子供の可能性に限界があることは十分に知りつつも、あまりそこを考えないようにして、
「努力すれば伸びる」
「合理的・効率的に練習すれば伸びる」
「自分自身のアタマで考える癖をつけ、工夫して日々の練習とゲームに臨めば伸びる」
「いい指導者、いいコーチングに出会えば伸びる」
「ハイレベルな仲間、根性のあるチームメイト達につつまれれば伸びる」
などと思い込むようにして、子供の夢や希望を削がぬよう、応援したり、圧をかけたり、褒めちぎったり、叱ったりするわけです、親というものは。
しかし、親も馬鹿じゃありませんから、
「ああ、うちの子はプロは無理だな」
「ああ、J下部は無理だな」
「FC多摩で1・2軍は無理だな」
と目標を下方修正したうえで、その修正済の目標すら難しい現実に向き合います。
中学の部活なのか、クラブチームなのか、
高校はサッカー強豪校なのか、公立の弱小サッカー部なのか、サッカー自体やめてしまうのか。
大学は関東レベルか東京レベルか、サッカーをしないのか。
さまざまな局面で子供の意思と可能性と性格と勉強適応力と基礎的な知性などを天秤にはかりながら、
子供にとって一番よいであろう選択に誘導していくわけです。
そして懸命に(最善の)努力してきた子は、
関東リーグレベルのサッカー強豪大学にサッカー推薦で引き抜かれなくても、
プレミア、プリンスレベルのサッカー強豪高校にサッカー推薦で入学できなくても、
T1、T2レベルの強いサッカー部の都内の高校に特待で入学できなくても、
まったく問題ないと思うのです。
小学生の時から、毎日リフティングし、プロのゲームを見て戦術を理解し、ドリブルの練習を日々こなし、タックルに飛ばされないよう体の使い方を工夫し、1対1でボールを摘み取る工夫を重ね、摘み取られぬ工夫も重ね、ハイプレスの連動する意味を理解し、即座に動ける身体能力を磨き、戦況に従って戦術を自ら考え、相手チームの弱みを見つけ出し……。
というようなことを懸命にやってきたわけです。
アジリティの優れた子には、なかなかアジリティではかないません。
フィジカルの優れた子には、なかなかフィジカルではかないません。
スピードの優れた子には、なかなかスピードではかないません。
戦術理解力の優れた子には、なかなか戦術理解力ではかないません。
自分の足りないところを、自分の得意なところをより生かすことで補い、総合力で勝負します。
しかし、それでもレギュラーになれない現実があります。
レギュラーになれても、試合に勝てない現実があります。
試合に勝てても強豪大学や日本代表にスカウトされない現実があります。
強豪大学にスカウトされても、卒業までにプロまではなれない現実があります。
プロになっても、試合で使ってもらえないまま引退する現実があります。
でも、その子はもう立派に世間を一人で泳ぐあるいは仲間を作って仲間とともに泳ぐ力を身につけているのです。
サッカーを通して生きていく精神力、工夫する力、仲間を信じる力などなどを身に着けているのです。
サッカーを途中でやめてもいいんだと思います。
やめた後にサッカーに代わる何か(音楽でも勉強でも他のスポーツでも)をやり始めるなら、
何の問題もないと思います。
サッカーのプロを目指していたら、いつの間にか、社会で生きる力を身に着けていた、という話です。
一番駄目なのが、「〇〇に選ばれなかった。俺なんてもうだめだ」と自暴自棄になってしまうことです。
(目標を下方)修正して工夫をともなった努力をし続ける
のが大事です。それが人生の目的です。