前回お祈りのことを次回に!といっていたので、
それに沿ってお祈りのことを書こうと思います。

今回はお祈りの文言と、
お祈りなんて、だだの気休めじゃん。と思っていた当時の私の話。



カトリックとプロテスタント。同じキリスト教でも、この二つは大きく違います。

カトリックには処女信仰、童貞信仰があり、聖母マリアが処女懐胎の後、神の子であるイエスを生んだ。イエスは生涯童貞だった。というもの。
シスターとブラザー(神父さん)が存在し、戒律が厳しいところは厳しいです。
ヴァチカンはカトリックの総本山です。
それとマリア信仰はカトリックの独特のものですね。

プロテスタントにはマリア信仰がありません。
当然ロザリオを使った祈りも無く、牧師さんが居ます。
プロテスタントは結婚してもOK。貞節は必要だけれど、処女、童貞である必要は無いそうです。
後はローマ法王への信仰が無く、それぞれの教会でそれぞれの秘蹟の解釈がなされています。牧師自体も世襲制の場所もあるらしいですね。


非常に大雑把ではありますが、この辺が違うところでしょうか。

ちなみに私はロザリオを編んでるところから分かるとおり、根っからのカトリック信者です。

自我が出来てから、キリスト教について調べ、ある程度の知識をためてから、カトリックに対する不信感やら信仰に対する疑問が出てきたのは、小学生のころだったかと思います。

世界から戦争がなくならない理由も分からないし、歴史を見れば一目瞭然な宗教戦争や宗教を理由にした虐殺、魔女狩り、免罪符の販売などなど。
ぶっちゃけキリスト教(特にカトリック)は、歴史上もっとも人を殺した宗教なんじゃないか、神の名の下に禁忌であるはずの【殺人】を嬉々として行い、同じく聖書を木曽とした主教であるプロテスタントやユダヤ教と長年争い、戦争を生み出してりゃ世話無いわ。と思ったときに、教会に行くのに嫌気が差してしまった時期もありました。

まあ、それは今でもちょいちょい思ってたりするわけですが(笑)

当時のことを思うと、私は神様が嫌いなわけじゃなく、神様を悪用されるのが許せなかったんじゃないかなと思います。

さて、こんなこと考えてた私が、どうして祈るようになったか。
それをちょっと書かせていただきます。

私は小学一年生から、中学三年間にいたるまでの9年間、スクールカースト最下位のいわゆるいじめられっこでした。
私の時代はぎりぎり詰め込み教育がなされていたころで、たぶん同年代の子達も勉強ストレスやらのはけ口が無かったんでしょう。
はけ口は、強いものには基本的には向くもんではありません。
弱いほうに弱いほうに。あるいは悪目立ちするものが大体ストレスのはけ口になります。
小学校なんて身体が弱いというだけでいじめの標的にされたり、まあ、そんなもんですわな。

私は当時成長ホルモンがあんまり出ておらず、割と早期から字も読め、そこそこ勉強できるくせに体育は全部見学、心臓病という悪目立ちぶりで即標的になりました。しかも体育ずっと見学だからやっぱりずっと悪目立ちwwwあかん涙がwwにwじwむwwwww

いじめといっても無視やらトイレの個室で頭からざばーとバケツの水引っ掛けられたり、教科書やら上履きやら体育着が不思議なことにプールやトイレから発見されたりとささやかな物でしたが…、友人はちょっと位は居ても、中学になって悪化したいじめに耐え切れず、中二の終わりにストレスで拒食症を発症し二ヶ月の入院、その後登校拒否→保健室(or教頭室)登校になったのも無理からぬ話じゃないかなーなんて思っております。

当時は死にたい死にたいどうやったら苦しくなくかつ家族に迷惑を掛けず三途の川を渡れるの。的なことばかり考えてました。
いつごろかは忘れましたが六月くらいだったかな。母に「教会に行こう」と家から連れ出され、そこで実はまだ幼児洗礼しか受けてないんじゃない?じゃあ洗礼受けましょうよ!みたいな話になり、(詳しい経緯は記憶のかなた)忙しかったろうに私の通っていた教会の神父さんが付きっ切りで宗教的な勉強を手伝ってくれたのです。

そこで触れた新しい知識はとても楽しかった思い出。
毎日のように教会に出かけ、平日の昼なのに、神父さんと二人きりで勉強をし、時には学校のプリントまで手伝ってもらって、勉強が終わったら二人で外に出て、マリア像の傍で神父さんは煙草を。私は持ってきてた御茶や、頑張ったねと神父さんが奢ってくれた缶ジュースを飲んで、しばらくしゃべるのが好きだった。
そこの中で、お祈りの話が出ました。

「何で人は祈るの?祈ったって神様はいじめを止めてくれなかったし私の心臓だって直してくれない。それに神様は戦争も孤児が死ぬのも止められない。本当に神様なんて居るの?」

今思えば本職になんて事を聞いてるのあんたああああ!!と思う質問ですが、当時の私には真剣な悩みだったと思います。

神父さんは少し困ったような顔をして、いろいろ話してくれたけど、ありがたい話だったはずなのに一部しか覚えていないこの情けない脳細胞よ…

「じゃあ神様が居ないとして、それはとっても寂しいんじゃないかね」
「なんで」
「だって神様が居なかったら、ハロウィンも無いし、イースターも無いし、クリスマスも無いよ。それに君は神社が好きだって言ってたよね。初詣も無い。あと、死ぬときに希望が持てないじゃないか」

「死の先は僕も知らないよ?でも、天国や地獄があったほうが楽しいと思うしね。
僕らは天国に行くために徳を積んでるわけだけど、そういうものも全部無い。
動物みたいになっちゃうよ。ただ生きて死ぬだけなんて」

「じゃあお祈りは?」

「死のときの希望を信じて、徳の貯金をするのさ。
僕は煙草も吸うし、お酒も飲むよ、珈琲だって大好きだ。ワルイコトを一切しないかといわれたら其処まではきっと透徹できてないから、『神様ごめんね』って祈るときに言ったり、『神様今日もありがとう』って言ったりする訳」

「神様は許すの?」

「それしか出来ないからねえ。神様は奇跡を起こすことも出来るけど、許すのが一番得意なんだよ。マリア様やイエス様は君をいじめた?いじめてないでしょう。
許してっていってみると良いよ。ちょっと楽になるよ。神様は拒否なんてしないんだから」

朧な記憶を脳内保管したこんな記憶。

こんな話をした後、私は家に帰って祈りをささげてみました。
私をいじめた男の子のことはとっても嫌だった。憎たらしかった。死ねばいいとさえ思っていたけど。

「神がそうされるように私は悪事を許します」

と祈ってると心がすっとしてきたのは覚えています。

お祈りをしながら、許しを請い、許されたような気分になる。
気分だけじゃない。今なら言えるけれど、絶対に神様は存在するのだから、本当に許してくれていたのでしょう。

なきながら祈って、そのうち祈りは日課になりました。



そんなときに私が祈っていたのは、カトリックの基本のお祈り。

ロザリオの祈り、といいます。
またこれの起源を書いていくと長いので、とりあえず文言を。


1.十字架部分

天にましますわれらの父よ、
願わくは、御名の尊まれんことを、
御国の来たらんことを、
御旨の天に行わるる如く地にも行われんことを。
われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。
われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。
われらを試みに引き給わざれ、
われらを悪より救い給え。アーメン。

2.その上の大玉

われは、天地の創造主、全能の父なる天主を信じ、また
その御ひとり子、われらの主イエズス・キリスト、すなわち、
聖霊によりて宿り、童貞マリアより生まれ、
ポンシオ・ピラトの管下にて苦しみを受け、十字架につけられ、
死して葬られ、古聖所にくだりて三日目に死者のうちより
よみがえり、天に昇りて全能の父なる天主の右に座し、
かしこより、生ける人と死せる人とを裁かんために
来たりたもう主を信じたてまつる。
われは聖霊、聖なる公教会、諸聖人の通効、罪のゆるし、
肉身のよみがえり、終わりなきいのちを信じたてまつる。アーメン。

3.三連の小玉

めでたし 聖寵充ち満てるマリア、
主御身とともにまします。
御身は女のうちにて祝せられ、
御胎内の御子イエズスも祝せられたもう。
天主の御母聖マリア、
罪人なるわれらのために、
今も臨終のときも祈り給え。アーメン。

4.最後の大玉

願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。
始めにありし如く、
今もいつも世々にいたるまで。アーメン。

5.センターパーツ

天にましますわれらの父よ、
願わくは、御名の尊まれんことを、
御国の来たらんことを、
御旨の天に行わるる如く地にも行われんことを。
われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。
われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。
われらを試みに引き給わざれ、
われらを悪より救い給え。アーメン。


以上で先端部分が終わります。
ぶっちゃけ私はここまでたどり着く前に寝付くことが多いです。
以下は1、3を十回、4、を繰り返し珠が尽きるまで祈ります。
最後までたどり着いたことは入院中寝付けなかったときくらいじゃないかしら。

その話はまた明日にでも(笑)

でもこの祈りは形はしっかりしていてもカトリックの祈り方。
身体にあわない、肌に合わない、長すぎる!
きっとあると思います(笑)

もしも皆様がロザリオで祈ってみたいとき、
簡単なもの、自分が好きなもので祈ってください。
それこそ、私が作ったロザリオなら、般若心経でも何でも、コーランだっていいのです。
祈りは世界の人と同じ数。
その人の神様も人それぞれ違うのですから、祈り方に決まりなんてナンセンスだと思っています。

私はこれが気に入ってますが、みんな右向け右でこれにするのはあまりにも残念じゃないですか!


では、長くなりましたが今回はこの辺で!


皆様に光の恵みが降り注ぎますように!