退院にあたって、これまでの事を一旦まとめておく。(長文になります)
おそらく、これからこの「原発性アルドステロン症」に罹る人の参考になれば良いなというのもある、それでは…
そもそも南部は高血圧気味で降圧剤を飲んでいた。(もう10年くらい)
実は去年の早いうちから、降圧剤を飲んでも、血圧が下がらないどころか、かなり高い時が度々あった。
近所の内科に何かの用事で行くついでに、度々尋ねていたが、いつもの先生は「体調でしょう」と相手にしてくれず、自分もそんなもんかと思っていた。
しかし、その発作的な高血圧の度合いが段々酷くなってきて、冬頃には上が200を超える事出てきた。
一般的にはここまで上がると頭痛などが起きるというが南部は特にそういうのは無かったので、あまり大変な事とは思っていなかった。
しかし、年が明けた後、ある日血圧計の数字は上が250を超えた。
何となく怖くなってきて、いつもと違う日にいつもの医院を訪ねた。
そこには初めて見る先生が居て、あしらわれるだろうと思ったが、また話してみたら「血液と尿の検査をしましょう」なんて言う。
すぐに検査結果が出たら、先生はこの時「原発性アルドステロン症の疑いがある。あなたはまだ若いのだから生きなければならない」と検査設備の整った病院に紹介状を書いてくれた。
この時初めて、自分の罹った病気の恐ろしさを教えてもらった。
すぐに系列である、日野にある永世会クリニックという所に行ってMRIを撮った。
綺麗な病院だったが、そこでは検査しかしていないので治療は他に行ってくれという。
しかしこの時副腎に腫瘍が見つかる。
仕方なく元のクリニックに行って相談したら、近くの見てくれそうな病院にあちこち連絡してくれた。
家のすぐそばに日医大病院があるので、そこで見てもらえたら良いなあと思っていたが、さっくり断られて、調布の東山病院を紹介される。
東山病院の先生は「僕は大学病院勤務の時これについてやっていた」何て言うから期待したら、散々通わせて「原発性アルドステロン症の疑いが強まりました」なんていう診断だけして、最後の慈恵医大に紹介状を書いてくれた。
今思えばここに通っていたのが一番無駄な時期だったかも知れん。
そこからは慈恵医大にて検査検査の日々。
仕事の合間とか休み取ってとか、検査の山。
しまいには、五月に一週間の検査入院&3日入院のカテーテル検査。
どっちもモルモットにされた気分でキツかったけど、これで確定診断が付いて、人にやっと「僕は原発性アルドステロン症」と言えるようになる。
副腎の腫瘍が悪さしてホルモンバランスがおかしくなって体調不良を起こしているとの事。
確かに言われてみれば四肢の痺れや倦怠感、筋肉の異常な疲労なんかは時々あったかと思う。
自分で「こんなのやる気が足りねえから起こるんだろ、気合だ」と思ってやっていたが、実はマジでキツイ日もあった。
とりあえず手術は割と即決でやる事にした。
手術となると執刀医は泌尿器科、これまでの内分泌内科とは違う。
麻酔の先生の受診、手術の準備の検査、と結構な日にちを取られて、手術は7/11に決定。
様々な不手際はあったが予定通り手術は受けられた。
朝8時から午後2時半までの結構な大手術、待ってたかみさんとお袋に申し訳ない事した。
終われば回復力はある方なので、熱出したり腹痛や不眠症になったりしてるが、何とか回復の方に進んでいる。
今回の手術では、他の方が書いていた筋肉痛や関節痛の類は何も無かった、管が沢山入っていて面倒だったけど、本当それだけ。
術後7日で退院というまあまあ良いペースで、良かった。
これからはうちに帰って 、不眠症と胃腸の不良を治しつつ体調を万全に戻していきたい。
ちょっと気になるのは、元々持っていた腰痛がちょっと悪化した事。
今は左の腿裏に時々電気が走るような痛みと軽い痺れが出ている。
もう爺さんに近い年なんで、大事にしないとね。
職場にもだいぶ迷惑をかけたのでちゃんと治してから帰ろうと思う。
ここの慈恵医大第3病院のスタッフの方々には本当にお世話になりました、ありがとうございます。
入院にあたって二つのポイント
限度額申請は入院が決まったら、会社の総務に余裕を持った日程で申請して、あらかじめもらっておく事。
保険申請などに必要になるので、領収書などはどうでも良いものも一定期間保管する事。
どうか、原発性アルドステロン症に罹った全ての人が命を落とす事なく、快方に向かわれる事を切に願います。