有馬英子さんが亡くなられたとの報に、何故か私は大泣きに泣いた。

 私は英子さんと直接お話ししたのは1度だけで、お顔を拝見したのも含めて、2度しかお会いしていないしメールのやり取りがあったわけでもないが、訃報を聞いて何故か大きな悲しみに包まれた。

 それが何故だか今も分からない。英子さんの作品に惹かれていたわけでもないし、英子さんの人柄に惹かれたわけでもない。

 敢えて言えば、英子さんの生い立ちと「浜風」の一員で毎月投句され、ベテランらしい評価をされていたことから忘れられない人だったからかも知れない。

 そんな私が英子さんの事を書く資格はないが、どうしても思いを英子さんに伝えたくて、このブログで届けたいと思い、書かせてもらう事にした。

 

 英子さんのご自宅にお伺いした時、作品作りや批評文はガラケーで「こうやってやるのよ」とベッドの上から打ち込む仕草をして見せてくれた。そして車椅子でしか(介助者なしでは)室外に出られない生活環境を目の当たりにして、とても衝撃的だった。

 私が浜風に加わってから一度も句会には出ておらず、それでも英子さんは毎回作品を出し、コメントを雄策さんにメールで送って来てくれた。

 そんな英子さんだったので、私は一度でも句会に出て欲しいとの思いを強くし、また音声入力も可能な時代であることから彼女にタブレットをプレゼントしてオンライン句会をやりたいと真剣に考えていた矢先の死であっただけに、残念でならない。

 そして、彼女のここ数年のそのような過酷な環境だけでなく、生まれた時から脳性麻痺で歩くことが出来ず、小学生の時に大きな手術を行い、中学3年で結核にかかるなどしながら大学を出て「波乱万丈も楽しいと思った」という彼女の強さ、その痛ましさは胸にささるものがあっただけに、彼女の死は悲しすぎるのだ。

 彼女の初めて作った句は、高校時代の「わが心知るかのようにおぼろ月」だという。胸が痛む。

英子さん、安らかにお眠り下さい。

                                         2021年12月11日    田 友作