもしれない?
物事の起こりとか人そのものについて、多方面から見れば色んな意見が有るのだろう?
さて、【魚の棲む城】<平岩弓枝>読了!
水清くして魚棲まず・・・云々からの表題であるのだろ。
田沼意次といえば・・・
『越前屋お前も悪よの~ウヒャヒャヒャ・・・!』
と袖の下優先の悪いイメージがあるが・・・・
此処に登場する意次は・・・
絶世の好男子にして、才長けて、こめ経済の行き詰まりを、商業貨幣経済に転換し、さらには沼の埋め立て、河川工事、港湾工事の公共投資を積極的に取り入れ、江戸期の経済活性化を実践した人物として描かれている。
そんな話しを或る人にしたら・・・
『昔も今も・・・結局何もしないのが一番ダメだよ!』
と総括の意見を戴いた。
確かに・・・・妙に納得できる意見だと思った次第?