さて、あまりにも自由な思想は、時の上層階級には許せない思想で有ったのだろう。
中には法然房の思想を曲解して世の秩序を乱す僧も居り、後鳥羽上皇の逆鱗に触れ、法然一派は死刑、流刑となる。
法然は佐渡へ、親鸞は越後へ・・・・
読み終わって・・・・ふむ・・・と考えているところ!
誰一人として、浄土へ行って返って来て、浄土を教えてくれたわけでもない・・・
念仏を唱えることで・・・浄土へいけるぞと説く法然、親鸞・・・?
結局本からは、明快な結論は得られなかったが・・・
多分、念仏を唱えている一瞬、過去の自分、今の自分を見つめることで、明日の自分が変わる・・・!
生きて地獄、死んで地獄の世であれば、今念仏の時が浄土か?
なんて勝手に・・・思ってみた次第!