時が過ぎ、年を取ることに不安はない。まだ若いというのもあるかもしれないが、活力だけが自分の取り柄だと信じている。老いを恐るることはない。

 

ただ、今を生きる楽しみの裏に潜む、生きる辛さが心を刺激し疲弊させている。生きることよりもこいつが表立っていやがる。

 

「今は年をとり、辛いこともあるがが『12年前』、私は確かに子供だった」この考えが辛い現実を忘れさせてくれる呪文のようなものだった。無邪気で純粋で、日々を歩くことに楽しみを見出せていた若かりし自分を思い出して活力を得ていた。

 

つい最近、時が流れるにつれ、「今」だけでなく「12年前」も変わっていることに気づいた。

 

12年前、というと私は幼稚園児の頃を思い浮かぶ。目に入るものが新鮮で、全てと仲良しになれそうな、ふわついた記憶を持っている。

 

しかし実際12年前というと、小学3年生だ。少しづつ大人を意識していく年頃だ。無邪気で純粋だったものの嫌な大人の世界も合間見えてしまう年だ。

 

さらに年をとっていくと12年前は中学生になり高校生、大学生になり「今」にたどり着く。

 

その12年前に「若かりし自分」はもういない。無邪気で純粋で、全てが新鮮に感じる自分はいない。

 

心を支える考え方がまた一つ消えていく。

 

何を支えに生きればいいのだろうか。ゆらゆら揺れる紐の上に乗った私が持つ12年前は、少しづつ、薄汚れた醜い私に変わっている。