今日の大人ミーティングをきっかけにとても大きな気付きがありました。


それは、「この世界に正解・不正解はない」ということ。


とかく人は正解を求めがちで、それと現状を比べて悩んだり、うらやんだり、勝ち誇ったり。。。


ケアで滞在中のともみちゃんは、「自分を良いものに見せたい」という気持ちから、正解を求めるあまり、本来の自分を見失い、鬱病との境界線上にいます。


彼女の傾向と通じるものが僕にはあるな~と思ったのでした。

その奥にある心は、

「人に褒められたい、認められたい、評価されたい」という承認欲求だったり、逆に認められないと不安になる心だったり・・・



そもそも正解・不正解ってなんだろうって思うと、必ず何か基準があって、それに対する評価だと思います。

でもその基準自体が人によって異なるから、正解・不正解も人によって違ってきて、それを突き詰めていくと、正解・不正解なんてそもそも存在しないことになる。

そこには”個性”があるだけ。


この世界には、人の数だけ個性があるとしたら、その無限にある個性をだれかが評価するなんて、考えただけでもおかしいし、とても滑稽なこと。


自然界は、違っているもの同志が助け合い、支えあって成り立っている。


人間だけが違っていることを、「恐れたり、悩んだり、非難したり」している。


それはとても不自然なこと。



そんなともみちゃんへの、たまたまゲストで来られていたケイコさん(医者であり、病院経営者であり、鬱病経験者で3年かけて薬を使わずに病気を治した方。現在、ご自分の経験から心の勉強をされている。)のアドバイスは、


「ともみちゃんの話はとてもよく分かる。
ともみちゃんには、周りから承認されたいという自分がいる。
それと同時に、自分に認めて欲しい自分がいる。

人には、光の面と、影の面がある。

影をみて、悩み落ち込むのではなく、影の自分を認めてあげて欲しい。

影を見ている自分をそのまま、認めてあげて欲しい。

なぜなら、影を見て悩んでいるあなたは、悩むことによって成長するために悩んでいるのだから。
だから、光の自分は、影を見て悩んでいる自分に、『ありがとう』って言ってあげて欲しい。

まずはそこから初めてほしい。

次のステージはあるけれどもまずはそこから。」


というものでした。



木の花でよく語られているのは、

『全てはプロセス』

ということです。


現象を区切ってみるから、あるときは正解に見えたり、あるときは不正解に見えたり。

でも、実際にはこの世界はずっと、連綿と繋がっているわけで。。。


あるとき正解に見えたことが次の段階には不正解に見え、また次の段階には正解に見えたり。。。

起こっていることは、単に現象に過ぎず、それに評価を与えているのが人間です。


中国の故事に、『人間万事塞翁が馬』

という言葉があるとおり、物事に一喜一憂しがちな僕達人間ですが、


本当の意味で『現象は一つ』なのです。


ところが、その捉え方によって、健康で暮らす人もいれば鬱病になる人もいる。


ほんとうに人間という生き物は高度な生き物だと思います。

なぜなら、地球上で鬱病になれるほどの高等な生命は人間くらいのものだと思うからです。


最近、『日本人が総鬱状態』というニュースを見ました。

鬱病が国民病なのだそうです。


その解決策として、このことを知らせることが大きな手助けになるのではないか?

今日の日記を書いてみて、そんなことを思いました。


このことが、誰かのお役に立てたら本望です。


今日も一日ありがとうございました。



3/17の研修内容

午前
・田んぼ整備

午後
・田んぼ整備


・ウェルカムコンサート(疲れが出たためこの間休息を頂きました)
・大人ミーティング