こんばんは、さやかです。
最近サボりがちですみません。
古今集の恋の歌を・・・という当初のコンセプトを大切にしたかったのですが、
どうも、毎日こんだけ暑いと恋だなんだと言ってられなくなりまして・・・。
(言葉遣いさえ悪くなってるのは暑さのせいとお許し下さい。苦笑)
そんなわけで、ちょっとの間は恋から離れまして、新古今集から夏の歌を読もうかなと思います。
でも、今回は何で夏の歌は新古今から?って話。
要は前座です。
実は、いつもここで読んでいる
古今集って、
夏が来たぜー・・・マジ暑いぜー・・・っていう歌ないんです。
もともと、和歌なんてものは、花鳥風月・・・ようは美しい物と、感動した物を詠むツールでした。
(あ、恋のどろどろはたとえ醜そうに見えても、心動かされるっていう感動したものの中に含まれますのであしからず。)
つまり、
ただあっついだけの夏とか、
たださっむいだけの冬って、詠む物がないわけです。
もちろん、
初夏の風物詩と言えば
鳴き声で有名な
ほととぎすとかね。
昔の人の袖の香ぞする・・・という歌で有名な
たちばなとかね。
そういうものを詠んだ歌はあるんです。
でもそれも
鳥と花なんです・・・。
だから、ここはもう、初期のコンセプトの
古今集すら離れまして、夏や冬に対しても言及していて、しかも人気が高い
新古今集に目を向けようと、こういうことでございます。
*ちなみに。
新古今集は古今集から数えて
八番目の勅撰集です。
勅撰集っていうのは、
天皇さんが命令をだして(これを勅命っていう)、その当時から過去に遡って、
国の素晴らしい和歌を選んで一つの本にしましょうっていうことで作られた和歌集のことをいいます。
天皇は当時の最高権力者ですから、当然、その中に自分の歌が選ばれるのはものすごく名誉なことです。
今なら紫綬褒章とか、国民栄誉賞レベルのものでしょうか。
そして、新古今集は
百人一首の選者として有名な藤原定家が選者の中に入っています。
後鳥羽院歌壇といって、後鳥羽院を中心に、定家や式子内親王、藤原良経などが活躍した、とっても華やかな時代。
歌の内容も、21ある勅撰集
随一の華やかさを持つと言われている歌集です。
・・・閑話休題。
日本の夏。
昔から暑かったんです・・・。

万葉集には、
六月の地(つち)さへ裂けて照る日にも我が袖乾(ひ)めや君に逢はずしてなんていう歌が残っています。
もちろん、これは恋の歌ですから、大事なのは下の句の「我が袖ひめや君にあはずして」の部分。
あなたに逢えないでいるのに、私の袖は乾くとでも思っているのですかなわけなのですが。
それにしたって、涙にぐっしょりと濡れた自分の袖が乾くという言葉を出すために、
たとえに使う言葉として六月(昔の暦は四・五・六月が夏なので、今の八月ぐらい)の日光が照りつけて、大地が裂けてひび割れるというんですから、相当なものです。
先程出てきた定家さんが作った歌にも
行きなやむ牛の歩みに立つ塵の風さへ暑き夏の小車牛は牛車を引く牛です。
牛さえも暑くてふらふらしている。
そんな牛がとぼとぼ歩いた時に起きる塵と小さな風。
それでさえ暑い、そんな夏の路と車だよ・・・。
(これ、降りても乗っても結局は暑いんでしょうね。)
なんていう歌もあったりして、やっぱり昔も今も変わらず(まあ、道道がコンクリートで固められた今のほうがよっぽど暑いんでしょうが)夏ってのは暑いものだったんだってことがわかります。
唯一の楽しみは、日も落ちて涼しさを覚える夜ですが、(かき氷もアイスクリームも冷房もありませんので)
夏の夜の伏すかとすればほとととぎす鳴くひと声に明くるしののめ夏の夜は、横になってほととぎすを待ち、そしてほととぎすが鳴いたころには、もう白々と夜が明けている・・・。
なんて、古今集にはこんな夏の夜の短さを詠った歌もあって、やっぱり夏って一筋縄でいかないものだったようです。
と、こんな雑多なかんじですが、夏談義、ここまで。笑。