前回記事の続きです。
「去年、柳川で…」
2017年の1月23日に柳川に日帰り一人旅をした時のレポです。
柳川に着いて、三柱神社⛩にご挨拶した後、
さて、いよいよ
館内撮影可でした(*⁰▿⁰*)ふとっぱら〜♪
ありがとうございます😊
資料館のエントランスには「猛将妄想録」の大久保ヤマトさんのイラストによるスタンドPOPが!
著者にも出てくる宗茂誾千代夫妻。
立花宗茂という武将は何度も改名していて、宗茂は晩年の名前なのですが、一番メジャーな名前なので、ここでも宗茂公で通しますね(^^;)
なんとなくですが、現存する唯一の女性用の鎧、大三島の鶴姫の紺糸素懸威胴丸を思わせるシェイプに見えました。
それについての真偽は賛否両論ありのようですが…。
女性が着ることをイメージするとどうしても胸部に余裕を持たせてウエストを絞ったものになってくるのでしょう。
両脇に立花家家臣団が使用したであろう桃成形兜を配置してあります。
何だろう?
火縄銃「墨縄」
黒田長政公との逸話がある火縄銃で、宗茂公と長政公の間で、「銃と弓だとどちらが最強?」的な話題になった時に宗茂公は弓、長政公は銃を主張し、それならばお互い主張する武器で勝負⁉️という少年漫画的な展開に(^^;;
どちらも武人気質というか、血の気が多かったんですかね(^∇^)
それぞれの武器で標的の笄を撃ち抜くという勝負だったようですが、この時は宗茂公の弓が勝って、長政公からこの「墨縄」を贈られ、また宗茂公からも長政公に弓を贈ったという逸話が残っているんだそう。
長政公は鷹狩りの時にも火縄銃を使っていた逸話が有りますし、銃がお気に入りだったんですかね。
過去記事に黒田家と鉄砲の展示を市博物館で見た時のことを書いてます。
「今年の福岡市博物館納め?」
「長谷部さん公開※ヲタ語り注意」
福岡藩初代藩主長政公から幕末まで勉強になりました(^^)
じゃーん!雷切丸です!
その時に雷を切ったと言われているのがこの脇差。
それまでは柄に千鳥の模様があり「千鳥」と呼ばれていたのが、この時以降は「雷切丸」と呼ばれるようになりました。
その後、養子の宗茂公に引き継がれ立花家に伝わる。
寒い日で他のお客さんも疎らだったのでゆっくり鑑賞できました。
この立花家資料館及び御花のある場所は柳川藩五代目当主の頃から別邸があり、側室や子供たちを住まわせていたようです。
それが明治になり、立花家も伯爵となり、迎賓館として洋館を建てました。
この洋館と立花家当主やその家族が住んだ屋敷とは通路で繋がっていたようです。
現在は結婚式場にもなるこの洋館を見学し、柳川名物のさげもんが展示された和室をも見て、通路を渡りレストランがある棟へ。
こちらの棟からは回遊式庭園「松濤園」を見ることができます。
夫、宗茂公とは不仲だった説が多く、宗茂公が誾千代姫に無断で側室を娶り勝手に同居し始めたので姫は別居し、宮永という場所の館に住んだとか…。諸説あり。
子供がなく、別居もしていたので不仲説が多く語られるようになったのでしょう。
実際のところは夫婦というのは当人たちでしかわからない部分も多いし、戦国時代の頃の結婚観も現代と同じとは限らないです。
宗茂公と結婚する前には、父の道雪公から軍略を叩き込まれ8歳で家督を継いだ気丈な人だったので、政治や軍事に口を出すこともあったのだとか。
この近くに住まれてたのかな?
…と思いながら歩いて行きました。
後日偶然知ったのですが、誾千代姫の宮永屋敷がこの辺りにあったのではないか?という場所に石碑が建てられているとのこと。
しまった〜Σ(゚д゚lll)
調査不足でした…。
次に柳川いったら行こう(>人<;)
さて宮永交差点からてくてくと歩きながら柳川駅🚉を目指す道すがら、立ち寄りたい場所があと2ヶ所はあるのです( ^ω^ )
その一つが…
暫し城跡で佇んだあと、また歩きました。
そして川下りで水上から境内の一部が見えた日吉神社⛩へ。
神様のお使いだからでしょうか?
動物密度が高めでした。癒されました。
神社の雰囲気も静かで落ち着きましたし、やや夕方に向かいつつある中、御朱印もいただけました。
この後は柳川駅🚉に向かって福岡市に帰ったんだけど昼休憩をせずに歩き回っていたので腹ペコで…
天神ビブレの地下の名代ラーメン🍜でがっつきました(-_-)
リーズナブル〜♪
今回記事も資料館と御花〜町歩き〜城〜神社とかなり詰め込んでしまい、長くなりましたが最後まで見て下さってありがとうございます😊