「英子俳句」の魅力

ー有馬英子さん追悼ふたたびー

 

聖木翔人

 

  2021年11月21日、「白」の俳人・有馬英子さんが亡くなった。72歳だった。その強靭な境涯は、知る人ぞ知る。

 いま思うことは「英子さんよ、よくぞ、よく生き、よく詠んだ、ゆっくり休んでおくれ」に尽きる。

その声は二つの句集で、いまも生き生きと聞くことができる。『深海魚』と『火を抱いて』。

 

 2017年、私は『メールで交わした3・11』という本を出し英子さんにも送った。前半は読みやすかったが後半はかなり読むのに難儀する内容だった

 その頃、英子さんと何回かメールの交流があった。英子さんの置かれている日常をそれほど深く知らなかった私は、いま考えると、かなり英子さんの負担になったのではないかと思われるような長いメールを何度か送った。

 英子さんは「この本を手にできたことに感謝したい気持ちで一杯です」と言ってくれた。

 

 そして、自分の境涯も世相への感慨も一切を俳句として表現して、生きることすなわち俳句を詠むこととして過ごしてきた英子さんが、メールに、率直に次のような文章を書いてきた。

その一節は次のようなものだった。

 

 「原発の問題はなんとも残酷で、不幸しか生み出さないと感じています。今は何でも経済優先で、経済に役に立たない人間は生きる資格がないと公言する時代になっています。憲法25条の精神はなきが如しで、昨年の相模原やまゆり園の事件となって現れたのだと思っています。この事件も私にとって大変ショックで、根こそぎ揺さぶられました。そしてまたも、核を持ちたいという声が、私の周囲でも聞こえて来ます。憲法を守る、このことは譲れませんね」

 

 私は英子さんの世相を見る目の鋭さに目を見張った。あの境遇のなかで、英子さんはむしろ誰よりも研ぎ澄まされた感性で、聞いて、見て、感じていたのだった。

その気持ちを、あれこれ語ったり、書いたりすることはなかった。ひたすら俳句を作った。

『火を抱いて』(2019年)を読み進むと、その思いの強さ、深さを痛感する。思ったよりも原発を正面から詠んだ句が多いのにも驚く。

 

見えないもの聞こえないもの危ないもの

   ※これは無季の句である。

原発に囲まれどこまでが海市

     ※海市(かいし)とは蜃気楼のこと。春の季語。

九条に蛍光ペンを引き冷夏

天狼が見つめるフクシマの行方

      ※天狼とは冬の星。

フクシマは地続きにあり冴返る

万緑の奥へ奥へと核のゴミ

冴返る原発からの請求書

  この句集、第四章は「怒り」、第五章は「生きる」である。「怒りを力に生きるぞ」と言っているようだ。

生きる意味それはまあるいお月さま

初鏡死ぬまで生きるそれだけの

  と、生と死を詠んだ。そうして表題ともなった一句に立ち返ると、英子さんの生きざまの、凄烈とも言える激しさ、強さ、そしてその感性の深々とした魅力を感じないわけにいかない。

火を抱いて獣を抱いて山眠る

 自らを焼き尽くすかも知れない火、食われるかも知れぬ獣を抱いて、山は眠る。それは私だと言っているようだ。

 もう、山眠る季節が来た。

 英子さんはこの季節に、この山のように永遠の眠りについた。

 私など及びもつかぬ、おそらく人間としてもっとも大きく、広く、深く生きた人生だったと思う。その深みから聞こえてくる「英子俳句」の魅力は尽きない。

                                              (2021年12月1日)