「英子俳句」の魅力
ー有馬英子さん追悼ふたたびー
聖木翔人
2021年11月21日、「白」の俳人・
いま思うことは「英子さんよ、よくぞ、よく生き、よく詠んだ、
その声は二つの句集で、いまも生き生きと聞くことができる。『
2017年、私は『メールで交わした3・11』
その頃、英子さんと何回かメールの交流があった。
英子さんは「
そして、自分の境涯も世相への感慨も一切を俳句として表現して、
その一節は次のようなものだった。
「原発の問題はなんとも残酷で、
私は英子さんの世相を見る目の鋭さに目を見張った。
その気持ちを、あれこれ語ったり、書いたりすることはなかった。
『火を抱いて』(2019年)を読み進むと、その思いの強さ、
見えないもの聞こえないもの危ないもの
※これは無季の句である。
原発に囲まれどこまでが海市
※海市(かいし)とは蜃気楼のこと。春の季語。
九条に蛍光ペンを引き冷夏
天狼が見つめるフクシマの行方
※天狼とは冬の星。
フクシマは地続きにあり冴返る
万緑の奥へ奥へと核のゴミ
冴返る原発からの請求書
この句集、第四章は「怒り」、第五章は「生きる」である。「
生きる意味それはまあるいお月さま
初鏡死ぬまで生きるそれだけの
と、生と死を詠んだ。そうして表題ともなった一句に立ち返ると、
火を抱いて獣を抱いて山眠る
自らを焼き尽くすかも知れない火、
もう、山眠る季節が来た。
英子さんはこの季節に、この山のように永遠の眠りについた。
私など及びもつかぬ、おそらく人間としてもっとも大きく、広く、
(2021年12月1日)