本日も盛りだくさんの内容。

毎日、本当にやることがたくさんあります。


今日は、今年初めての干しイモ作りが明日からスタートすることに合わせて、蒸すためのイモを洗いました。洗い場の広さの都合で、作業は一人で行うことに。


はじめる前は、一人での作業で少々孤独感を感じるかな??と思っていたのですが、始めてみるとそのような気持ちは湧かず、反対にここで生活していると中々味わうことの出来ない、”ひとりの時間”を持つことが出来たのでした。


その中で、さまざまな思いが湧いてきました。

その中の一つを紹介したいと思います。


それは、目の前でどんどん洗われて行くイモについてです。


以前、田んぼ作業で、麦畑のレーキ掛け作業中に、今取り組んでいる作業の意味を考えたことがありました。

そのときの気づきは、”つながりの実感”。


今していることが、麦を収穫する、という目的の中でどこに位置しているのかを考えたとき、間違いなく、自分は全体のつながりの中で生かされている、という思いにいたったのです。

それは、どんな作業であっても、その作業には意味があること。


それに気付いたとき、大きな喜びに包まれたのを覚えています。


作業に意味を見出すと、同じことをしても、”やりがい”や、それによる”達成感”が全く異なります。


それを思い、今日は、イモ洗いの位置づけを想像してみました。


未来を思えば、洗ったイモを蒸して、皮をむいて、スライスして、ハウスの中で天日で干して、パックして、商品となり、お客様の口に入り、おいしいねと食べている様子。

また、ファミリーのおやつとしてみんなで食べている様子。
(干しイモは大人も子供もみんな大好き♪)


過去を思えば、畑を耕し、畝を立て、ビニルマルチング、苗を育て、苗の定植、管理、掘り取り、ツルの除去、かご詰め、運搬、保温とガス抜き。

本当に手間暇かけて大切に育てられ、そして今、縁あって僕がイモを洗わせてもらっている。


それを思うと、自然と、自分の目の前に現れてくれたイモたちが愛おしくなりました。


イモたちは、一つ一つ個性があります。

いろんな大きさ、色、形。でこぼこや、虫食い、長細いものから、横に太いものまで、本当に同じ種類のイモとは思えないほどの多種多様な、個性的なイモたち。


そこで気付いたこと。

そのイモたちを眺めて、自然と笑みがこぼれるような、何ともいえない感覚。あえて言うなら”無償の愛”とでもいい得るような感覚は、もしかしたら、我々人間を創造された、大いなる存在の視点ではないか、という思いにいたりました。


自分で意図して創っておきながらも、出来た多種多様な人間達を見て、何か無性に愛おしく思う気持ち。

我々が、大いなる創造主により意図して造られた存在だとしたら、一人ひとりが大きな大きな祝福の元に生まれ、深い深い無限の愛によって育まれていると考えるのが自然だなと思います。


一人ひとりが、すばらしい個性を与えられて生まれてきた。


だとしたら、僕達はその個性を磨き、輝かせること。

イモにたとえると、より美味しくなること。


それがその愛への恩返しになるのではないか。


そうか!
だからこのイモたちはこんなにも美味しいのだ!!!


僕達も、与えられた命に感謝し、その愛に答えるためにも、しっかりと一人ひとり個性の花を咲かそう。


そんな”花”がたくさん集まって、これから地域に、日本に、世界に、地球に、宇宙に、美しい花園を開いてゆきましょう。


それは大いなる存在の深い愛への感謝の証となるでしょう。


僕達が、美味しい干しイモを心待ちにするように、それを心待ちにしているかもしれませんね。



ふと思いました。

イモ洗いに始まって、この宇宙を創られた大いなる存在にまで広がる意識。
こんな意識をもてる我々はいったい何者だろう?

こんな小さな体で、物理的にはものすごくちっぽけな存在でありながら、その心は過去も未来も自由自在。場所も時間も楽々と越えて行くこの意識を持った魂は、いったい何者なのだろう。。。



この問いは、しばらく持っておこうと思います。



本日は、この世界を満たす大いなる祝福と深い愛に思いをはせる事ができました。

今日も一日、充実した時間をありがとうございました。



12/6の研修内容

午前
・ニンジンイモ洗い(干しイモ用)

午後
・ニンジンイモ洗い続き
・コンニャクイモの芽切り&乾燥
・トウモロコシの実取り(デントコーン、飼料用)


・木の花憲章ミーティング
・大人ミーティング
・坂の上の雲~第2話~上映会