構えが大事
最近オミクロンが爆発的な流行になっていますね。 東京では5000人越え、福岡でも1000人越えと、第5波並みの数になってきて、専門家たちも「感染力が極めて強いから要注意」との警鐘を鳴らしていますが、こんな時に他の感染症との比較データを引用してくれればいいのにと思ってしまいます。
決して少なくない専門家たちはインフルエンザ相当の5類感染症に引き下げるべきとの提言があるようです。インフルエンザだってクラスの半分の生徒が罹患して、それでも学校閉鎖ではなくって学級閉鎖。しかも沖縄のデータでいうとオミクロン死亡率はインフルよりも低いらしいです。
ノロウイルスだったらどうなのか?同時期感染者数、重症者率、死亡率、感染のスピードなどデータがあって、色んな角度からコロナを検証する時期に来ているのではないかと思います。今だにメディアもただ「警戒せよ、家で自粛生活を送りなさい」と言っているだけで、さすがに2年経つのでもうそろそろ次のステージへとリードしてもらいたいものです。
最近は、コロナそのものに警戒しているというよりも、「人の目」を警戒しているのかなと感じます。そこを払拭するのが、メディアの役割でもあると思いますが、メディアもババを引きたくないのでしょうね
ところで、「構えが大事」というお題について。私は日常的にいろんな人と接しているわけですが、人を見るときに一番重要視しているのは発言内容でも作法でもなく、その人の「構え」です。自分の事を完全に棚に上げていますが
面接、商談、経営者の交流会など全ての人にとって「構え」は大事だと思っています。じゃあ「構え」って何なのか?曖昧な表現で、定義づけが難しいのですが、その人の佇まいというか、全体的な人間性って感じなのでしょうか。
例えば、「立派な構えの家」とか言いますよね。「門構え」とか。また武道でも構えは基本中の基本だと聞いたことがあります
重心をどこにセットして軸をどこにつくるか。「心構え」はよく使う言葉ですよね。
構えに正解は無いと思いますが、生き方が全体の印象として表れるものだと思います。
2021年
明けましておめでとうございます!
2021年ー2022年の年末年始は毎年の事ですが、東京から始まって各拠点の忘年会めぐり
↓福岡支社での忘年会。300人キャパだったのですが、オミクロンの影響で出席が100名に・・
zoomもいいのですが、リアルでのコミュニケーションは心が通じ合うのでやっぱりイイものです
テレビ会議は移動時間がまるっと短縮されるので効率は良いのですが、心の距離を埋めるのは難しいですよね。既にリレーションが出来上がっている相手との打ち合わせだと良いと思いますが・・
29日に最後の忘年会を終え、30日は徹夜で麻雀をしながら旧友と語り合いました。徹夜なんて私の記憶では15年ぶりくらい
意外に出来ちゃうものですね。
大晦日は軽くマラソンして年越しをして、元日からは家族の行事もろもろ。
1月4日から仕事始めでした。
リプライオリティの2022年(25期)は積極投資の年。未来の為の種まきをします!
新しいチャレンジは失敗する確率の方が高いのですが、チャレンジしないと衰退するだけなので、何としてでも前に駒を進めるべくチャレンジを繰り返してきているのですが、今回は3か年の中期経営計画を立てて、その初年度としての投資フェーズなのです。
成功を願って氏神様にお参りしてきました。
機会が成長を創る。会社は成長のための機会を創り続ける
ということで、本年もよろしくお願い致します。
国語力の重要性
最近大手採用サイトが学歴フィルターを企業側が使うメールシステムに設定されていた件で大炎上しましたね
「学歴フィルターは差別的行為なので許すまじ」的な論調でメディアが報じていましたが、ニュースのコメントを読んでいると、学歴ある人ない人関わらず意外と学歴フィルターに肯定的な意見が多かったです。そもそも報じているTV局自体が高学歴採用していますし、何言ってんの?的な感じです。
私は学歴フィルターに賛成でも反対でもありません。事実弊社では学歴フィルターしていないので
何が言いたいのかというと採用は企業戦略の一つなので、学歴フィルターが嫌な人はそういう会社を選べばいいだけの話だと思うのです。
私も就職活動の時に東大早慶の露骨な学歴フィルターを目の当たりにして絶望した記憶がありますが、その経験が負けん気に火をつけたのも事実です。何事も自分次第ってところでしょうか。
弊社では学歴採用はしませんが、勉強自体を否定している訳ではありません。よく学校の勉強なんて意味ねーしみたいなこと言う人もいますけど、私は教育、勉学は国家の根幹だと思っています。 勉強はどんな形にせよ一生継続すべきものなのです。その土台を育むのが学校での勉強だと思います。自分が学生の頃は何も考えていなかったけど
特に国語力は大事だと思っていまして、国語力とは今自分が直面している事態を的確に把握し、それが何を意味しているのかを理解する力なのです。
国語力が乏しいとお互いの意図を充分に理解する事ができないのでコミュニケーションの質が高まらずに本質的な議論が出来なかったり、発展的なコミュニケーションが図れなかったりするのです。
私もよくある事ですが「なんて言っていいのか解らないけど、この人の言っている事違うような気がする」って感じる事ありませんか?私はその度にそのぼんやりした違和感を言語化するように紙に書いたりします。言語化する事で自分の中で消化=理解するのです。
このブログに書くこと自体、私にとって国語力を鍛錬していることになっていますが、自分の考えや気持ちを言語化するとコミュニケーション能力や物事に対しての理解力が高まるかもしれませんね
一年半ぶりのフルマラソン
緊急事態になったり、まん防になったり、時短になったり・・・・・を繰り返した2020年と2021年。いったい普通の日は何日あったのでしょうか?
マラソンも2020年の3月頃から開催決定からの中止のオンパレードで、数千人規模の開催はゼロだったと思います。マラソン大会が中止になってもエントリー料金は全額は戻ってきません。部分返金があったり、全く返金されなかったり・・
しかし準備に費やす費用がかなり掛かっており、返金されなくても赤字だと思われるので、自分の中では納得していましたが、サロマ湖100キロマラソンも2年連続の中止でトレーニングに対してのモチベーションをすっかり失っていました。
そんな停滞した日々を過ごしていたのですが、レース1か月前なってマラソン決行するとの報せが・・・
もちろん充分な練習なんてしていませんでしたが、3週間でできる事を考えました。
3週間前 21キロ 2週間前 30キロ 1週間前 21キロ のロング走3連発。なにもやらないよりかはマシという程度です。
運営側もギリギリまで検討して開催にこぎつけたのだと思います。中止するのは簡単ですが、どうしても開催したいという運営者の執念に感謝感謝です!! 雨予報も晴れになって、選挙日程もかぶらず、山口県はしばらく感染者ゼロと最高の日でした
↓関門海峡。心なしか皆スローペースのような・・・練習不足は共通なんですね
↓4時間53分でゴール!!超スローペースで走ったので、気持ちのゆとりもあり、楽々ゴールしました。
みんな口々に「開催してくれて有難いねぇ~」と言っていました。なんでもない日常が最高の幸せだってことをコロナが教えてくれたんですね。
親ガチャについて
最近ニュースでよく耳にしたいわゆる「親ガチャ」、生まれてくる子供は親を選べないことを指して運要素しかないガチャガチャに例えた造語ですが、私はそれを聞いた時に「そうとも言えるし、そうでないとも言えるし、その人の現在の状態次第で何とでも言えるような感じ」かなぁと思っていたのですが、ちょうどこの前読んだ本に「ガチャは本当に人の運命を左右するのか」という問いに対しての答えが載っているデータがありました。
遺伝率とはまさに「親ガチャ」率で
共有環境とは「親の教えなど」の家庭環境
非共有環境とは「友人」「居住区域」「学校」など、家庭以外での環境の事だそうです。
データを見てざっくり言うと、殆どの要素が遺伝と家庭外での環境により成り立っているのです。
そういった意味では私が感じていた「そうとも言えるし、そうでないとも言える」というのが近しい答えなのでしょう。
また、このデータを見て私が思ったのは、広い意味での人格形成に「家庭での教え」ってあんまし影響しないのかな??って思ったのですが、居住区域を決めるのも親だし、中学受験くらいまでは親がリードしていくので、共有環境と非共有環境は部分的にリンクしているのかもしれません。
「親ガチャ」に関して明確な答えが導き出せませんでしたが、いずれにしても運命を嘆いても事態は好転するワケ無いので、自分の力で自分の人生を切り拓く意志が重要なのだと思います。
25期スタート
本日から弊社の第25期がスタートしました。1998年に創業したので満23歳となりました。24歳だった私は47歳になりました(当たり前ですよね)
創業した当初は何年続くのかとか想像だにしていませんでしたが、1998年といえば・・・
だそうで。だっちゅうのって一大センセーションだったんですね(^^;
キングカズが31歳・・隔世の感がありますね
弊社の24期はお蔭様で過去最高益を記録することが出来ました。嬉しいのは嬉しいのですが、それよりも蟻地獄から脱出したような、安堵感に近い心境です。
それまでの弊社の最高益は2004年。なんと更新に17年もの歳月を費やしてしまいました。。。 2005年に赤字転落して組織が瓦解してから蟻地獄がスタートして、それまでのビジネスモデルも崩壊して、新しい事を必死にやってきたのですが、なかなか結実せず・・・もがいて苦しんで7年くらい暗闇の中で出口を探していました。
2011年、福岡に拠点を構えてからも苦しい日々は続きましたが、ようやく2021年、過去の自分を超えたことで新たなスタートラインに立てました。
25期からの3年、中期計画を策定しました。23年経ちましたが、新たなる価値づくりの挑戦は私のライフワークなので、何としてでも世の中に変革を起こすようなサービスを生み出せるように頑張ります!!
小室さん眞子様の結婚について
最近、小室さんと秋篠宮眞子様が結婚されるらしいとの報道がありました
すごくめでたい事だと思うのですが、秋篠宮殿下は長年このご結婚に反対されていたというのは公知の事実ですよね。
私の推測の域を一切出ませんが、この反対は単に父親として反対をしているのではなく、天皇家としての在り方として反対していたのかな、と感じました。
不謹慎な言い方かもしれませんが、元々私は天皇にすごく興味があって、幕末の鳥羽伏見の戦では、新政府軍が数としては圧倒的不利だったにもかかわらず、錦の御旗を掲げた瞬間に幕府軍は狼狽し、新政府軍に寝返る藩が続出して結果数倍もの戦力を誇った幕府軍の敗退が決定的となりました。戦争の行方を決めてしまうような圧倒的なる影響力を持つ天皇とは・・という感じで私にとっては大変興味のあるジャンルなのです 現代を生きる人のほとんどは天皇という存在について深く調べたことは無いと思います。
西南戦争で賊のレッテルを貼られた西郷隆盛、鳥羽伏見の戦以降賊軍になった新選組などは靖国で合祀されていません。そのくらい天皇に背くというのは重いのです。
話は秋篠宮家に戻りますが、昭和以降天皇は国民の象徴と日本国憲法に明記されていますが、この「象徴」とは何を意味しているのでしょうか?ここに一つの大きな問題というか、キーポイントがあるように思います。
国民の象徴というのは何をすれば象徴たる役割を果たせるのか、決まった答えがありません。曖昧です。天皇自体が象徴では無いので、何らかの意識的な行動が求められます。ちょっとニュアンスが難しいかもしれませんが、例えば、鳩は平和の象徴ですけど、鳩自体が平和なわけでは無いので、特段鳩でなくても良いと思うのです。
それ故に天皇の行動が象徴となるように慎重にならざるを得ないと思いますが、じゃあどうすれば象徴として認知されるのかというと、そこが難しいところなのでしょう。
私の意見ですが「圧倒的な世論が形成されていること」が象徴たる条件のように思えます。
そう考えると、国民のコンセンサスは「このまま結婚できないのはかわいそう」だがしかし「天皇家として小室さんとの結婚はどうなんだろうか?」という感じだと思います。そこで出た結論がニュースのような感じなんだと思いました。
これを契機にして天皇とか憲法についてちょっと調べてみると日本に対する理解が深まるかもしれませんね
テレワーク
新型コロナの勢いが止まりませんしかし人間って忘れと慣れの動物だなとも感じます。
一年半前の緊急事態宣言時に東京都の感染者数は100人いなかったんですよね。それで街から人が消えたのですが、現在は4000人をコンスタントに超えている状況です。そんな状況でも日中は普通に街に人があふれています。
コロナの罹患した時の症状が軽くなったわけでもなく、むしろ罹患リスクが極端に上がったのに、これだけ出歩いてるのを見ると、やっぱり人間は他の動物と同様に本能的には快楽を求めるんだな、と感じた次第です ガマンはあくまでも限定的なんですよね。
当社は他の大多数の会社と同じようにテレワークができる職務の社員はテレワークをしていますが、これが「ニューノーマル」になるのかというと、そうは思えません。
自分だけかもしれませんが、テレビ会議は便利なんですけど、創造的な感性が刺激されるような事であったり、ニュアンスの汲み取りであったり意見がすれ違った時の擦り合わせなど、言葉を超えた暗黙知的なコミュニケーションが難しいなぁ、と日々感じています。
ワクチンも諸説ありますが、全体的に罹患リスクを減らすという意味では有効だと思います。
イギリスではマスクなしで5万人規模のサッカーの試合を開催したり、アメリカも同様のアクションを取っています。ニューノーマルというか、日常を取り戻す積極的な挑戦ですよね。賛否あると思いますが、考え方のベクトルとしては、困難を避けることに終始するのではなく、打ち克つ方法をチャレンジするのがベンチャーマインドっぽくて好きです
アフガニスタン
先日、目を疑うようなニュースが飛び込んできました。
「タリバンがアフガニスタン首都カブールを制圧、大統領は国外へ逃亡」
その数日前からアメリカ軍のアフガニスタンからの撤兵がニュースで取り上げられるようになり、そしてアフガニスタン崩壊へとなったわけです。
私は元々国際情勢に興味があって、中学生の頃は生意気にも「外交官になりたい」と卒業文集に書いたほどで、バブル絶頂の浮かれた日本を尻目に孫正義よろしくアメリカに留学して卒業しました。
そしてアメリカ留学中に湾岸戦争をアメリカにいるいわば「当事者」として経験し、戦争独特の高揚感とも言えるような異様な雰囲気、ナショナリズムも体験しました。そして、私が住んでいた1990年当時、ベトナム、カンボジア、ラオスなどからの難民も多くアメリカの高校に通っていました。私は勉強主体の大学や大学院で留学するよりも、高校で留学して良かったと思っています。
アメリカは確かに制度上自由の国ではありましたが、同じ学校に通っている白人と黒人はグループがくっきりと分かれていました。対立こそしていませんでしたが、同じ施設内なのに見えない厚い厚い壁を感じました。
人種、国家、宗教ってなんだろうか?なぜ人は人を殺すのか、国内で人を殺せば犯罪なのに、国家が国家を攻撃し、人殺しを行うのは国際法上では適法なのです。なんでなのか未だに理解できません。歴史は、知れば知るほど「戦争の歴史」なのです。平和の歴史ではありません。
で、アフガニスタンですが、古くはシルクロードの要衝として栄えていたと言われていますが、要衝が故に、覇権争いも激しかったのです。19世紀にはイギリスとロシアの戦争の舞台となり、1970年代にはソ連がアフガニスタンに侵攻して、アメリカはゲリラを支援します。
そして皆さんご存知の9.11アメリカ同時多発テロが勃発すると、アルカイダの潜伏地であるアフガニスタンに対して大規模な空爆を実施してアフガニスタンをぐちゃぐちゃにして、この20年で250兆円使ったらしいです。そして撤兵、再び政権崩壊。
ニュースでやっている通りですが、現在国際情勢のメインプレイヤーは現在アメリカ、中国、ロシアです。彼等は直接戦わずに、どこかの国を盾にして覇権争いをしているという訳なのです。
そういえば日本もそうなりそうな時期がありました。幕末、フランスは幕府サイドについて、イギリスは薩長サイドにつきました。それぞれに武器などを与えてまさに代理戦争を仕掛けられていたのですが、大国に蹂躙されることを免れて今があります。なぜ免れたのか私は確信をもてないまま現在に至るのですが、そういう意味では奇跡が何回か積み重なって今の日本があるのでしょう。
アフガニスタンだけではありませんが、国の主権を奪って、戦場にしてさらに見殺しにして、なんと言っていいのか適切な言葉が見当たりませんが、大国が手を携えて平和を目指して動けばすぐに解決しそうなのにな・・とか思いますが、過去の怨恨や譲歩することによって相手を利する懸念が払拭できなかったりするのでしょう。
大国が手を汚さずに小国を利用することが無いような状況を切に願っています。
オリンピック一色
遂に東京オリンピック始まりましたね
始まってみればどのニュース番組でもオリンピックモードで、コロナの感染者数なんて扱いが小さい小さい
冷静に見るとかなりマズイ数字なんですけどね。ニュースの露出度で印象が変わる好例ですね。
スポーツ観戦が好きな私はオリンピックずっと見ていますが、選手達のパフォーマンスに感動をもらっています。
オリンピックを見ながら、弊社も日本社会にとって意味ある存在になりたい、身近な人はもちろん、もっともっと広く人の為になるサービスを生み出したい!!と思いました。
思えば私が起業した23年前、起業するからには自分の食い扶持を得る為に働くのではなく、新しい価値を創って社会の役に立つ会社を創ろうというのが原点でした。
その思いはまだ達成されていませんが、自分のライフワークとして何としてでも実現させます