今日は雨のち晴れ。
昨日に引き続き、大掃除(窓拭き)でした。

最近、ある対立的なメールを頂き、それについて返信をしようと思いながら
なかなか返信できないという日々を送っていました。

それは、メールの内容を大人ミーティングでシェアしたときに頂いた、
返信するに当たっての「テーマ」が理由です。

そのテーマとは、
「自己主張を出来るだけ少なくして、気付きを伝えること」

ここ数日、返信内容を書いては、テーマと照らし合わせ、自己主張ばかりの内容に愕然としては消す。

ひたすら書いては消し、消しては書き。
時間を見つけてはパソコンに向かいながら、葛藤の日々を送っていました。


それが本日、ようやくある気付きに至りました。

それは、窓拭きをしながら、自分の心を見つめているときのこと。

僕は、「なぜ対立的なメールが来るのか」、「どうして対立的な関係という現象を頂くのか」、
という原因について想いを巡らせていました。

そこで、僕の中に対立や敵対の心があること気づきました。

それは、とても根深いものでした。


木の花では日々、

『現象をもって真実とする』
『現象は心の写し鏡』

ということが言われています。

自分の中にある対立や敵対の心が、現象として表れている。
それを見せて頂いているのだ、ということに気づきました。

これまでは、自分にはもうそんな心は無い。
一方的に敵視されている、という思いがありました。

極端に言うと、自分が被害者であるという意識。

これまで相手に対して抱いていた意識が、実は自分も同等のものを持っていた。

そのことにようやく気付いたのでした。


その心がある限り、テーマは達成されるはずはありません。

『まず、土台の心をつくること。』


これが今の僕に与えられたテーマです。

土台の心とは、いつであれ、どんな状況であれ、誰であれ、変わらぬ心。

その心は、ひたすら相手を思う心=『利他』に目覚めること。
別の言い方をすると、ゆるぎない「善意」から来る、「愛」の心に目覚めること。
真にその心に目覚めたとき、世界に「調和」をもたらすものとして存在することができる。

そのとき、すべての問題ごとは問題ごとではなくなり、目覚めのためのきっかけに過ぎないことに気付くのでしょう。


今はひたすら、自分の心を見つめ、出てくる自分をよく見るという作業を繰り返しています。

よくよく見る。
目を逸らさず見る。
見て味わう。

そして自分を知る。

一つ一つ、注意深くこれをやっていった先に、本当の目覚めがある。

それを信じてやり抜くのみです。


一日一日、しっかりと自分を見つめ、
目指すは、心のクセを自分の個性として自在に扱える自分になることです。


真に人のために役立てる自分であり、それを喜びとする自分でありたい。


今年もあと3日。

返信メールの作成を一つの区切りとして、
「自己主張ではなく、ありのままの気付きを伝えること」
が出来る自分になる。

それが2009年の締めの時に、心の大掃除として、僕に与えられた課題です。


ここで、最近のいさどん語録のうち、気に入って使っている言葉を紹介します。

『やるときゃやるぜ!引くときゃ引くぜ!負けへんで~!!!』


これは、神様に対する言葉だそうです。

やるときゃやるぜ!は、意欲を表し、
引くときゃ引くぜ!は、潔さを表し、
負けへんで~!!!は、心意気を表します。

ちなみにこの世界を司る神様には、絶対に勝てないそうです。
良くて引き分け。

それでも、逃げるわけにはいきません。
逃げたらいつまでも追いかけてくることは十分体験済み。


さぁ、今日も素晴らしい気付きをいただきました。

あとはやるのみ!


今日も一日ありがとうございました。



12/28の研修内容

午前
・大掃除 : 本宅2Fの窓拭き

午後
・昼のウェルカムコンサート
・事務作業


・大人ミーティング
・さのっちの大学活動報告
(ファミリーメンバーで唯一の単身赴任者。
 現在、立教大学で21世紀の生き方について教鞭をとられています)