それにあわせて、のぼりを作ろう!という話になり、
書を依頼されました。
最初、僕は”えいやっ”で書けると思い、雪の大町に雪かきにいく前日の夜中に書いたのでした。
しかしながら、時間制限と眠気との戦いの中、書きあがったものは僕が心から納得のいくものでは無く、それでも今の条件の中では精一杯やったな、これが実力なんだな、という内容でした。
そして、それを見たデザインチームからは、「つまった感がある」とのことで書き直すことに。
それを聞いて、今後長く使っていくものということもあり、「ほっ」とする自分もいたのでした。
そして、「見る目があるな」と、思ったのでした。
また、その余裕のない状態でも「書ける」と思う、自分の中の傲慢な心を知ったのでした。
そして挑んだ二度目の挑戦。
朝8時から午前中の時間をもらい、それにあわせて闘魂注入ならぬ、気合いの意識合わせを、そこに来られるメンバー10名以上でしてもらい、書に向かったのでした。
書くこと4時間。
思考錯誤の末にたくさんの作品を書き上げ、この中のどれを使うかな?という段階で、みんなに見てもらったのでした。
しかし、結果は、「どれも芯が通っていない。まっちゃんの我を感じる。」とのこと。
せいいっぱいやったつもりが、惨敗。
しかし、自分でもどこか納得がいっていないため、「そうだよなー」と切り替え、取り組むことに。
みんなのアドバイスを書に生かそうと思ったら、ふと目に留まった2回りも大きな筆。
「これで書いたらどうかな?」と思い立ち、筆を持ち替え、それにあわせて大きな硯を用意し、さて紙に向かうと
「あら!!!」
自分の常識では「この作品を書くには太すぎる」と思っていた筆が、何と、「この作品を仕上げるにはこれでなくっちゃ!」というものだったことに気付いたのでした。
自分の常識の狭さに驚き、またダメだししてくれたみんなに感謝。
そして30分後、書きあがった書をみてもらうと、、、
「だーいぶ良くなった。でもまだ何かが違う。この流れでもう一回書いてみて!」
というもの。ぼくも感触をつかんで来ていたため、「よーし」と紙に向かおうとしたそのとき、
「ここでみんなの前で書いて」とのリクエスト。
僕は、そんな経験はしたことないけど、面白そう!とOK。
そして面白いことにひろっちが、「ちょっとまって!」と木の花祭り笛隊のあやちゃんを呼んで来て、「艮の金神(うしとらのこんじん)様の舞」の音楽を奏でてくれたのでした。
それはやわらかで、あたたかく、思わず踊りだしたくなる音色です。
結果、笛の音色に合わせて、”トヘホ”の掛け声とともに踊りだす場に

僕はというと、その心地よい音色とみんなの温かい見守りの中、心を整え、リズムに乗って書を書き始めたのでした。
一度目は墨汁を付ける感覚が分らず、太すぎ。
そして次が最後ね!と書こうとすると、なんとそれが用意した紙の最後の2枚。
これがホントのカミワザです^^
「富士浅間」を書き終え、「木の花祭り」の前に、再び心を整え、集中力を高めます。
手前のひとみちゃんが、笛に合わせてリズムを取ってくれていました。
その存在感に、とっても安心^^
「祭」の最後の一画を書き終えたところ。
「”祭”は笑顔で舞い踊るイメージで」というアドバイスはひとみちゃんに頂きました。
そして、半分意識があちらの世界に行っているような不思議な感覚の中で書き上げた最後の書がこちら。
半分意識がない状態、というのは、ある意味で、自分という我から抜けた状態と言えます。
いさどんは言います。
「人は”自分が”という自我で自分を縛って、ほんとの幸せを自分で奪っている」と。
まさに、今回、書を通してそのことを体験させて頂きました。
「自分が書く」という意識の間には達成されなかったものが、
「みんなと共に書かせて頂く」という「自我を無くした」意識になった時、書に魂が入ったのです。
それは、自分という小さな魂ではなく、もっと大きな、この世界のしくみを司る魂でした。
そして、それを体験させて頂くことは、魂が震えるほどの喜びであり、それこそが、求めてやまない本物の幸せなんだということを理解することができました。
自分の自我の求める幸せを達成したところで、人は本当には幸せにはなれない。
本当の幸せとは、この世界の道理に沿って自分を生かしていただいたときに内側から湧いてくるもの。
そして、書き終えてみれば、今回初めて追加された、木の花祭りの最も重要な演目「艮の金神と翁の問答」の最後に出てくる、金神様の台詞そのままの書となりました。
金神様の言葉
「皆々様、いよいよ金神動きます。さすれば、嬉し嬉し、愉し愉しの世となりて、まことの神代が花開く。皆々笑え、愛し合え。まこと次々現るぞ。
あっぱれ、あっぱれ、富士は晴れたり、日本晴れ。
ひふみよいまわりてめくるむなやこと。艮金神現れる。神人共に現れる。いよいよ神代の幕開じゃ。新たな時代へ、船出の時じゃ。幕開け祝い踊ろうぞ。」
(艮の金神とは、道理を通す神様です。神代の昔、そのあまりの厳しさから八百万の神々に疎まれ、艮の方向(鬼門)に封じられた神であり、鬼の王「閻魔大王」として恐れられてきましたが、その実は地球神=国常立大神(くにのとこたちのおおかみ)であり、また、末法の世に、世の建て替え建て直しのために顕れるとされる弥勒菩薩(みろくぼさつ)でもあります。)
今回の書の最後の決め手は、金神様の舞の音楽と掛け声。
そして、使ったのは最後の紙=最後の神!?
いよいよ、この時代に至って、最後の神、現るといったところでしょうか。
ダジャレの効いた金神様は、今回ののぼりの書をとおしても、そこに現れ、無我の心の大切さ、人との絆を結ぶことの大切さ、謙虚な心の大切さを、愛をもって伝えてくださったのでした。
それをなぜ愛と感じるか?
それは、とことん自分を生かしていただきながら、大事なポイントを伝えて頂くという、”喜び”と”成長”がセットになってついてくる学びなので、僕のような、プライドが高くて人の言うことをなかなか受け取らない頑固な人にも大事を理解しやすいよう、ものすごい配慮で諭してくれているとしか思えないからです。
これを愛と言わずになんというんでしょうねーもう、ただただ感謝です。
そして、このブログを書きながら、ふと、「これって、だれかに似てる!?」と思ったら、、、やっぱりこの人、いさどんですねー。
いつも愛をもって気づきを促してくれる存在。
それがいさどんです。
以下は、のぼりの書を書き上げたのと同じ日の、夜のミーティングでの一コマです。
ただいま製作中の、金神様のお面に付ける髪の毛の量を、
みんなで検討中に遊ばれてちょっと嬉しそうないさどん。
落ち武者みたい。ちょっと量が少ないかな(笑)
帽子をかぶってはいポーズ!って、あなたはだれですか!?(笑)
よく見ると、帽子には”Legend Maker(伝説をつくるもの)”の文字が!
ここでは、日常にドラマがあふれています。
そんなドラマの一幕を、僕たちと一緒にぜひ体験しに来てみてください。
目からウロコ間違いなし!
そんなとびっきりの学びがギュッと詰まった1か月間をすごせるチャンスはこちら!
↓
木の花塾『一か月間の真学校』
そして、今回ののぼりを実際に立てるのは、こちらのイベント!
↓
富士浅間 木の花祭り(ふじせんげん このはなまつり)
一般の人の参加も大募集中です。
最後にもう一度、艮の金神様の言葉の要約です。
「皆々笑え、愛し合え。
まこと次々現るぞ。
あっぱれ、あっぱれ、富士は晴れたり、日本晴れ。
いよいよ神代の幕開じゃ。
新たな時代へ、船出の時じゃ。
幕開け祝い踊ろうぞ。」
富士浅間木の花祭りは、神と人とが、共に舞い踊る、
参加型のお祭りです。
ぜひ、新たな時代の幕開けを祝って、共に舞い踊りましょう♪
たくさんの方のご参加をお待ちしています