この一年 | さすらう珠澄

さすらう珠澄

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2016年4月16日から一年。

一年前の16日は深夜で寝に入るあたりでぼんやりした頭を携帯📱の警報に起こされました。
心臓に悪いというか何かもうびっくりします、あの音は…。
危機感持たせるためのものなんで仕方ないけど。

14日の深夜に続いてまた?と一瞬思ったけど揺れが強めに感じたのですぐ側にいた相方と目を見合わせたのを覚えています。
14日の前震の時も16日もすぐにTVをつけて状況を見たんだけど、砂煙を上げる熊本城にショックを受け、熊本に住む知り合いが無事か心配した。

知り合いには連絡も取れて無事が確認されたし、相方の仕事の関係者も皆無事なようだった。

そしてその後が大変…というようにライフラインは寸断されているし、相方の仕事仲間の人たちも職場が壊れたままで困った状況はなかなか改善されずに、余震もある、コンビニやスーパーにすぐ食べれるようなもが置いてなく…。
相方の仕事仲間のある人が、仕事再開のメドが立つまで一旦は関東にいる兄弟の所に身を寄せると言い、道の途中で福岡に寄ってくれたのだけれど、リアルな話を聞くとやはりショックなものです。
その人は一晩泊まって行かれたのですが、ご飯🍚が暖かく飲み水が冷たい状態で飲めることに安心していました。
停電で冷蔵庫も使えないので食品は常温というかぬるい状態の物がほとんどで、それでもご飯のようなモノは手に入らず、何日もお菓子などを食べて過ごしたそうです。
また地震の少し前に携帯スマホ📱などから発信される緊急地震速報のアラームは震源に近いほど揺れと同時になってしまって、警報が鳴る中、揺れ初めている中での避難になり、ただただ恐怖を感じるだけだったとか…。
それは怖いだろうな…と。
実際に体験したかたの話を聞くと掛ける言葉もなくしてしまいます。

つい数ヶ月ままで自分たちが住んでいた街で、福岡からそんなに遠くないのにどうなってしまったんだろうと不安だけがありました。

状況がわからない、自ら見て来たわけじゃないのでSNSなどで軽々しく話題にしていいものか悩んだり、
慎重になったりで…。
結局、去年はなかなかブログにも熊本の話題や写真を載せてこなかったように思います。

今年になって実際に熊本に足を運んで、まだまだブルーシートに覆われた建物や、災害関係の展示物、修復途中の建造物などなど痛々しく見えるところもあるものの、今迄の日常を取り戻しつつある熊本の街がとても頼もしく感じ、自分が出来る限りのリアルなところを伝えることも大事なのかなと思えるようになりました。
もともとが魅力的な街なので、熊本の良いところ沢山伝えていけたらなぁと。


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石垣が重なってみえる所は造られた年代がことなるとか。
震災でも加藤清正公の時代の石垣は多くのこっていました。
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一昨年秋ぐらいの熊本城。

遠くからも見える大小の連立天守。
遠くからいつも元気をもらっていました。


一年前の記事「長いようで短いような」