ここしばらく、ちょっとしたうつ状態が続いています。
これ!という特定の原因は思い当たらないのですが、日々、たくさんたくさんの現象を頂くにつれ、自分の至らなさに出会う場面が増え、慢性的な反省モードに入っています。
念入りに、みんなのために、全体を思ってやろうとすればするほど、それが出来ていない自分に出会う。
そして、なんでこんなにできないんだ!?と悩む。
最近ずっとそのような状態の繰り返しです。
昨日の大人ミーティングでは、それに関連する話題がでました。
それは、木の花メンバー全体として、”話すことと行動が一致していない(言行不一致)”傾向がある、という内容でした。
語ることは大切。
しかし、語ったことを実行しないとそれに相応しい現象を頂くのです。
そして、現象を頂くのが怖い=いやな自分を見るのを避けたい、という気持ちが出てきて、語ること自体ををやめてしまうという傾向があります。
その結果なのか、大人ミーティングに活気がないのです。
それは、”木の花鬱(うつ)”と名づけられました。
これは、まさに最近の僕自身のことです。
念入りにやろうとすればするほど、心の垢が出てきて、嫌な自分を見ることになり、その苦しさから逃れるために語ることをやめ、見ることすらやめてしまう。
そんな状態がここ数日続いていました。
その結果、見事に2つの現象を頂きました。
それは、
1つは、風邪を引いてのどを痛めたこと。痰が絡まって咳が出て、話しにくくなるという現象。
もう1つは、畑作業中にブヨに目の下を刺されて、目の周りが腫れ、片目が見にくくなるという現象です。
その現象を頂いて、その意味を自分のなかで掘り下げた結果、最近、自分の正直な気持ちをみんなに話していなかったということと、嫌な自分から目を逸らしていたということに気付きました。
これを書きながらも、正直言ってきつくて苦しい。
自分と向き合うことがこんなにも難しいものかと、、、なんとも出口が見えない状態が続いています。
まだまだ自分の中に、手放したくない自分、見たくない自分がいるのです。
それは、楽をしたい自分、手を抜きたい自分。
世のため人のため、といいながら、”面倒”とか”自信がない”とか、”タイミングじゃない”とか”明日から”とか、もう本当にイヤになるほど、やらない理由が湧いてきています。
そして、その分、頂く現象も大きくなり、昨日はハウス内の地面に刺さっていた温度計を踏んづけて折ってしまったりとだんだんと周りの人に迷惑をかける度合いが増えてきているように思います。
このままこの状態をつづけると、更に大きな現象を頂くことになるでしょう。
そうなる前に、このうつ状態から抜け出す必要があります。
そのためには、正直を語り、語ったことを日々コツコツと実行していくこと。
まずはそのような自分である、という認識。
ありのままの自分を認める、ということが必要なのでしょう。
『学ぶ』ということは、当たり前かもしれませんが、自分の知らないことを知っていくことだそうです。今の言い換えると、日々与えられる現象=経験から、自分でも知らない自分を知っていくこと。
まさに、今が自分というものを知り、学び、成長するチャンスなのでしょう。
昨日の大人ミーティングでは、
学び、成長するためには、『清水の舞台から飛び降りるようなことをすること』が必要と話されました。
そのことで、問題ごとが解決するわけではない。しかし、そのことで”道が開ける”のだそうです。
また、こうも語られました。
「頑固な自分」捨てたら、自分が無くなるのではない。「素直な自分」が出てくるのだ。
ここまで書いてきて、本当に、今の自分の状態が、イヤになってきました。
一刻も早く手放したい。
そんな強い思いが湧いてきています。
これまで、『こうした方がいい』と思ったことでも「めんどう」とか「タイミングを見て」とか「自分の役割じゃない」とか、たくさんたくさんの言い訳をしながら、タイミングを逃し、本来の自分を偽り、自分にウソをつき、自分を貶めて来た。
僕は、今、この場でそんな自分を手放すことを宣言します。
1つ。正直を語り、語ったことを一つ一つ確実に実行していきます。
1つ。もう言い訳はしません。
1つ。自分を偽りません。
1つ。自分を貶めません。
”しあわせ”の語源を知りました。
それは、『森羅万象と心を合わせること』
言い換えると、自分ごとを手放し、全体のために生きる。
語ったことは、実行することが求められます。
つまり、語るということは、行動を求められるというリスクを伴います。
同時にストレスを伴います。
しかし、そのストレスをバネに、人は成長していくのでしょう。
このことを胸に刻んで、今、この瞬間から生きていきます。
今、ちょうど食事の時間。
その時間を頂いて、食堂の隅でこれを書いています。
少し視野を広げて考えてみれば、僕は衣食住に困らない環境を与えられて、その安心の中で悩んでいる。それもものすごく自分ごとで悩んでいる。
あぁ、もういい加減にやめよう。
いい加減にみんなの役に立てる人になろう。
今、ようやく長い鬱状態から抜け出しつつある自分を感じます。
さぁ。
まずは、この目の前の人たちと心を合わせて、みんなのために生きてみよう。
心に晴れ間が見えてきました。
さぁ!
遅ればせながら、食事の時間!!
心と体にたっぷりと栄養を頂きます。
学びの日々に感謝。
今日も一日ありがとうございました。
2/11の研修内容
午前
ひまわり増築工事(型枠作り)
昼
ウェルカムコンサート
午後
ネギ種まき
夜
大人ミーティング
これ!という特定の原因は思い当たらないのですが、日々、たくさんたくさんの現象を頂くにつれ、自分の至らなさに出会う場面が増え、慢性的な反省モードに入っています。
念入りに、みんなのために、全体を思ってやろうとすればするほど、それが出来ていない自分に出会う。
そして、なんでこんなにできないんだ!?と悩む。
最近ずっとそのような状態の繰り返しです。
昨日の大人ミーティングでは、それに関連する話題がでました。
それは、木の花メンバー全体として、”話すことと行動が一致していない(言行不一致)”傾向がある、という内容でした。
語ることは大切。
しかし、語ったことを実行しないとそれに相応しい現象を頂くのです。
そして、現象を頂くのが怖い=いやな自分を見るのを避けたい、という気持ちが出てきて、語ること自体ををやめてしまうという傾向があります。
その結果なのか、大人ミーティングに活気がないのです。
それは、”木の花鬱(うつ)”と名づけられました。
これは、まさに最近の僕自身のことです。
念入りにやろうとすればするほど、心の垢が出てきて、嫌な自分を見ることになり、その苦しさから逃れるために語ることをやめ、見ることすらやめてしまう。
そんな状態がここ数日続いていました。
その結果、見事に2つの現象を頂きました。
それは、
1つは、風邪を引いてのどを痛めたこと。痰が絡まって咳が出て、話しにくくなるという現象。
もう1つは、畑作業中にブヨに目の下を刺されて、目の周りが腫れ、片目が見にくくなるという現象です。
その現象を頂いて、その意味を自分のなかで掘り下げた結果、最近、自分の正直な気持ちをみんなに話していなかったということと、嫌な自分から目を逸らしていたということに気付きました。
これを書きながらも、正直言ってきつくて苦しい。
自分と向き合うことがこんなにも難しいものかと、、、なんとも出口が見えない状態が続いています。
まだまだ自分の中に、手放したくない自分、見たくない自分がいるのです。
それは、楽をしたい自分、手を抜きたい自分。
世のため人のため、といいながら、”面倒”とか”自信がない”とか、”タイミングじゃない”とか”明日から”とか、もう本当にイヤになるほど、やらない理由が湧いてきています。
そして、その分、頂く現象も大きくなり、昨日はハウス内の地面に刺さっていた温度計を踏んづけて折ってしまったりとだんだんと周りの人に迷惑をかける度合いが増えてきているように思います。
このままこの状態をつづけると、更に大きな現象を頂くことになるでしょう。
そうなる前に、このうつ状態から抜け出す必要があります。
そのためには、正直を語り、語ったことを日々コツコツと実行していくこと。
まずはそのような自分である、という認識。
ありのままの自分を認める、ということが必要なのでしょう。
『学ぶ』ということは、当たり前かもしれませんが、自分の知らないことを知っていくことだそうです。今の言い換えると、日々与えられる現象=経験から、自分でも知らない自分を知っていくこと。
まさに、今が自分というものを知り、学び、成長するチャンスなのでしょう。
昨日の大人ミーティングでは、
学び、成長するためには、『清水の舞台から飛び降りるようなことをすること』が必要と話されました。
そのことで、問題ごとが解決するわけではない。しかし、そのことで”道が開ける”のだそうです。
また、こうも語られました。
「頑固な自分」捨てたら、自分が無くなるのではない。「素直な自分」が出てくるのだ。
ここまで書いてきて、本当に、今の自分の状態が、イヤになってきました。
一刻も早く手放したい。
そんな強い思いが湧いてきています。
これまで、『こうした方がいい』と思ったことでも「めんどう」とか「タイミングを見て」とか「自分の役割じゃない」とか、たくさんたくさんの言い訳をしながら、タイミングを逃し、本来の自分を偽り、自分にウソをつき、自分を貶めて来た。
僕は、今、この場でそんな自分を手放すことを宣言します。
1つ。正直を語り、語ったことを一つ一つ確実に実行していきます。
1つ。もう言い訳はしません。
1つ。自分を偽りません。
1つ。自分を貶めません。
”しあわせ”の語源を知りました。
それは、『森羅万象と心を合わせること』
言い換えると、自分ごとを手放し、全体のために生きる。
語ったことは、実行することが求められます。
つまり、語るということは、行動を求められるというリスクを伴います。
同時にストレスを伴います。
しかし、そのストレスをバネに、人は成長していくのでしょう。
このことを胸に刻んで、今、この瞬間から生きていきます。
今、ちょうど食事の時間。
その時間を頂いて、食堂の隅でこれを書いています。
少し視野を広げて考えてみれば、僕は衣食住に困らない環境を与えられて、その安心の中で悩んでいる。それもものすごく自分ごとで悩んでいる。
あぁ、もういい加減にやめよう。
いい加減にみんなの役に立てる人になろう。
今、ようやく長い鬱状態から抜け出しつつある自分を感じます。
さぁ。
まずは、この目の前の人たちと心を合わせて、みんなのために生きてみよう。
心に晴れ間が見えてきました。
さぁ!
遅ればせながら、食事の時間!!
心と体にたっぷりと栄養を頂きます。
学びの日々に感謝。
今日も一日ありがとうございました。
2/11の研修内容
午前
ひまわり増築工事(型枠作り)
昼
ウェルカムコンサート
午後
ネギ種まき
夜
大人ミーティング