昨日は、11月2日。
この日はちょうど一年前に、僕とひろっちが木の花ファミリーに来た日でした。

そして今日、11月3日はこのブログを書き始めるきっかけとなった、ESP(Ecovillage Support Program)が始まった日。

このタイミングで大きな現象を頂きました。
それは、草刈機で軽トラのタイヤを切ってパンクさせてしまったことです。
それも新品の付け替えたばかりのタイヤを;

ちょうど前日の大人ミーティングでは、男女のパートナーシップのあり方をめぐって、
たっちゃんやさのっちの姿勢が問われる中で、まるで自分に問われているような思いが湧いてきて、
今のままでいいのだろうかと、この何度も繰り返すテーマについて改めて考えを巡らせていたところでした。

その矢先、朝一の日課である鶏の緑餌(りょくじ)採りの作業中に、不用意に車の近くの草を刈ってしまい、「あっ」と思ったときには時遅し。

「パシュッ!!!」というすごい音がしてタイヤの腹を切ってしまったのでした。

そのことを振り返る中で、やはりこのままではいけないという思いが湧いてきました。


そして、
実は、明日の11月4日、ちょうど同じ時期(僕達の1日後の11月3日)に木の花ファミリーにケアとして訪れ、現在は仮メンバーとなったエリーの提案で、同時期に木の花に縁をいただいた4人のメンバー(エリー、ひろっち、まっちゃん、LOVEちゃん)で公開トークショー。題して、『エリーと変態仲間達とのミッドナイトトークショー』を行うこととなりました。

テーマは「この一年を振り返って」

そのため、ここ数日この一年間を振り返るために僕自身の「心の棚卸し」を行っていました。

その一環としてこのブログをざーっと読んでみたのですが。。。
一言で言えば、かなりの『ショック;』を受けました。

それは、あまりにも成長出来ていない自分と向き合うことになったためです。

ブログに書いてある内容は、はっきり言って今の自分のテーマとほとんど変わっていない;;;


今の僕のテーマは、

1.正直に生きること。
  結果を恐れず、正直を出し、現象から素直に学ぶ事。

2.正直を出すだけでなく、正直を出しながら場をつくっていくこと。
  全体を思っての正直。これは、今の段階では正解探しと紙一重のためなかなかの難関に思えます。
  おそらくポイントは自分自身を手放すこと。自分の「あーしたい、こーしたい」という『思惑』を
  手放して全体を想っての正直をだせたら、それは結果として、木の花という場、ひいてはこの世界
  、地球を創っていくことに貢献していけるのではないか。


全く成長していないかといえば、『この道=心を磨いていく生き方』に対する、いわゆる信仰心のようなものは少しは育ってきたのかな?とは思いますが、まだまだ自分を手放せていない、執着が残っているものが対象となると、グラグラとゆれる自分がいます。


その中で、一番こたえたのは、2010年2月11日の「最近の心の状態 ~ESP4ヶ月目に入りました~」の内容でした。
http://ameblo.jp/tamashi-net/entry-10455955773.html

一部転載すると以下の通りです。
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昨日の大人ミーティングでは、
学び、成長するためには、『清水の舞台から飛び降りるようなことをすること』が必要と話されました。そのことで、問題ごとが解決するわけではない。しかし、そのことで”道が開ける”のだそうです。
また、こうも語られました。
「頑固な自分」捨てたら、自分が無くなるのではない。「素直な自分」が出てくるのだ。

ここまで書いてきて、本当に、今の自分の状態が、イヤになってきました。
一刻も早く手放したい。
そんな強い思いが湧いてきています。

これまで、『こうした方がいい』と思ったことでも「めんどう」とか「タイミングを見て」とか「自分の役割じゃない」とか、たくさんたくさんの言い訳をしながら、タイミングを逃し、本来の自分を偽り、自分にウソをつき、自分を貶めて来た。

僕は、今、この場でそんな自分を手放すことを宣言します。

1つ。正直を語り、語ったことを一つ一つ確実に実行していきます。
1つ。もう言い訳はしません。
1つ。自分を偽りません。
1つ。自分を貶めません。

”しあわせ”の語源を知りました。
それは、『森羅万象と心を合わせること』

言い換えると、自分ごとを手放し、全体のために生きる。

語ったことは、実行することが求められます。
つまり、語るということは、行動を求められるというリスクを伴います。

同時にストレスを伴います。
しかし、そのストレスをバネに、人は成長していくのでしょう。

このことを胸に刻んで、今、この瞬間から生きていきます。

今、ちょうど食事の時間。
その時間を頂いて、食堂の隅でこれを書いています。

少し視野を広げて考えてみれば、僕は衣食住に困らない環境を与えられて、その安心の中で悩んでいる。それもものすごく自分ごとで悩んでいる。

あぁ、もういい加減にやめよう。
いい加減にみんなの役に立てる人になろう。

今、ようやく長い鬱状態から抜け出しつつある自分を感じます。

さぁ。
まずは、この目の前の人たちと心を合わせて、みんなのために生きてみよう。


転載以上。
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これだけのことを、もうかれこれ9ヶ月も前に宣言しておいて、未だに実行に移せていない。
というか、宣言したことも忘れて、また後戻りしていた自分。

いつまで繰り返すのだろうかと本当に自己嫌悪に陥りそうになります。

明日のトークショーでは、僕は今もっとも手放したくないことを手放すことについてシェアするつもりです。

それは、僕と今もっとも縁が深い人との関係についてです。


その人との関係は、共にいることが楽。魂の相性が良くてエネルギーの奪い合いをする必要もなく、お互いに必要なことを必要なだけ分かち合っている関係です。
しかし、その相性の良さが、この道を歩むにあたってのネックとなっているのです。

この道を歩むに相応しいパートナーシップ(というか一般的にも同じですが)とは、まず何よりも「互いに高めあえる関係である」ということと考えています。

彼女に共にこの道を歩む意志があるのかどうか、、、そのことはもうずいぶん前から確認してきているのですが。。。そこには常にある条件がついている。
しかしそれは僕が歩もうとする道に条件がつけられない(すべてを流れに委ねているため)ことを思えば相容れないものなのです。
そこに執着がなければ、「道が違いますね」といってすっと離れることが出来るはず。

だのに、僕は彼女を手放すことを選択しようとすると、自分の半身を引き裂かれるかのように苦しいのです。これまで何度も何度も切り出しながらいつの間にか元の関係に戻ってしまうのは、それほどに僕(お互い?)の執着が強いということの表れだと思うのです。

そして先日(9月上旬)、稲刈りのために実家に戻ったときに二人で話し合い、手放すことがこんなに苦しいのなら、いっそ手放そうとすることをやめよう。二人とも今の関係に支障がないなら、このままの関係を続けていって、先に行ってみて結果を頂こう、という結論に至ったのです。

その結論に至った僕の深層心理を紐解いていくと、
結局は苦しみから逃げたいという現実逃避と、エネルギー不足を補ってくれる対象として、楽にもらえる相手を求めている、ということだと思います。
これは、恐らく相手にも言えるのではないかと思っています。

つまり、僕の視点からすると、
「自分のエネルギー不足を補うために彼女にそれを求めることで自分を安定させ、そのことによって彼女の不足感をも補おうとしている」

ということと自分では捉えています。
彼女が不足感を感じているかどうか、正直なところそれはわかりません。
しかし、僕の視点では、彼女は世話を焼きたいタイプ。要するにエネルギーが余っている状態のため
常に不足感を持っている僕が彼女の余分なエネルギーをもらうことによって彼女も安定している状態と捉えています。

この関係は、互いに都合の良い状態に甘んじている状態であり、そこに相互依存の関係が生じることで学びや気付きが生まれにくい関係といえるでしょう。

今のままでは、健全なパートナーシップを築き、心を磨き高めあう、成長しあう関係を築くことが難しい。そう頭で理解していながら心と体が伴わない自分がいます。

そしてそのことを理解しながらも、苦しさから逃れるために出したのが先の、先延ばしの結論。


それから2ヶ月が経ち、先へ行った結果が昨日の現象であり、その結果今の僕に湧いてきている心だと思っています。

そんな、「わかっちゃいるけどやめられない」という、頭と心と体が一致しない悶々とした思いを抱えるなかで読んだ、最新の木の花ブログ「苦しみは神が人間に与えた唯一の救い(2010年11月1日公開)」で、以下のことが語られていました。

それは、

『苦しみは、神が人間に与えた唯一の救いである。
 苦しみと対面し、苦しみを乗り越えることが、その苦しみから解放される唯一の方法。
 今あなたが与えられている苦しみは、今までのあなたの生に対する答え。
 他の誰にも与えられていない、神からの救いです。』


という言葉。

そしてまた、エリーの提案で、明日のトークショーの中で「若者たち」という歌を歌うこととなったのですが、その歌詞。


「若者たち」

作曲:佐藤勝 作詞:藤田敏雄

1.君の行く道は 果てしなく遠い
  だのになぜ  歯をくいしばり
  君は行くのか そんなにしてまで

2.君のあの人は 今はもういない
  だのになぜ  なにを探して
  君は行くのか あてもないのに

3.君の行く道は 希望へと続く
  空にまた   陽がのぼるとき
  若者はまた  歩きはじめる

  空にまた   陽がのぼるとき
  若者はまた  歩きはじめる





以上の言葉たちによって僕は、ようやく客観的にみて自分に必要な選択をする心の準備が出来たのでした。

ここまで書いてきてみて、同時に、いま、一年間の棚卸しの機会を頂いたからこそこの大事に気付けているわけで、やはり大いなる存在は「粋なことをされるな」と、導かれていることへの感謝の念も湧いてきています。

ここまで配慮されている自分、というか、私たち人間という存在はそういった存在なのだということでしょう。

常に導かれている。
それに気付くかどうか。
(気付いても、気付きのままに実行するかどうかは別の話ですが、
導かれているのは間違いないでしょう。)

彼女との出会いも、木の花との出会いも、決して偶然ではない。
だとしたら、今回の選択にいたった経緯も決して偶然ではない。

僕は今のこの心を正直に表現し、そして謙虚に結果を頂きます。
答えはその先にある。

今は苦しくとも、この苦しみを乗り越えた先に見える景色がある。
それは今までの自分では見ることのない景色。
しかしそこにこそ、この魂が真に求めていた答えがあると感じるのです。

今はその直感を信じてこの道を行きます。

これは自分の人生を通しての大いなる実験であり、チャレンジです。
このことによってどのような道が開かれていくのか。
どうぞ、このチャレンジの行く末を、僕も、あなたも、そして彼女自身も楽しんでもらえたらと願っています。

今日は明日に通じ、明日は更なる未来に通じています。
明るい未来を信じ願いながら、この時代を共に生きて行こうではありませんか。


最後まで読んでいただきありがとうございます。

愛と感謝を込めて。


まっちゃん

























追伸(親展)

愛する人へ

今の気持ちをこのブログ上で表現したのは、
直接のメールだけでは、やりとりの中でまた心が折れてしまいそうだから。
そして、自分ごとを自分ごととせずしっかりと記録しておきたいという思いからです。

君に対してはどれだけ言葉を尽くしても、今までずっと応援し、そして今も応援し続けていてくれていることに対する感謝や感じている愛情やら、、、だからこそとめどなく湧いてくる思いと、それと向き合う中で一喜一憂する心とか、、、この複雑な思いはとても言葉や文章だけでは伝え切れないと思うので、ここではあえて短い言葉で心を表現させてください。

ありがとう
愛を込めて


yuki