今年もあと二日。

今日は一日、たまっていた事務作業を行いました。


さて、ここに来て一気に心の大掃除が進もうとしています。


今日の大人ミーティングでのこと。

数日前の「今日の気づき:対立の心」で書いた内容をみんなにシェアしてみました。

それは、

・返信メールがなかなか書けないこと。
・相手に対する対立や怒りの心が、僕のベースにあること。
・そのため、どうしても自己主張の内容になってしまい、気付きを与えることにならないということ。
・怒りの心を手放したいという思い。
・相手を本気で思いやれるようになったとき、返信メールが書けると思う

という内容でした。


そこでその場から出てきたのは、

「まっちゃんは、ずっとその怒りの心を持っていたのに出さなかった。そうして今の現象を頂いている。それなのに、まだその怒りの心を抑える、無くす方にもっていくのか。」

という内容でした。
また、

「怒りも神様が与えて下さったもの。それをきちっと伝えるということも大事なんだよ」
というアドバイスに、まさに目からウロコでした。


僕は今まで、『怒り』の感情は、感じても表に出さないようにして生きてきました。
それは、対立を避けることが良い人間関係を気づくことだと思ってきたからです。

しかし、今日のアドバイスを聞いて、どうにも怒りの心が湧いてくるときに、その心自体を無きものにしてしまうというのはどんなものだろう、という疑問が湧いてきました。。

そして、では正直に、怒りのままに相手にぶつけていいものか?という疑問が湧いてきました。


それに対して、

「怒りの心を表現するときの、ベースの心が大切だよ。ベースに愛があれば、怒っていいんだよ。逆に、相手を思ってあえて怒りを表現する場合もあるんだよ。」
とのこと。
この言葉にまたしても目からウロコがボロボロと落ちました。


今日の気づき。


僕は相手のことを本気で思っていなかった。

相手が大事に気付き、本当に自立した人生を歩めるため=相手の魂の成長を願って、しっかりと、正直に怒りを表現することが必要。

また、何よりも、本気で相手を思いやることが出来ていたら、怒ろうが、泣こうが、わめこうが、笑おうが、何も関係ないということ。

真の「利他」とは、すべての「考え、言葉、行動」が相手のためになり切れる自分であること。

そのことに、ようやく気付くことが出来たのでした。


僕は、心に「喜・怒・哀・楽」を感じながらも、
表現としては「喜・哀・楽」のみで、「怒」の感情表現を自分で抑えていました。


それは、「うそつきの心」からでたものでした。
僕には、出来るだけ波風立てないようにする、事なかれ主義の心があることに気付きました。

しかもそれは、表面的な事なかれ主義。
心の中では思いっきり事があるにもかかわらず、正直に出さなかった結果。


その結果として、現象を頂いている。
そのことに改めて気付いたのでした。


今日は、思いの生ずるままに書き綴ってみました。


今年もあと1日。
明日は、きちっと返信メールを書いて、すがすがしい正月を迎えようと思います。


今日は、特に大きな大きな気付きを頂きました。

今日も一日ありがとうございました。



12/30の研修内容

午前
・事務

午後
・事務
・注連縄づくり


・大人ミーティング