自己治癒力向上大作戦

自己治癒力向上大作戦

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人の営み「衣(癒)食住」は自己治癒力や生命力に
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いのちにつながる、いのちがめぐる、いのちがよろこぶ
をモットーに
「元氣」をクリエイトするための情報をどんどん発信してまいります!


【ひろのprofile】
自己治癒力研究処「たまゆら堂」主宰
ホメオパシーと頭蓋仙骨療法の使い手(治療家と講師)
癒衣食住コンシェルジュ(コンサルティングとお話会)
五次元料理人
水脈を掘り当てるように「元氣」を引き出します




テーマ:

中学生が車を運転して事故を起こし乗っていた5人のうち1名死亡、4名が重軽傷を負ったのが7月1日の早朝。 http://www.sanyonews.jp/article/741815

 

該当地域の教育長のコメントは

「亡くなった方のご冥福をお祈りしたい。あってはならない大きな事故であり、重く受け止めている。今後は子どもたちの規範意識の向上に努めていきたい」 

というものでした。

 

その後、各家庭に配布された教育長からの手紙には「命の大切さ」を家庭で伝えてほしいということも書かれていたようですが、「規範意識」と「命の大切さ」が果たしてこういった事件(?)を防ぐのかという疑問が残るのです。

 

もちろん、規範意識は社会生活を円滑にするうえで大切なことで、命の大切さも考えたことがないより、意識できる方がうんといい。でも、それがいわゆる無謀でときに暴力や犯罪につながるような行動の抑止になるのかどうかがわからないのです。

 

おりしも7月7日には元オウム真理教の教祖と信者7名の死刑が執行され、そのタイミングや死刑制度そのものの是非に関する議論がじんわりとした盛り上がりを見せていますが、死刑制度が犯罪抑止になるのかどうか、死刑執行することで犯罪被害者は救われるのか、国家が犯す殺人という制度の存否については、内田樹先生のこの記事http://blog.tatsuru.com/2018/07/08_0713.php にわたしは賛同します。

 

規範意識というものは「ルール」を守ろうとする意識のこと。どんな意識でもそれが振る舞いに反映されるには「動機」が必要だと思うのです。振る舞いの根底にある動機。ルールにお構いなしに「やりたいことをやる」という動機が勝ったとき、規範意識など軽く吹っ飛ぶだろうと思うのです。ルールに守られた安全圏にいることを、エナジーにあふれる子どもは、必ずしも心地良いと感じていると思えないのです。ときにリスクを承知でチャレンジするからこそ、歩けるようになり、走れるようになり、平均台を渡れるようになり、木によじ登れるようになり、ナイフを、火を使えるようになるのです。ときに達成感を味わい、ときに失敗し、痛い思いもし、迷惑もかけながら、身の丈にあった挑戦ができるようになる…それを成長というのだとわたしは理解していますが、今の学校教育の現状はどうでしょう。失敗したり、ケガをしたり、迷惑かけたり、汚れたり、汚したり、壊したり、気が変わったり、おじけづいたり、集中し続けたりというような小さな挑戦につきもののハプニングに寛容でしょうか? 紆余曲折をゆるす空気はあるでしょうか? むしろ失敗にはペナルティや辱めがついてまわり、親からのクレームを恐れケガをさせないようにリスク管理をし、同調圧力を利用して子どもを管理し、興味が他に映ることに「飽きっぽい」と評価を下し、集中を途切れさせるような時間割で効率化を図り、自ら育つために必要な経験ができない環境づくりに血道をあげているように見えるのです。

 

ケガをさせないように校庭の遊具はお粗末なものになりましたが、一方で同調圧力を用いて運動会の出し物(組体操や大縄跳びなど)は熱心に取り組むため、事故やいじめはいっこうに減りません。

 

教育者として規範意識や命の大切さを伝えるのに熱心であることは、なにも間違ってはいないのですが、大人として「子どもが自ら主体的に育つ環境を保証し提供できているのかどうか」という視点や反省がないことに、もやもやするのです。ひとりでもカオスなのが子どもですから、それが集団になったときに管理したくなるのはある程度仕方のないことだと思いますが、管理されるばかりで「自分らしさ」というアイデンティティが育まれるでしょうか? 「自分らしさ」というアイデンティティ抜きに命の大切さ、かけがえのなさを理解できるものでしょうか?

 

管理されることに順応しない者は規律を乱す異分子として学校では白眼視されます。家庭の事情などで自尊感情がうまく育っていない子どもが、注意を引くためにはみ出ようとすると、冷遇されて更に自尊感情を損なっていくのです。本当に「教え育みたい」のであれば、その対象者である子どもの「何を教わりたいのか、どう育ちたいのか」というニーズに思いを馳せてほしいのです。

 

学校に子どもを通わせている親たちが、サービスを受けるクライアントの意識なのは仕方のないことかもしれませんが、実際に通っている子どもは、教育というサービスを受け取るだけの客体ではありません。それぞれの伸びしろを抱えた育つ主体なのだということを、どうか忘れないでいただきたいのです。

 

 

 

 

ひろの拝

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