こひうた〜恋するやまと歌〜 -3ページ目

こひうた〜恋するやまと歌〜

昔の人も今の人も、恋をします。
人を愛して結婚をして、そして別れがあり。
恋愛の様式に違いはあれど、恋する思い自体は今も昔も、変わらないのではないでしょうか。

昔の人の恋の思い、一緒に追体験してみませんか。

こんにちは、さやかです。

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今日は第二回こひたび~恋する和歌の旅~のご案内です。
 
 
こひたびとは…
 
いつもパソコンのモニター越しや紙の上で読んでいる和歌。
 
 
そうやって和歌を読むのもいいけれど、せっかくだから和歌の舞台を見てみませんか?
 
 
昔の貴族は歌に詠まれた名所に思いを馳せ、その場所を歌枕(うたまくら)と呼んでいました。
 
そして、歌枕を巡って旅が出来たらと願ったり、実際に旅をしたりしていました。
 
 
私たちも、歌が詠まれたその場所を、実際に見て、聞いて、感じてみませんか?
 
 
五感で楽しむ和歌の旅☆
 
私、さやかがご案内いたします
 
 
 
 
 
第二回は宇治の旅

源氏物語、そして平家物語。
男女の悲しい運命を巡る水の旅です。
 
 
源氏物語の宇治十帖と、橋姫の歌を中心に、
 
・平等院
・宇治神社
・宇治上神社
 
をめぐります。
 
 
 
日時は8/31(土)
11:00に京阪宇治駅集合です。
 
・ランチ代
・平等院の入館料
・お茶代
 
すべて込み込みで、お一人さま5000縁
 
募集人数は8名様。
残席7名様です。
 
 
 
 
宇治川の水の音を聞きながら、和歌と触れ合う散策のひと時を共に過ごしませんか?
 
 
 
 
もののふの 八十宇治川の 網代木に いざよふ波の 行く方しらずも 

お申し込みは、fugetu358☆(→@)gmail.comまで

件名に【こひうた宇治の旅】とご記入の上、ご連絡ください。

お会い出来ますご縁を楽しみにしております☆
 



わが宿のそともに立てる楢の葉のしげみに涼む夏は来にけり(新古今和歌集・250・恵慶法師)


我が家の外側に立つ楢の葉の繁みに涼を求める、ああ、夏がまたやって来た。


 
 
 

こんにちは、さやかです。
今日も夏の大樹の歌をお送りします。
 
先回の歌は夜の歌でしたが、今回の歌は昼の歌です。
 
宿というのは、旅をしている最中に寝泊まりする場所…と現在は考えます。
 
昔は旅をしていなくても寝泊まりする場所…つまり自分の家も宿と表現することがよくありました。
 
そんな、自分の家の「そとも」…外面ですから、家の中庭ではなくて、外側にあるのですから、家の中から眺めるのではなくて、外に出て行く。
 
 
そういう場所に楢の木があるわけです。
 
楢の木はドングリがなる木です。隣のトトロが木の上でオカリナを吹いている、あの大きな木を想像すると、分かりやすいのではないでしょうか。
 
 
その大きな楢の木の木陰に座って、夏の風に涼しさを感じる。
 
そういう季節がまたやって来たのだなあと、季節が移る感慨とともに夏の木陰をいとおしむ。
 
 
 
街中ではただ暑い夏ですが、少し外に出て、森の中など歩いてみると、この歌の気持ちがなんとなくわかるかもしれません。
 
暑い夏だからこそ、木陰や水の涼しさがありがたいものだと気づけます。
 
そういう、ないからこそ、逆にそこにあるものに気づけるという感覚がとても素敵だなあと、私などは思います。

庭のおもは月漏らぬまでなりにけり梢に夏のかげしげりつつ(新古今和歌集・249・白川院)

庭の表面には月の光が漏れてくることもなくなるほどになったことよ。梢には夏らしい葉影がしげっているよ。


こんにちは、さやかです。
昨日のお知らせ通り、今日からしばらくは夏の歌をお伝えします。
 
 
今回の歌は、白河院の歌。有名人の作品ですね。
 
庭のおものおもは、おもて(表)のおもです。見えている部分のこと。わかりやすい言葉でいうと、地表といったところでしょうが、ちょっと情緒がないですね。(笑)
 
 
その庭の表面にはいつもであれば「月が漏る」つまり、月光が降り注ぐわけです。
 
 
漏るというと、水などの液体が、障害物があるのに、そこから更に染み出してくることを言いますよね。
 
夏の暑さを歌うのに、水に関係する言葉を使って涼しげな効果を出しているのもニクい演出です。
 
さて、この歌は月漏らぬまでなりにけりとありますから、月が漏らないほどになってしまったと言っています。
 
なってしまった…ということは、前は月の光が漏れていたのに、という過去のイメージが含まれます。
 
昔は月の光が見えていたのに、今はそれすら見えなくなってしまった。
 
何故でしょうか。
 
 
いかにも夏らしいその理由が、下の句で述べられます。
 
梢に夏のかげりげりつつ

梢には夏の影が繁っている。
夏の影というと、いろんなものを想像できる抽象的な言葉です。
 
その前に、梢に、と注意書きが付されていますから、その夏の影は暑さで成長した木々の枝や葉っぱだということが分かります。
 
その繁った木の枝や葉によって、秋や冬、春には見えていた月の光が遮られるようになった。
 
ということは、もちろん昼間は日の光が遮られ、心地よい日陰を作り出すということです。
 
 
 


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(これは先日の貴船神社)

とにかく暑い夏ですが、草場の成長が著しいのもこの時期。
 
古今の時代には目を向けられませんでしたが、成長する、繁栄することに自分の家や国を重ね合わせて、優しい目で見つめるということを始めるのも、この時代です。
 
 
 
また、新古今和歌集は華やかだと書きましたが、あえて物そのものの名前を出さずに、読み手がイメージを膨らますことで、たった31文字の歌に、一つの大きな世界が生まれて行きます。
 
逆に、登場しないものをあえて言葉にする、そうやってことば一つ一つを吟味し、新たなことばを使って表現力豊かに歌の世界を新たに作り出した。
 
それが新古今和歌集の華やかだと思います。
 
 
次回も木の歌を読もうと思います。
こんばんは、さやかです。

最近サボりがちですみません。



古今集の恋の歌を・・・という当初のコンセプトを大切にしたかったのですが、


どうも、毎日こんだけ暑いと恋だなんだと言ってられなくなりまして・・・。


(言葉遣いさえ悪くなってるのは暑さのせいとお許し下さい。苦笑)



そんなわけで、ちょっとの間は恋から離れまして、新古今集から夏の歌を読もうかなと思います。


でも、今回は何で夏の歌は新古今から?って話。
要は前座です。




実は、いつもここで読んでいる古今集って、夏が来たぜー・・・マジ暑いぜー・・・っていう歌ないんです。


もともと、和歌なんてものは、花鳥風月・・・ようは美しい物と、感動した物を詠むツールでした。


(あ、恋のどろどろはたとえ醜そうに見えても、心動かされるっていう感動したものの中に含まれますのであしからず。)


つまり、ただあっついだけの夏とか、たださっむいだけの冬って、詠む物がないわけです。


もちろん、初夏の風物詩と言えば鳴き声で有名なほととぎすとかね。

昔の人の袖の香ぞする・・・という歌で有名なたちばなとかね。

そういうものを詠んだ歌はあるんです。


でもそれも鳥と花なんです・・・。




だから、ここはもう、初期のコンセプトの古今集すら離れまして、夏や冬に対しても言及していて、しかも人気が高い新古今集に目を向けようと、こういうことでございます。






*ちなみに。


新古今集は古今集から数えて番目の勅撰集です。

勅撰集っていうのは、天皇さんが命令をだして(これを勅命っていう)、その当時から過去に遡って、国の素晴らしい和歌を選んで一つの本にしましょうっていうことで作られた和歌集のことをいいます。


天皇は当時の最高権力者ですから、当然、その中に自分の歌が選ばれるのはものすごく名誉なことです。


今なら紫綬褒章とか、国民栄誉賞レベルのものでしょうか。




そして、新古今集は百人一首の選者として有名な藤原定家が選者の中に入っています。

後鳥羽院歌壇といって、後鳥羽院を中心に、定家や式子内親王、藤原良経などが活躍した、とっても華やかな時代。

歌の内容も、21ある勅撰集随一の華やかさを持つと言われている歌集です。




・・・閑話休題。




日本の夏。
昔から暑かったんです・・・。




$こひうた~恋するやまと歌~




万葉集には、


六月の地(つち)さへ裂けて照る日にも我が袖乾(ひ)めや君に逢はずして


なんていう歌が残っています。

もちろん、これは恋の歌ですから、大事なのは下の句の「我が袖ひめや君にあはずして」の部分。

あなたに逢えないでいるのに、私の袖は乾くとでも思っているのですか


なわけなのですが。

それにしたって、涙にぐっしょりと濡れた自分の袖が乾くという言葉を出すために、

たとえに使う言葉として六月(昔の暦は四・五・六月が夏なので、今の八月ぐらい)の日光が照りつけて、大地が裂けてひび割れるというんですから、相当なものです。


先程出てきた定家さんが作った歌にも




行きなやむ牛の歩みに立つ塵の風さへ暑き夏の小車



牛は牛車を引く牛です。
牛さえも暑くてふらふらしている。

そんな牛がとぼとぼ歩いた時に起きる塵と小さな風。

それでさえ暑い、そんな夏の路と車だよ・・・。


(これ、降りても乗っても結局は暑いんでしょうね。)



なんていう歌もあったりして、やっぱり昔も今も変わらず(まあ、道道がコンクリートで固められた今のほうがよっぽど暑いんでしょうが)夏ってのは暑いものだったんだってことがわかります。




唯一の楽しみは、日も落ちて涼しさを覚える夜ですが、(かき氷もアイスクリームも冷房もありませんので)



夏の夜の伏すかとすればほとととぎす鳴くひと声に明くるしののめ


夏の夜は、横になってほととぎすを待ち、そしてほととぎすが鳴いたころには、もう白々と夜が明けている・・・。


なんて、古今集にはこんな夏の夜の短さを詠った歌もあって、やっぱり夏って一筋縄でいかないものだったようです。



と、こんな雑多なかんじですが、夏談義、ここまで。笑。
田子の浦ゆうち出でてみれば真白にそ 富士の高嶺に雪は降りける


田子の浦を通って富士が見えるところまで船を沖へと漕ぎ出でてみると、雄大な富士の高嶺に真っ白な雪が積もっているよ。


みなさまこんにちは、さやかです。
三連休最終日、いかがお過ごしですか?
 
私は今、東京に向かう新幹線の中にいます。

今日は海の日、そして私は静岡を横断中…海と富士…ということで、今日は有名な赤人の富士の歌をご紹介します。


田子の浦は現在も静岡にある海岸の名前です。もっとも、古くは現在とは違う場所をさしていたという説もあって詳しくはわかっていません。
 
この赤人の歌が元になって昔から富士山といえば田子の浦、と、歌枕として有名な場所でした。
 
そんな田子の浦から船を出して、沖へ沖へと漕いで行きます。そうすると、というのが二句目の「うち出でてみれば」です。
 
沖に出ると邪魔なものがなくなります。松原や雲を割って、遂に富士山が目の前に現れます。
 
雄大な、大きな富士。
その富士山の山頂には、真っ白な雪が積もっている。
 
情景を思い浮かべやすい、雄大で大らかな歌ですね。
 
 
 
真白にそは真っ白に、そという一文字が言葉の調子を強めています。
 
真っ白!っていうところに思わず目が行ってしまうかんじです。
 
 
 
おそらく雪はとうになくなった暖かい季節に訪ねたのでしょう。
 
だからこそ、富士の山頂にはまだ真っ白な雪がある。それほどに高い山なのだ、という感動も伝わって来ます。
 
 
降りけるのけるは過去ですから、すでに降り積もっている様子をさして、今は降っていないわけです。
 
ですから、真っ青な空に、輪郭のはっきりとした富士山が見え、そしてその山頂が白く雪化粧されている。
 
そんな姿を見ることができるのです。
 
 
 
定家の選んだ百人一首には、おなじく赤人の歌として

田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ

という改変された形で選ばれています。
 
白妙の、というのはもともとは衣などが真っ白なことを指す言葉ですし、雪は降りつつ、と現在進行形で雪が音もなく積もって行く様子が詠まれていると考えると、元の歌よりもしっとりと女性的な富士の様子が描かれているように感じます。
 
 
 
車窓から。